行きかふ年もまた旅人なり

日本の歴史や文学(主に近代)について、感想等を紹介しますが、毎日はできません。
ふぅ、徒然なるままに日暮したい・・・。

越前宰相

2008-03-10 00:24:01 | Weblog
 徳川家康の次男として、秀忠の兄でありながら豊臣家、結城家へと養子に出され、武将としての資質に恵まれながら鬱屈した人生を送ったようである。矯激な性格をしていたとも言われる。徳川家にはどうもこの手の血が多い。長男信康、次男秀康、秀康の子・忠直、また、家光にも矯激な性格があった。気が荒く、一度怒ると手を付けられない、家康の家系にはこの手の傾向がよく出た。秀忠は一部の小説では腹黒く、陰湿残忍な描かれ方がなされているがどうであろう。家康は自分の血統に狂気じみた血が流れやすいのを知っていたのかもしれない。だから次男の秀康を指名せず、他の兄よりも穏やかな性質の秀忠を指名したのだろう。その結果もあり、徳川は太平の世を築く礎を作った。