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義仲追討

2006年05月23日 | 平家物語

 第19話 倶梨伽羅峠

 頼朝と和睦を結び、一大勢力を誇った義仲が最終的に目指すのは洛である。 そして義仲追討を命じられ、総大将となったのは重盛嫡男・維盛であった。 維盛はかつて、院の御前で「青海波」を舞ったときに、その艶なる美男を「桜梅の少将」と呼んだ。 いまや武者幾万を率い義仲を追討しようとしている。 参謀は富士川の合戦のときに作戦の建て直しを主張した老兵・斉藤別当実盛である。

 義仲の先遣軍は北陸の関門・燧ヶ城に砦を築き準備万端でいた。山々の障壁に、総勢6000騎である。平泉寺の斎明が宗徒1000人を引き連れて加勢していた。ところがこの斎明、平家勢の一味であり、義仲の先遣軍に加わったと見せかけて、燧ヶ城の様子を平家側に報告していたのである。かくして先遣軍は退去を余儀なくされる。

 次に平家軍は安宅方面から北進するのである。その大軍を二手にわけ、一手は平通盛を大将に忠度、知度、経正二万騎が添い、越中を目指す。 また他の一手は維盛を大将に四万騎が倶梨伽羅峠を目指し近づいていた。 これに対する木曾義仲本陣は3万騎ではあるが、木曾の武者が峠で戦を行うには十分な騎勢であった。 第一陣、保科四郎は倶梨伽羅の東・日宮林に兵を伏せ、第二陣、行家は能登路を守り、そして義仲本陣は倶梨伽羅山のすそにひっそりと肉薄していた。 副将巴御前は兄・樋口次郎兼光を主将とする右軍に、葵の前は養父・栗田別当範覚と同じく木曾義仲を大将とする本陣にいた。 そして義仲はじっと夜を待っていた。そして一気に平家軍を挟み撃ちにすると、倶梨伽羅谷に追いやり、平家軍はこの谷間に人馬もろとも落ちていったという。 平家軍の戦死者は1万人を越える数だった。

 そして木曾義仲軍は倶梨伽羅峠の戦いに大勝することになる。 戦の勝利に酔いしれていた義仲であるが、葵の前の姿が見えないことに気がついた。 実はこの時、葵の前は逃げ延びようとする平家を深追いして、倶梨伽羅峠の迷路の中にいたのである。兄・樋口次郎兼光を主将とする右軍にいた副将巴御前は、めざましい成果を挙げていたが、義仲の本軍武将としていた葵の前は活躍する場もなく、巴の活躍に嫉妬していた。 たまりかねた葵の前は一人、逃げ延びる平家を追っていった。 そして迷路の中で平家軍に囲まれた。 ところが葵を女武将と知った平家軍は相手にしようとはしない。 木曾の女武将の血気盛んさを見せようとする葵の前を振り切って逃げようとする。 その時葵の前は足を弓矢で射抜かれ落馬すると、即座に駆け寄った一人の女がいた。 山吹という屯の女が葵の前を追いかけてついてきていた。

 山吹は昔、葵の前に仕える初々しい雑仕女であった。 その雑仕女が17歳のとき、葵の前の命により義仲の前に現れたときのことである。義仲は山吹をそばに引き寄せ簡単な気持ちで抱いてしまった。それ以来、山吹の様子は一変した。 もちろん葵の前が山吹の変化を見逃すはずもなく、雑仕女役を追放し、屯の女衆の一員としたのである。屯の女衆といえば陣中ののようなものであり、山吹は屈辱に耐えていた。 義仲に恋焦がれる山吹にとって、義仲とともに戦に参加できるという満足だけが山吹をささえていた。 そして、葵の前に嫉妬する山吹は唯一のチャンスを掴んだ。平家を深追いする葵の前への報復である。 しかし傷を負った葵の前は逆に義仲に今まで以上の寵愛を受け、山吹はより嫉妬を抱くことになるのである。     

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