フィクションのチカラ(中央大学教授・宇佐美毅のブログ)
テレビドラマ・映画・演劇など、フィクション世界への感想や、その他日々考えたことなどを掲載しています。
 



 やけに弁の立つ弁護士が学校でほえる (NHK土曜日20時15分~、全6回)の放送が終了しました。学校が舞台となるテレビドラマは昔から数えられないほどありますが、それらとは一線を画する作品になっていたと思います。
 過去の作品と明確に異なるのは、まず弁護士が主人公になっているということ。以前の学校には、「学校で起きたことは学校の中で解決する」という暗黙の了解がありました。それだけ教員が責任を持っていたという言い方もできますし、生徒も親も教員に従わざると得なかったから問題が表面化しなかっただけという言い方もできます。しかし、1980年代に入って校内暴力が顕在化し、警察の助力が必要になると、もはや「学校で起きたことは学校の中で解決する」という暗黙の了解が成り立たなくなります。その傾向は年々高まり、現代には弁護士の助力も借りなければならない…というのがドラマの背景となる状況です。
 さらに他の学校ドラマと異なる点があります。それは、学校の実態が実によく捉えられているということです。もちろん、ドラマだから単純化もありますし、誇張もあります。しかし、私が言いたいのは、現在の学校の本質的な課題がこのドラマの中で示されているということです。
 その端的な例が第2回です。ここで、これまでの学校の指導のあり方を守ろうとする教務主任・三浦雄二(田辺誠一)と、それに反対するスクールロイヤー田口章太郎(神木隆之介)が対立します。そのやりとりが以下の言葉です。


(田口)
まるでおとぎ話、桃太郎だ。宇野先生たち教師は犬、猿、雉だ。きびだんご一つで過労死のリスクをかかえて過重労働をやっている。そして、それを率いる桃太郎はあなただ。リスクを承知でやらせてる。あなたはリーダーに向いていない。他の先生方のためにも、教務主任やめてもらえますか。あなたが休まずに働けば、他の先生たちもそれに従うしかない。あなたのような自己犠牲を払ってでも生徒たちに向き合う教師が現場の舵をとるべきではない。

(三浦)
桃太郎じゃなくて、あれはカチカチ山だったかな。最後に沈むのは、あれ泥船でしたね。今の学校が泥船だっていうことは自覚しています。でもだからといって、今すぐ誰かが新しい舟を作ってくれるんですか。私たち現場の教師にできることは、一丸となって泥船の穴をふさぐことだ。泥船であっても生徒が乗っている限り、沈ませるわけにはいかない。間違ってますか。私がやってること。


 このやりとりにはうならされました。現在の学校の働き方が間違っていると指摘する田口が正しいのと同時に、間違っていてもそうするしかないと覚悟を決める三浦もまた正しいのです。どちらかの見方だけを表に出して、もう片方を敵役にするような、よくありがちなドラマの作り方とは、この作品は根本的に異なっています。

 最後まで見ていない人のために結末は書きませんが、終わり方も、いじめた側といじめられた側のどちらかにだけ立つような結末ではありません。私は学校関係者であるだけに、学校ドラマには厳しい面もあるのですが、この作品は、ここまで書いてきたような意味で、これまでの学校ドラマにない重要な意義を持っていたと感じました。


※このブログはできるだけ週1回(なるべく土日)の更新を心がけています。



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