吉備朝臣真備(下道朝臣真吉備)
今回は大和政権に匹敵する勢力を持っていた吉備地方を中心に廻ってみました。吉備といえば奈良時代の末期に右大臣にまで登りつめた吉備真備は見逃せません。
生没年:693-775 奈良時代の官人・学者。吉備地方の豪族で中央の下級武官(右衛士少尉)であった下道朝臣圀勝の子で母は奈良の豪族楊貴(八木)氏の娘である。 日本書紀には「5世紀初め、応神天皇が吉備の国を5つに分け、ここに住む5人の兄弟や子供に分け与えた」とあり、吉備真備は、その中の一人が「下道氏」の名のもとで治めた下道郡出身の官人の子として誕生した。 吉備下道氏の本拠地は現在の真備町箭田地区あたりと推定されており、日本でも屈指の巨大な石室を持つと言われる「箭田大塚古墳」は、下道氏一族を葬った王墓かもしれない。
吉備真備公園のすぐ北側にある箭田大塚古墳(撮影:クロウ 2008/4/26)
下道氏は、吉備地方に勢力を誇った地方豪族吉備氏の一族で、姓は臣から684年に朝臣姓を賜った。 吉備真備を生んだ下道氏の本拠地は、真備町で高梁川に注ぐ小田川流域一帯だったようである。 その小田川にそそぐ谷川に「子洗川」があり、江戸時代の学者はこの地に生まれた吉備真備ゆかりの川の名と推定した。その小川の上流にあった湧き清水が、いつの頃から真備の産湯の井戸と伝承され、現在では、二度も遣唐使として中国に渡った真備にちなんで整備され、その地は下道氏墓所として国の史跡に指定されています。
小田川北沿いの313号線矢掛付近(小路を北へ200mほど)に下道氏の墓があります
尾張大海媛
大物主神(蛇) ┣ 八坂入彦命
第7代孝霊天皇 ┣ - ┣ 渟名城入媛命(倭大国魂神を祭る)
┃┃┣ 倭迹迹日百襲姫命(台与か) 姥津媛命┃ 遠津年魚眼眼妙媛(紀伊)
┃┃┃ 欝色謎命(伊香色謎命の母)┣彦坐王┃ ┣ 豊鍬入彦命
┃┃┣ 吉備津彦 ┣ 9 開化天皇 ┃ ┣ 豊鍬入姫命(天照大神を祀る)
┃┃┣ 稚武彦命 ┃ ┣10崇神天皇(御間城入彦) (みまきいり彦)
┃┃倭国香媛 ┃ 伊香色謎命 ┃ ┣ 倭彦命
┃┃ ┣倭迹迹姫命 ┃ ┃
┃┃ ┣大彦命 ┃ ┣ 彦五十狭茅命
┃┣━━━━━━ 8孝元天皇┣御間城媛 ┃ ┣ 千千衝倭姫命
┃細媛命 ┃┃ ┗武渟川別 ┃ ┣ 五十日鶴彦命
┣彦狭島命 ┃┣彦太忍信命 ┃ ┣ 11垂仁天皇┓(いくめいり彦)
┃ ┃┃(武内宿禰の父)┃ 御間城媛 ┃ ┃
┃ ┃伊香色謎命 x (大彦命の娘)┣ ┃
┃ ┣ 武埴安彦命 ━━┛ ┏迦具夜比売┃
┃ 埴安媛 ┣ 大筒木垂根王 ┃
┃ 河内青玉繋┛ 吾田媛(隼人族) ┃
┣稚武彦命(吉備の祖) ┃
絙某弟(はえいろど) ┃ ┃
┃ ┃
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛舒明天皇
┃ ┣吉備武彦━御友別 ┣賀陽皇子
┃ ┃ ┣吉備弟媛┣仲彦(上道・香屋祖)━□□━香屋采女
┃ ┃ ┣吉備兄媛┣稲速別(下道国造祖)━□━下道速津彦
┃ ┃ ┗鴨別 ┃ ┗弟彦 ┗・・・・・吉備真備
┃彦坐王 ┃ 応神天皇
┃┣狭穂彦肥長姫(蛇)┣宍戸武媛 葛城高額姫
┃┗狭穂姫命┃ ┣伊那昆能若郎女 ┣神功皇后
┃ ┣ 誉津別 ┗播磨稲日太郎姫 -122 垂仁天皇 息長宿禰王┃
11代垂仁天皇-69-70 ┣ 櫛角別王(くしつのわけのみこ) ┣両道入姫命 ┣15代応神天皇
┣ 五十瓊敷入彦 ┣ 大碓皇子(おおうすのみこ) 綺戸辺┣ 14代仲哀天皇
┃ イニシキイリヒコ ┣ 小碓尊 (おうすのみこと) 日本武尊 ┣麛坂王
┣ 12代景行天皇(大足彦忍代別天皇) -13-130 ┣忍熊皇子
┣ 倭姫命 ┣稚足彦尊(13代成務天皇) ┃ 大中姫
┏日葉酢媛命 ┣五百城入彦 ┃┣和珂奴気王┣神櫛皇子(母:五十河媛 讃岐国造祖)
┣渟葉田瓊入媛┣忍之別皇子 ┃弟財郎女 ┣稲背入彦皇子(母:五十河媛 針間国造祖)
┣真砥野媛 ┣稚倭根子皇子┃ ┣五百野皇女(母:水歯郎媛)伊勢斎宮
┣薊瓊入媛 ┣大酢別皇子┗吉備郎女 ┣豊国別皇子(母:御刀媛)日向国造の祖
丹波道主王 ┣五百城入姫 ┣武国凝別皇子(母:高田媛)
10代崇神天皇 ┣五十狭城入彦 ┣日向襲津彦(母:日向髪長大田根)
┣ 八坂入彦命 ┣吉備兄彦 ┗豊戸別皇子(母:襲武媛)
尾尾張大海姫┣八坂入媛命(やさかいりびめのみこと)
┗弟媛