行きかふ年もまた旅人なり

日本の歴史や文学(主に近代)について、感想等を紹介しますが、毎日はできません。
ふぅ、徒然なるままに日暮したい・・・。

読書記4 『杜子春』

2007-11-25 22:55:45 | Weblog
   「杜子春」(芥川龍之介 著)
―杜子春はもともと金持ちの息子だが、すっかり財産を使い果たし、唐の洛陽の西門の下で死んでしまおうか、と佇んでいると、鉄冠子という老人が現れ、一夜にして大金を渡す。それで杜子春は金持ちとなったが、3年あまりで使い果たし、再び無一文となる。そこでまた、洛陽の西門で佇んでいると、やはり鉄冠子が現れ、また大金を渡す。しかしまた3年で使い果たし、再度鉄冠子が大金の場所を教えようとすると、杜子春は「人間は薄情で、大金持ちの時は世辞も追従もするが、いったん貧乏となると、見向きもしなくなる。もう、これでは何にもならないと思う」と鉄冠子に話し、弟子にして欲しいと頼み込んだ。彼は仙人で、峨眉山に連れて行き、「何があっても決して声を出すな」と言い残して消えてしまった。取り残された杜子春に次々と災難が訪れ、地獄で責められるが、一言も発しなかった。その様子を見ていた閻魔大王は、畜生道に堕ちていた杜子春の父母を、鬼達に鉄鞭で打ち据えさせた。杜子春はそれでも一言も発そうとしなかったが、「心配をおしでない。私達はどうなっても、お前さえ幸せになれるのなら、それより結構なことはないのだからね。大王が何とおっしゃっても、言いたくないことは黙っておいで」と母の微かな声を耳にした。その言葉に、杜子春は涙ながらに「お母さん」と叫んだ。
 
 気が付くと、杜子春は洛陽の西門の下にぼんやり佇んでいた。
 
 鉄冠子は、「もしお前が黙っていたら、おれは即座にお前の命を絶ってしまおうと思っていたのだ。お前はもう仙人になりたいという望みも持っていまい。大金持ちになることは、もとより愛想が尽きたはずだ。ではお前はこれから後、何になったら好いよ思うな」と問いかけると杜子春は「何になっても、人間らしい、正直な暮らしをするつもりです」と答えた。―

 本当に大切なものは何か?を考えさせてくれたのと同時に、明日への希望が沸いてくる、読み終えてサッパリした感想です。 

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