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造山古墳

2008年04月29日 | 陵 古墳 墓 遺跡

造山古墳

 岡山市内備中国分寺の東にある歴史的史跡である造山古墳には立派な駐車場が完備され、大坂の古墳とは比べ物にならないくらい環境整備がされていました。  造山古墳は、築造時期が5世紀前半に推定されている巨大な前方後円墳で、古墳時代(3世紀末~7世紀初め)に全国で築造されている前方後円墳5,200基の内で、第4位の規模を占めています。 

駐車場から見た造山古墳(撮影:クロウ)

 

 

 造山古墳は、全長350m、高さ31m、平面積約7.8haの巨大な墳丘規模を形作り、 周濠は無く吉備地方での通常規模形態と異なっています。 全国第4位の規模は、この古墳の築造時には最大規模であったと考えられます。 第1位の大山古墳(伝仁徳天皇陵=全長486m)と第2位の誉田御廟山古墳(伝応神天皇陵=全長425m)に比べると、造山古墳は時期が新しく、第3位の石津ヶ丘古墳(伝履中天皇陵=全長365m)が同時期、同規模にあたり、従来の全国最大規模の渋谷向山古墳(伝景行天皇陵=全長300m)を、大きく更新した規模となっています。

 

 造山古墳に葬られている人物は、通説では大和(中央)政権にきっ抗した吉備政権の大首長とされていますが、その規模が築造時には全国最大であることや、倭国の大王陵に想定されている同時期の巨大な前方後円墳との形態の類似性から、倭国の政治体制の頂点である大王とみられています。 しかし宮内庁管轄下にはおかれていないため古墳内には自由に立ち入ることができます。

古墳の丘陵部は散策ができるように手入れされ、石棺も間近に見れます

 

 

 
 造山古墳周辺には5世紀のものと考えられる千足古墳、榊山古墳などがあり、大小6基の陪塚もあります。 陪塚には造山古墳の被葬者の一族か有力な従者が眠っていると考えられ、陪塚第5号古墳の千足古墳は全長75m、三段築成の前方後円墳です。 

5号墳(千足古墳)                 4号墳

 

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