平安時代の陰陽  (平安時代中心の歴史紹介とポートレイト)

玉響 「勾玉が触合うほのかな響き かぎろひの輝き」
「玉かぎる昨日の夕見しものを今日の朝に恋ふべきものか」 万葉集

三角縁仏獣鏡

2010年12月02日 | 大和王朝期

 日本に仏教が伝えられたのは、552年または538年のこととされている。 しかし、それよりも100年以上古い4世紀ごろに築造された古墳から、仏像を鋳出した三角縁仏獣鏡とよばれる鏡が出土されている。 中国では呉の時代と東晋時代に出土しており、東晋時代のものが輸入されたと考えられる。 『三国史記』によると、東晋から百済に仏法が伝わったのは、384年であると記され、また華北の前秦王の苻堅が高句麗に仏像と経文を伝えたのは372年であるとしている。 従って朝鮮半島に仏教が伝わる前に、仏像を鋳出した三角縁仏獣鏡が百済経由で日本に来ることは考えにくいのである。 さてこの三角縁仏獣鏡は、よく知られている 三角縁神獣鏡と年代、分布ともによく似ているらしい。  以下の写真のように三角縁神獣鏡は見たことがあるが、三角縁仏獣鏡はまだ見たことはないので、是非見てみたい。  三角縁仏獣鏡の出土数は極めて少ないらしい(日本全国で十数面のみ) が、京都では、園部垣内古墳から出土しており、直径20.5cmの大型鏡で仏と獣を交互に配し、仏は結跏趺坐の姿勢 頭には三山冠をかぶり、肩から羽、翼をあらわす曲線があるという。 この鏡と同型なのが京都・西京区の百池古墳(乙訓郡物集女)から一面、日向市の寺戸大塚古墳から一面出土していて、 合計3面の三角縁仏獣鏡はいずれも桂川水系にある古墳からの出土なのである。乙訓郡物集女にある百池古墳のすぐ北には、天皇の杜古墳があり、ここは江戸時代には文徳天皇陵とされたときもある。  

                                                大和の黒塚古墳ちかくの博物館に展示されていた三角縁神獣鏡

   

この記事についてブログを書く
« 大中姫と八尺瓊の勾玉 | トップ | 出雲に封じ込められたスサノヲ尊 »
最近の画像もっと見る

大和王朝期」カテゴリの最新記事

関連するみんなの記事