2007.2.11に甘樫丘東麓に引き続いて訪れたのは飛鳥寺のすぐ南、飛鳥京の宮殿跡遺跡である。 これまでに1期・舒明天皇の飛鳥岡本宮(630年~)、2期・皇極天皇の飛鳥板葺宮(643年~)、3期は天武・持統天皇の飛鳥浄御原宮(672年~)の遺跡調査を行っているのは橿原考古学研究所で、2003年からは3期の内部中枢の建物配列の解明を目的に調査を行っているそうです。(現地説明会資料より)
今回の調査は飛鳥時代後半の東西石組溝、南北石組溝と飛鳥時代後半には埋没する溝、平安時代の東西溝で、藤原宮の段階で廃絶したと考えられます。 これは今まで外郭東辺、北側で確認された石組溝の中では最大級のもので基幹排水路であった模様。