フィクションのチカラ(中央大学教授・宇佐美毅のブログ)
テレビドラマ・映画・演劇など、フィクション世界への感想や、その他日々考えたことなどを掲載しています。
 



 私の夏休みはまだ来ていませんが、少しだけ休日があったので、たまっていたDVD録画のうち、前クールの深夜ドラマ『やれたかも委員会』を見てみました。
 このテレビドラマは、吉田貴史の漫画作品が原作で、今年になってインターネット配信版も作られ、今年の4~6月には地上波版として8回放送されました。私はテレビドラマ研究者として、どのドラマもなるべく(少なくとも数回は)見るようにしているのですが、この作品は録画しただけで見ないままでした。校務多忙だったことも理由の一つではありますが、なんせタイトルは『やれたかも委員会』ですからね。あまりまともなドラマとは期待できず、見ないまま今になってしまいました。
 ようやく前期の授業も終わり、そろそろDVDレコーダーのハードディスクを整理しないといけなくなって、この『やれたかも委員会』を見てみたところ、これがなかなか深い話でした。毎回一人の相談者がやってきて、3人の委員の前で思い出を語り、「あのとき、やれたんでしょうか」と相談するのに対して、3人の委員がそれぞれ「やれた」または「やれたとは言えない」の札を上げる、という展開をとります。
 番組タイトルの「やれたかも」って、要するに「あのときセックスできたかも」っていう話です。身も蓋もない、えげつない話です。ただ、ここから考えられるのは、一つは「性をめぐる問題では明示されない部分が大きい」ということ、もう一つは「過去の記憶とどのようにつきあって生きていくかがいかに重要か」ということです。
 近年のセクシャル・ハラスメントをめぐる意識の変化に対して、フランスの有名女優カトリーヌ・ドヌーヴが「誰かを口説こうとするのは(たとえそれがしつこくても、あるいは不器用なやり方でも)犯罪ではない」「(男性の)口説く自由は認められるべきだ」という発言をして物議をかもしました。その発言はやや拙劣ではあるものの、性をめぐる関係においては、これはよい、これはいけないと明示できない部分が多くあります。つまり、デジタルゲームのように点数化されたり、YesかNoかで決めたりできないことがほとんどです。今日告白したらNoでも、来週告白したらYesになることだってあり得ます(ほとんどの場合は、今日ダメならいつでもダメですが、あくまで可能性の問題として)。だからこそ、過去にどうすべきだったかに正解はありませんし、それは多くの人に共通する悩みであり、自分の過去を顧みたときに考えさせられる深い話になってくるのだと思います。
 また、過去の記憶とどのようにつきあっていくのか。それもまた多くの人に共通する重い課題です。いうまでもなく、記憶は事実ではなく、心の中で時間をかけて作られるものです。岩宮恵子『思春期をめぐる冒険 心理療法と村上春樹の世界』にたいへん興味深い例があがっていて、高校時代の学園祭の記憶が他のクラスメートとまったく違ってしまっていたケースが紹介されています。
 人は多かれ少なかれ、自分の過去を自分の都合のよいように作りかえて生きています。しかし、この番組では、自分の過去について引っかかっていて消化しきれない出来事を、他者に話し、意見を聞いてその意味をとらえ直していくところに意味があります。
 『やれたかも委員会』というあまり感心できないタイトルに影響されて、最近までこの作品を見てきませんでしたが、なかなか深くて考えさせられる課題を提供している作品だった…。そんな印象を遅ればせながら持ちました。近年のテレビドラマはつまらない、という人も多いのですが、まだまだ面白い工夫の余地はあると考えさせられました。


※このブログはできるだけ週1回(なるべく土日)の更新を心がけています。





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