平安時代の歴史紹介とポートレイト (アフェリエイト説明 / ちょっと嬉しいお得情報を紹介)

古代史から現代史に至る迄の歴史散策紹介とポートレイト及び、アフェリエイト/アソシエイト登録方法と広告掲載説明

京都・嵐山 天龍寺ゆかりの地

2012年08月23日 | 鎌倉・室町時代

 天龍寺といえば、京都嵐山にたたずむ寺院である。 実は今週この地へひさしぶりに行く予定である。ということで昔記載した記事を読み返しながら投稿してみた。 この地には平安時代初期、嵯峨天皇の皇后・橘嘉智子(786-850)が開いた檀林寺があった。その後約4世紀を経て荒廃していた檀林寺の地に後嵯峨天皇(在位1242-1246)とその皇子である亀山天皇(在位1259-1274)は離宮を営み、「亀山殿」と称した。「亀山」とは、天龍寺の西方にあり紅葉の名所として知られた小倉山のことで、山の姿が亀の甲に似ていることから、この名がある。天龍寺の山号「霊亀山」もこれにちなむ。足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うため、大覚寺統(後醍醐天皇の系統)の離宮であった亀山殿を寺に改めたのが天龍寺である。足利尊氏は1338年、征夷大将軍となり、後醍醐天皇が吉野で死去したのは、その翌年の1339年である。 足利尊氏は、後醍醐天皇の始めた建武の新政に反発して天皇に反旗をひるがえした人物であり、対する天皇は尊氏追討の命を出している。いわば「かたき」である後醍醐天皇の死去に際して、その菩提を弔う寺院の建立を尊氏に強く勧めたのは、当時、武家からも尊崇を受けていた禅僧・夢窓疎石であった。 寺号は、当初は年号をとって「暦応資聖禅寺」と称する予定であったが、尊氏の弟・足利直義が、寺の南の大堰川(保津川)に金龍の舞う夢を見たことから「天龍資聖禅寺」と改めたという。寺の建設資金調達のため、天龍寺船という貿易船が仕立てられたことは著名である。落慶供養は後醍醐天皇七回忌の1345年に行われた。 季節を問わず天龍寺近辺は観光客でにぎわうが、特に秋の紅葉の時期は特筆するものがある。そして天龍寺近くにある宝厳寺、実は特別公開の時期しか中に入れないという天龍寺の塔頭も見事な紅葉に彩られる。すこし散策しながら北側へ行くと野間神社という源氏物語でも登場する禊の場所や竹林の小道といって竹林で囲まれたその小道は夏でも清涼感たっぷりで、夜間になるとライトアップされる様は幻想的な瞬間を味わえる。どれだけまわれるかわかりませんが、欲張らずにゆっくりと。

コメント    この記事についてブログを書く
« 愛@ 石屋川沿の火垂るの墓の舞台 | トップ | 徳川道と神戸事件 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

鎌倉・室町時代」カテゴリの最新記事