すみません。ごちゃごちゃ書いてしまいました。
せっかく訪れていただいた方、せめて太文字だけでもご覧ください。
イギリスの国民投票でEU離脱派が勝利したニュース
短期的には混乱していますが、その選択がどのような意味を
持つのかは長い目で見ないと判断出来ません。
あたり前の話ですね。離脱しない可能性もありそうな気もします。
この国民投票からの報道の流れが、何と言うか、
短絡的な論調が目立つような気がしています。
もちろん、僕の見識なんて底が知れています。
でも、ど~も違和感があります。
あと出しジャンケン的な言い方ですが、
残留派が勝利するようだ、
という投票前の報道の流れから違和感が。
このことは、2000年以上も前に
カエサルが予言していたとも言えます。
「人は自分の見たいものしか見ない」
と見抜いています。。。
閑話休題
EUの歴史と今回のイギリスの“判断”の背景がどこにあるのか?
イギリス:経済など功利主義的な面を重視し欧州統合に加入
EU(欧州連合 European Union)の歩み
1952年:欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)設立
参加国:フランス、西ドイツ、イタリア、ベルギー、オランダ、ルクセンブルク
この6カ国が「EU原加盟6カ国」
AKBの神セブンのような話ですね。(どっちのセブンかは知りませんが(笑))
時代背景 ⇒ 戦後復興・不戦共同体の実現・冷戦時の米ソ二大国対立に埋没しない体制作り
1958年:欧州経済共同体(EEC)設立 6カ国
⇒ イギリスは自ら不参加と判断
背景:イギリス連邦との経済的結びつきと米国との連携重視
(ヨーロッパ大陸諸国との経済協力に消極的)
1960年:欧州自由貿易連合(EFTA)設立
EECに加盟していないイギリスなどがEECに対抗
↑この歴史的事実が今回の投稿の原点です
1963年、イギリスがEECへの加盟を申請
⇒ ド・ゴールの反対などで却下
1967年:欧州共同体(EC)設立 6カ国
1973年:イギリス・アイルランド・デンマーク加盟
1993年:欧州連合(EU)12カ国で発足
経済統合に加え、共通外交・安全保障、司法・内務協力
2002年:ユーロ紙幣・硬貨の流通開始
2012年:EUがノーベル平和賞受賞
戦後の欧州地域の平和安定及び協調路線の取り組みを評価
2013年:EU参加国 28カ国に拡大
2016年:EU離脱・残留を問う国民投票 ⇒ 離脱派が勝利
イギリスは
・EUの前身とは距離を持っていた
・我々が思うほどEUと深い連帯感は持っていない(多分)
・第二次大戦ではロンドンは大きな戦禍には見まわれなかった
⇒ 大陸側との理念の違い (V2ロケットは飛んできたけど)
・それにしてもEU(の前身)に10年がかりで参加出来たのに心変わりするとは
今後の交渉の流れなどは専門家でない僕にはよく分かりません。
ただ、17・18世紀、欧州大陸の列国から当時のイギリスは
「不実のアルビオン」(信用できないイギリス)
と、そのように揶揄されることがあったということは知っています。
その話はまたあとで書こうと思います。
(↑スミマセン。ググッっていただいて他サイトをご覧になった方が◎かもしれません)