三木市にある日蓮宗の本要寺は三木合戦ゆかりのお寺で知られている。もともと天台宗の寺であったが花園天皇の時代に日蓮聖人の法孫・魔訶一院日印上人が住職との問答で勝利して日蓮宗に改宗したという。時は流れて秀吉の三木城攻めのとき、ここ本要寺の本堂だけは戦火を免れ、1580年1月の三木城陥落と同時に、秀吉は平井山本陣から本要寺本堂に移って、首実験を含む戦後の処理を行います。そして秀吉は回りに四散した民衆を呼び戻すために三木を免租地とする立札を配した。これは戦後の民衆をどのように扱うかを案じた別所長治の意図がしっかりと反映された結果であり、秀吉の民衆第一主義によるところが大きい。このようにして三木は後世金物の町として栄えることになります。
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