フィクションのチカラ(中央大学教授・宇佐美毅のブログ)
テレビドラマ・映画・演劇など、フィクション世界への感想や、その他日々考えたことなどを掲載しています。
 



 テレビドラマ『時間ですよ』は、6年前に亡くなった女優・森光子の代表作であり、1965年から何度もシリーズ化された有名ドラマ作品です。私がリアルタイムで主に見ていたのは、1973年放送の第3シリーズで、その頃私は中学3年生から高校生になる時期でした。
 テレビドラマ研究者としては、その他のシリーズについても、多少調べたり視聴したりはしていますが、このところBS12チャンネルで第2シリーズから放送されていたのに機会に、この作品をかなり視聴しました。そこであらためて感じたのは、私がリアルタイムで見ていた印象が強すぎて、そのときの印象にかなり引きずられていたということです。
 私の記憶の中にある『時間ですよ』は、かなりコメディ色の強い作品でした。堺正章演じる風呂屋の健ちゃんは、完全なお笑い担当で、同じ勤めの悠木千帆(その後の樹木希林)も「釜田さん!」はじめ、多くの笑いを提供してくれました。藤竜也と篠ひろ子の部分はけっしてコメディではないものの、そこだけ深刻ぶって描いているところが、かえってパロディめいていて、笑いを誘ったようにも思います。
 それが今回第2シリーズを見直してみて、自分が主に見ていたシリーズのコメディ色強い印象よりも、もっと「しみじみ」とした、寂しさとあたたかさが半ばする深い味わいのあるドラマだったのだと再認識しました。それは第2シリーズ全体の雰囲気でもありますが、中でも特に向田邦子が脚本を担当する回にその特徴が強いと感じました。
 たとえば、第50回(第2シリーズの20回目)。銭湯を営む松野祥造とまつの夫婦は、サラリーマンになった一人息子の一郎とその嫁の芙美と同居中。その一郎が成長して、祥造は近所の飲み屋での女性に家に送ってもらうのに対して、一郎は会社の経費で銀座で接待。いやでもその差が目立ちます。また、祥造へ届くお歳暮よりも一郎に届くお歳暮が年々増えて、今年ははるかに一郎の分が多くなります。そのときの祥造とまつの気持ちは複雑です。息子の成長が嬉しいものの、自分たちが老いて小さな存在になってしまうような、そんな寂しさにもおそわれます。
 子の成長を喜びながらも寂しい、寂しいけれども息子が頼もしい、そんな親の複雑な気持ちと、その気持ちを思いやる息子夫婦のやさしい思いやりがしみじみと伝わってきます。
 放送されてから45年以上も経ってからこの作品を見直してみて、その細やかな描き方にうならされる思いがしました。今の新しいドラマを見ていくのも楽しみですが、古いドラマを見直すことの良さを、この『時間ですよ』を見直してあらためて感じさせられました。

※このブログはできるだけ週1回(なるべく土日)の更新を心がけています。



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