じいの徒然日記

内野聖陽さんにfall in loveしたじいのおバカな毎日を綴った日記

内野さんメモ

10/14~26 芭蕉通夜舟 東京公演
 ≪地方公演≫
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10/25  映画「八犬伝」公開
11/22 映画「アングリースクワッド」公開

モーツァルト! 2回目

2010-12-25 19:51:03 | 観劇記
12月21日の観劇記
2010年の観劇納めとなった演目です(3年前もM!で〆たんだったわ~

本当は1回きりにするはずだった今期のM!でもね~~決してもう1人のヴォルフが悪いとかチケ代を返せだのは言わないけど←言ってるのと同じか?!(苦笑)あれで観劇納めにするには少々……ね そんなわけで更に大人の深い表現が という芳雄ヴォルフを観るべく急きょ帝劇詣でしてまいりました。

今回は2階席前方に学生団体が入っていたけど、演目的に若い人たちにピッタリの作品だと思ったのであまり気になりませんでした(演目によっては雰囲気が するので避けたい…)それにやっぱり盛り上がりますね~~芳雄クン出演の舞台。客席の視線が熱かった カテコも……あはは~~ここにもオトコは愚かな生き物というのを象徴する男が約一名

最初はプリンスから無理して脱却している「頑張ってます感」が前面に出てしまって観ていて苦しかった芳雄ヴォルフ 3年前の再演の時で見せた成長と深くなった表現力に驚かされたものですが、今回は更にそれが自然な感じになって深まっていたのが良かったですね~~しかもアッキーヴォルフの最後の出演年……ちょっと表現の方向が別の方向に行きすぎちゃって理解不能&破綻しちゃってるということもなく伝えてくるものがあったので一安心 キャリアの違いがあるので比較するのは酷だと思いつつ敢えて言っちゃうけど、巧い歌じゃなくて上手い歌を聞かせてくれないとね~~観ている方が居心地が悪くなるほど何も伝わってこない“規定通りの歌”をさんざん聞かされて鼻について仕方ないという感じだったのでね~~前回は やっとこさ「観劇した」という気持ちになれました

芳雄ヴォルフの場合は生身の人間としてのヴォルフの印象が物凄く強く出ているので、アマデという天才の部分やその部分で繋がっているシカネーダーやヴァルトシュテッテンとの関係、父と子の親子or一人の人間としての愛情やエゴの関係はどうしてもスルーしてしまいがちになるんですよね~~自分自身をヴォルフに重ね合わせたり入り込んだりして「子供の立場」で親や自分の人生、外の世界のことを考えながら観ていました。1幕のIch bin Musikから既にウルウル 「このままの僕を愛してほしい」と願いながらも「僕は語ろう感じる全てを音に乗せ」る存在……この作品で、ヴォルフとアマデは時に共存し時に反発し合うんだけど、ヴォルフ自身がWie wird man seinen Schatten los?と問い続け逃れたいと願いながらも、アマデという才能の部分もまたある意味受け入れている部分があって、それもひっくるめて自分自身だと認めているところがあると思ったんですよね~~それを一番如実に、素直に、表に現しているのが最後の最後、アマデが差し出した羽ペンを受け取る場面だと思うんだけど(ここのIch bin Musikのリプライズがまた泣かされたんだわさっ)……それが分かっているからこそ!というのがあるのかもしれないけど、そういうヴォルフの中の二面性を既に1幕のIch bin Musikの段階で感じていたので泣けてきたのかもしれないな~~

ただ、2幕の方は少し勢いと今持っている歌唱力で押し切った感じがありましたね~~そういう意味では1幕の方が自然に入り込んで観劇できていたような。。。元々持っている能力の高さがあるからそれでも十分に伝わってくるものはあるのですが、まだちょっと勢いに任せて無理やりねじ込んでくるというか、根っからの説得力を持つには少し危なっかしい演じ方だな~と感じたところもなきにしもあらず。でも、その荒削りはまだまだ一皮も二皮も剥ける余地/可能性を意味していると思ったのよね 生身の人間としてのヴォルフと才能の部分のアマデ、そのどちらもがモーツァルト自身を形作っているもの。その振り幅のどちらか一方のみなら深く表現できているんだけど、そのバランスと複雑さ、同時性、そういったところがまだまだちょっと甘いのかな~と敢えて
厳しい目で

前回はマシだと思ったコンス、今回はミューな歌い方がこなれている芳雄ヴォルフが相手だったせい?歌メインな歌手っぽい歌い方が戻っていて勘弁!という感じでした コンサートの一場面として切り取るなら成立しているのかもしれないけど、舞台ならそんなものは逆に不必要なわけで…… それにコンスの重層的な女性像が全く表現できてないのをつくづく感じたというか ヴォルフとは違った意味で相反するものが同居する女性だと思うんですよね。普通の男女として愛し合いたい部分、天才を支えインスピレーションを与えたい存在……と、後者の方はアマデを抱える者にとっては間違った?絶対に無理な??愛情なんだけど Dich kennen heißt dich liebenでは で萌え~な良い気持ちにさせてくれつつ、Irgendwo wird immer getanztでは相反する激情と切なさを感じさせてほしいのよね~~そこがコンスタンツェという女性の魅力であり存在感でもあると思うから。

もう一人のダブルキャスト、、、香寿ヴァルトシュテッテン男爵夫人。普通のセリフや演技(特にヴォルフとレオポルトの争いのシーンは良かった)は大仰な台詞回しのもう一人の男爵夫人より遥かに良かったんだけど、歌はちょっと気になったんですよね~~前回に引き続き2階席で観劇したせい 帝劇の音響の悪さが目立ってマイク音のボリュームが凄いし耳を塞ぎたくなる時もあってね~~そんな中でマイク使いの上手さ&慣れでこなれたような歌に聞こえて平面的に感じたので。

そうそう、あと前回も感じたことだけど、M!のナンバーってソロもいいんだけどアンサンブルの曲がいいんですよね~~今回はどーにもちょっとレベル しているように感じました。音符が迫ってくる感じがなくて……中でも超気になったのが2幕冒頭のHier in Wien! じい、この曲が大好きなんですぅ~~あの拍子が変わるゾクゾク感が堪らなくて でも今回は妙にスローテンポだからリズム感の面白さが活きていなかったのが至極残念

言いたい放題しちゃったけど、前回のM!ではどーにも2010年を締めくくれなかったので、こっちで観といて正解 6月のコンサートの記憶で補った部分がかなりあったけど、M!という作品の魅力を初めて実感したような、そんな今期のM!でした。
コメント
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