行きかふ年もまた旅人なり

日本の歴史や文学(主に近代)について、感想等を紹介しますが、毎日はできません。
ふぅ、徒然なるままに日暮したい・・・。

蒼天航路

2008-03-27 23:00:37 | Weblog
 1994年~2005年、週間モーニングに連載された曹操孟徳を主人公にした漫画。正史「三国志」は晋の史家・陳寿の著作で、『史記』・『漢書』・『後漢書』に続く4番目の正史である。三国の歴史を『魏書』、『蜀書』、『呉書』に分け、それぞれの国のトップや臣下の事跡を紀伝体で記している。この中で皇帝の一代記である「紀」は『魏書』あるだけで、『蜀書』、『呉書』には臣下などの事跡を記す「伝」のみである。晋は魏より政権を引継いでいるため、魏が正当でなければ晋王朝が正当ではなくなる。そのため、実際には皇帝にならなかったが、曹操を「武帝紀」としている。劉備は「先主伝」であり、孫権にいたっては、単に「孫権伝」と臣下並の扱いである。陳寿は、三国とも公平に記したが、簡潔で細かいエピソードが省かれている。その後、南北朝時代に裴松之(ハイショウシ)が諸書より資料を集め、史実を補完した。これが現在に流布する「三国志」である。
 『蒼天航路』は、小説であるところの悪玉=曹操、善玉=劉備にとらわれず、悪玉と評された人物が果たして本当に悪人なのか、という姿勢から描かれている。たった1代で、広大な中国の3分の2を支配下に置いた事は、やはり英雄と評すべきであろう。作品は、曹操の1代記で、曹操の死まで描かれる。曹操が人間と土地から新しき体制を創設し行く人物に対し、「神」に昇りつめた人物・関羽雲長との対比が興味を惹く。関羽の死に際し、丁重に国葬を営む曹操は、関羽の死を羨む場面がある。神として崇められ、後世に渡って祀られる関羽と、人間として亡くなっていく曹操自身を比較している。作者も、神になってしまった関羽に最大の敬意を払いつつ描いている感がある。また、劉備がいかにも人間くさく描かれ、小説のような聖人君子ではない。ヤクザの親分のような表現である。諸葛亮は曹操にとって、劉備の幕僚に過ぎない印象で描き続けている。後の晋王朝の礎を築いた司馬懿(シバイ)も曹操時代には、殆ど閑職に置かれていた。この辺りの経緯は、NHK人形劇三国志で、曹叡が北伐の蜀に対抗できる人物が司馬懿(シバイ)しかおらず、止む無く起用する事に際し、述懐している。「お祖父様(曹操)は司馬懿(シバイ)の鷹のような鋭い目付き(から底知れぬ野心を抱いている事)と、深慮遠謀な頭脳を見抜いていた。だから、文書整理のような閑職に置いていたのだ」と。そのため、曹操の活躍する時代には全くと言って良い程、無名であった。

 小説のイメージと全く異なる三国志。新訳三国史と思って読む事が出来る。
 
 この漫画の見せ場は数多くあるが、個人的には曹操対張繍の賈詡(カク)との応酬が最も印象に残っている。

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