宇多天皇皇孫雅慶王墓
醍醐寺の西、山科と六地蔵を結ぶ幹線沿いの住宅地に雅慶王墓があります。
雅慶は平安時代中期の真言宗の僧で、父は宇多天皇の第8皇子敦実親王(醍醐天皇とは兄弟)の六男である。 宇多源氏の一人であるが寛朝僧正のもとで得度し、寛朝から灌頂を受けて勧修寺長吏となった。 灌頂とは、主に密教で行う、頭頂に水を灌ぎ、正統な継承者とする為の儀式である。 ついで元杲から灌頂をうけ、真言宗広沢流・小野流双方の法を受けた。 元杲とは人名で延喜14年(914年)~長徳元年2月27日(995年3月30日)、平安時代中期の真言宗の僧で981年(天元4年)権律師、 983年(天元6年)権大僧都に至った僧の事を言う。 雅慶は986年(寛和2年)に仁和寺別当、998年(長徳4年)に 東寺一長者兼高野山座主となり、翌999年(長徳5年)には東大寺別当に任じられた。また、1002年(長保4年)に僧正、1011年(寛弘8年)には 大僧正に任じられ、一条院で大蔵経供養を行い、 宝満院を創建した。
名神高速沿いにある勧修寺