行きかふ年もまた旅人なり

日本の歴史や文学(主に近代)について、感想等を紹介しますが、毎日はできません。
ふぅ、徒然なるままに日暮したい・・・。

浮世絵

2008-03-20 00:53:23 | Weblog
 切手のデザインとして頻繁に採用された浮世絵。菱川師宣が浮世絵の開祖と呼ばれ、江戸時代の庶民にとって大きな楽しみの一つであった。初期は江戸の師宣、上方の祐信(西川祐信)から始まり、北斎や広重で全盛を迎え、やがて日露戦争頃にその役割を写真に譲った。
 数多くの浮世絵師が世に出たが、後世、絵画にまで影響を与えた偉大な絵師がいる。人物像や風景画、特に風景画は江戸後期、旅行ブームと相まって北斎、広重は爆発的な人気を博した。浮世絵の歴史には六代絵師と称される人物がいる。
 まず三大美人画絵師。
①鈴木春信(1725~1770)は祐信に学び、錦絵(多色摺り版画)創始者として知られている。清純で可憐な美人画。

②鳥居清長(1752~1815)は春信の清純可憐に対し、東洋のヴィーナスと呼ばれた八頭身の美人像を創り、色彩感覚に優れた。

③喜多川歌麿(1753~1806)。その名声は生前から中国まで及んだ。女性の姿態、衣装表現のみならず、その心理をも描き、後世に与えた影響は大きい。歌麿を超える美人画絵師は遂に現れなかった。

 そして、北斎と広重
④葛飾北斎(1760~1849)は、「富嶽三十六景」に代表される風景画、花鳥画で次々と傑作を発表し、その作風は当時から超一級と評価されていた。

⑤歌川広重(1797~1858)は、安藤広重としても知られているが、本姓が安藤氏。「東海道五十三次」は説明不要の大傑作。北斎と広重の影響は、ヨーロッパの印象派にも影響を与えたという。北斎、広重の作品を見ると、その構図、色使いと駄作が無い。個人的には広重の方が好みのようである。

⑥東洲斎写楽(?~?)は、活躍時期が1794年~1795年の僅か9ヶ月。かつ、その間に144点の作品を発表している。正体が謎の絵師である。蔦屋十三郎が版元となって世に送り出した。蔦屋は経営感覚に優れ、歌麿を見出して世に送ったのもこの人物で、一説では、写楽の正体、とも言われている。写楽は20世紀に入り、海外で次第に評価が高まり、今日では浮世絵を語る上で欠かせない絵師である。

 これら絵師の画像をアップしたいところだが、とりあえず、文章のみ。

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