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熊野詣の出立地・城南宮

2011年12月24日 | 平安時代

 城南宮といえば春と秋に催される「曲水の宴」といって平安時代の貴族の遊びを再現した白拍子の舞と奉納和歌の朗詠がこの庭の遺水で行われることで有名である。 京都東山へ久しぶりに訪れた帰りにふと立ち寄ってみた。 東鳥居から参道へ入ると、すぐ右には「真幡寸神社」「芹川神社」があり、南鳥居の向こう正面には城南宮の拝殿・本殿が見え、左手が神苑の入口となる。お目当ての神苑へ入ると離宮を偲ばす庭園「平安の庭」があり、この庭の遺水で「曲水の宴」が催されるのである。苑路を順路にしたがって進むと「室町の庭」「楽水軒」「桃山の庭」「城南宮の庭」など多くの種類の樹木、草花が植えられていて季節を問わず楽しめる。 城南宮の歴史は古く、もともと当地にあった真幡寸神社がはじまりで、この地は遷都以前から秦伊呂巨の支配地で、秦氏の氏神として古い由来をもつ。 最も栄えたのは平安時代の末期頃の1086年、白河天皇は皇位を堀河天皇に譲って、当地を囲むように白河法皇が鳥羽離宮を造営され、完成後も南殿、北殿、東殿と造営されて、代々の天皇、上皇がしばしば行幸されたという。 平安京の南方に鎮座する城南宮は、方除けの神として宮廷貴族の社寺参拝や熊野詣では参ったとされ、白河、鳥羽、後白河、後鳥羽上皇の熊野御幸ではここ城南宮から出立している。 城南宮を西へ行けば鳥羽街道があり、鳥羽伏見の戦いの最初の衝突地でもある。

神苑は源氏物語に登場する100種類にも及ぶ花で彩られた庭園

花といへば名こそあだなれ女郎花なべての露に乱れやはする…中将の御許の返歌

宿木の巻に登場する芒

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