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イギリスEU離脱派の勝利には「不実のアルビオン」が見え隠れ?

2016-07-05 22:10:33 | エッセイ風

すみません。ごちゃごちゃ書いてしまいました。
せっかく訪れていただいた方、せめて太文字だけでもご覧ください。

イギリスの国民投票でEU離脱派が勝利したニュース

短期的には混乱していますが、その選択がどのような意味を
持つのかは長い目で見ないと判断出来ません。
あたり前の話ですね。離脱しない可能性もありそうな気もします。

この国民投票からの報道の流れが、何と言うか、
短絡的な論調が目立つような気がしています。
もちろん、僕の見識なんて底が知れています。
でも、ど~も違和感があります。
あと出しジャンケン的な言い方ですが、
残留派が勝利するようだ、
という投票前の報道の流れから違和感が。

このことは、2000年以上も前に
カエサルが予言していたとも言えます。
「人は自分の見たいものしか見ない」 
と見抜いています。。。

閑話休題

EUの歴史と今回のイギリスの“判断”の背景がどこにあるのか?

~ 理想主義と功利主義の違いが見え隠れ ~
欧州大陸側の国々:市街戦を体験し和平の実現という理想主義
イギリス:経済など功利主義的な面を重視し欧州統合に加入

EU(欧州連合 European Union)の歩み

1952年:欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)設立
 参加国:フランス、西ドイツ、イタリア、ベルギー、オランダ、ルクセンブルク
 この6カ国が「EU原加盟6カ国」
  AKBの神セブンのような話ですね。(どっちのセブンかは知りませんが(笑)) 

 時代背景 ⇒ 戦後復興・不戦共同体の実現・冷戦時の米ソ二大国対立に埋没しない体制作り

1958年:欧州経済共同体(EEC)設立 6カ国

  ⇒ イギリスは自ら不参加と判断
   背景:イギリス連邦との経済的結びつきと米国との連携重視
   (ヨーロッパ大陸諸国との経済協力に消極的)

  1960年:欧州自由貿易連合(EFTA)設立
    EECに加盟していないイギリスなどがEECに対抗
    ↑この歴史的事実が今回の投稿の原点です

  1963年、イギリスがEECへの加盟を申請
    ⇒ ド・ゴールの反対などで却下

1967年:欧州共同体(EC)設立 6カ国

1973年:イギリス・アイルランド・デンマーク加盟

1993年:欧州連合(EU)12カ国で発足
経済統合に加え、共通外交・安全保障、司法・内務協力

2002年:ユーロ紙幣・硬貨の流通開始

2012年:EUがノーベル平和賞受賞
  戦後の欧州地域の平和安定及び協調路線の取り組みを評価

2013年:EU参加国 28カ国に拡大

2016年:EU離脱・残留を問う国民投票 ⇒ 離脱派が勝利

イギリスは
 ・EUの前身とは距離を持っていた
 ・我々が思うほどEUと深い連帯感は持っていない(多分)
 ・第二次大戦ではロンドンは大きな戦禍には見まわれなかった
  ⇒ 大陸側との理念の違い (
V2ロケットは飛んできたけど)
 ・それにしてもEU(の前身)に10年がかりで参加出来たのに心変わりするとは 

今後の交渉の流れなどは専門家でない僕にはよく分かりません。

ただ、17・18世紀、欧州大陸の列国から当時のイギリスは
「不実のアルビオン」(信用できないイギリス)
と、そのように揶揄されることがあったということは知っています。
その話はまたあとで書こうと思います。
(↑スミマセン。ググッっていただいて他サイトをご覧になった方が◎かもしれません) 


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