行きかふ年もまた旅人なり

日本の歴史や文学(主に近代)について、感想等を紹介しますが、毎日はできません。
ふぅ、徒然なるままに日暮したい・・・。

2008-04-20 00:30:34 | Weblog
 池波正太郎や司馬遼太郎の作品で、忍者を題材にしたものが幾つもある。
 
 服部半蔵、百地丹波、風魔小太郎らは名前が残っている。忍者、というのは果たして本物なのだろうか。現代の我々からは想像の付かない人々であったろう。忍者と言っても、それぞれに役割があり、情報収集を専門にする者、戦場での攪乱を専門にする者・・・。いずれも日の目が当たらない闇の存在である。
 
 服部半蔵、風魔小太郎は首領の名前で、代が変わってもこの名前は引継がれる。

 風魔小太郎は小田原北条家に仕え、箱根を本拠としていた。主家滅亡後江戸に散り、やがて吉原を開設し、その運営に当たったと言う。首領の小太郎は口が耳元まで裂け、犬歯が飛び出し、身長が2メートル以上の異様な容貌をしていたと言うが、誰も小太郎を見た者は居なかった。恐らくこうした噂を流布し、実態が分からないようにしていたのだろう。
 服部半蔵は徳川家に仕え、信長に切腹を強要された家康の長男・信康の介錯を行ったという。泰平の世となると、忍者はもはや不要のものとなった。給金に納得しない半蔵の部下達が反乱を起こし、鎮圧され忍者は消滅する。

 忍術は人間の心理に影響して初めて役に立つ技で、幻術もその類ではなかろうか。戦国期、個人名が残っているのは2人いる。飛び加藤と果心居士。「飛び加藤」は漫画「花の慶次」に登場するが、上杉家や武田家の記録にもある。「果心居士」は主家乗っ取り、将軍殺害、東大寺大仏を焼き払った、極悪の限りを尽くした松永久秀の居城に住んでいた。主家である三好義興の毒殺、また、三好一族の一人が厠で変死した事があった。暗殺も果心居士が行っていたのではないだろうか。果心居士は僧籍に居た事があるため、寺の記録にも残っている。

 確かなのか不確かなのか分からない存在だからこそ、惹かれるものがある。

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