行きかふ年もまた旅人なり

日本の歴史や文学(主に近代)について、感想等を紹介しますが、毎日はできません。
ふぅ、徒然なるままに日暮したい・・・。

『石鹸』~壮心の夢~より

2016-12-18 23:31:20 | Weblog
 以前、読書記として『壮心の夢』を紹介した。14名の武将を中心とした短編集であるが、実は、互いに関係があり、1編1編で完結しているように見え、互いに関連している。
今回紹介する、石鹸(シャボン)の主人公は石田三成。作中、前野長康や今井宗久、神屋宗湛らが登場するが、これら3名も短編集の1つとして収録されている人物である。

 潔癖性の三成は、神屋宗湛より石鹸を贈られた。日本にもたらされたのは、この時期の南蛮貿易からであり、三成から宗湛への返書に登場するのが初めてであろう、とされる。
三成は、京に囲っている摩梨花という女性に石鹸を使わせてみようと、京に向かう。その際、何者かに狙撃され負傷する。容疑者として思い浮かぶのは、加藤清正、徳川家康、千利休の遺族、そして、摩梨花。摩梨花は、前野長康の娘で、長康は秀次事件で切腹して果てた。筆頭後見人という立場上、潔癖であったとしても責任は免れまい、そう覚悟した長康は弁明をせず、切腹を受け入れた。その娘、摩梨花は三成を恨んでいたが、それ以上に慕っていた。

 やがて前田利家が病没し、いよいよ徳川家康が天下取りに堂々と動き始めた。

家老である嶋左近は家康暗殺を示唆する。しかし、三成は盟友である小西行長や長束正家らの相談の上、事を運ぼうとし、時期を逸してしまった。
この動きは、家康側に察知され、三成は佐和山で隠居することとなった。

 会津の上杉景勝征伐のため東征に向かった家康の背後で三成は挙兵した。必ず勝てると見込んだ戦を仕掛けた。関ヶ原では、鶴翼に陣形を敷き、徳川軍を包囲する形だった。後に明治維新に来日したドイツ軍参謀メッケルは、この時の配置図をみて、「何度戦っても西軍が勝つ」と断言した。それほどの必勝を期した戦いであった。また、徳川の主力は戦場から遠く離れた上田に釘付けにされていた。
 しかし、翼が折れては鶴翼の陣形は体を為さない。小早川の寝返りにより勝敗は決した。嶋左近、舞兵庫、いずれも三成軍の中で双璧を為した参謀的人物を失った。それでも、三成は諦めず再起を賭け、伊吹山中を彷徨っていた。

 再起叶わず、捕えられ、京都で処刑される直前、群衆の中から石鹸の差し入れをした妙齢の女性があったという。

 正義や潔癖、大義名分も間違いなく三成にあったろう。しかし、その清潔すぎる生き方、戦い方が仇となった。

本編には記されておらず蛇足になるが、関ヶ原合戦前、島津義弘から、徳川軍が関ヶ原に到着したその夜、直ちに夜襲を掛けるよう勧められたが動かなかった。かつて、保元の乱が夜襲で決着がついたこと事を知らないわけではなかったろうが、潔癖な性格が、正々堂々と白昼に撃破する戦をイメージしたのだろう。

 本書に収録された14人全員ということはできないが、折を見て紹介してみたいと思う。