フィクションのチカラ(中央大学教授・宇佐美毅のブログ)
テレビドラマ・映画・演劇など、フィクション世界への感想や、その他日々考えたことなどを掲載しています。
 



 皆さま、この連休(ゴールデンウィーク)をいかがお過ごしでしたでしょうか。
 私はこれまであいかわらずの校務多忙だったので、この連休は特に遠出もせず、休養とたまった仕事を減らすのに努めました。
 その間はいつもよりテレビやネットニュースを見られたので、その感想を簡単に書いておきましょう。

 まず、この間にテレビをつければ必ずといってよいほど放送していたのがTOKIOの山口達也の事件のこと。事件そのものは連休前の話題でしたが、連休の間はTOKIOの他の4人の記者会見(謝罪会見?)が毎日のように放送されていました。テレビをつければ、どこかの局で必ず放送されていたくらいです。
 4人の気持ちはよくわかります。20年以上も一緒に活動してきたメンバーの不祥事があったのですから、つらい気持ち、複雑な気持ちが生じるのは当然で、それが会見に出ていました。特に松岡の強い言葉が、テレビやネット上で賞賛され、好意的に受けとめられているようです。
 それは私もそう思うのですが、4人の持った気持ちとは別に、この会見の背後にある意図、しくみもまた強く感じられました。つまり、あの会見で視聴者に送ったメッセージは「山口達也一人が悪いし、甘えている。他の4人のメンバーは事態を重く受け止めている。山口一人を切り離せば、4人に責任はない。」ということだったと思います。それは4人が意図していることではなくて、4人の会見を設定していることの意味だと思います。
 そもそも、被害者は会見を望んでいなかったとか。だったら、世間で言われている謝罪会見ではそもそもないわけで、何のための会見かといえば、上記のようなことを確認するための会見だったのは明らかでしょう。
 また、謝罪会見するのがなぜ4人なのか、という点をネット上で書き込んでいる人も少なくありませんでした。その疑問も当然でしょう。4人は、山口と同じグループTOKIOのメンバーではありますが、山口の上司でも管理者でもありません。謝罪するなら、ジャニーズの上司か責任者が出てくるべきです。社長のコメントだけが読みあげられて、画面に登場するのがTOKIOの4人だけだというのは、山口のためでも被害者のためでもなく、先に書いたように「山口達也一人が悪いし、甘えている。」ということを印象づけ、他の4人も事務所も悪くない、ということ視聴者に感じさせ、これからの仕事を進めるためのけじめをつける会見だったということになります。

 念のために言いますが、だから、あのような会見はダメだとか、やってはいけないとか、そういうことを言っているのではありません。むしろ、意図を正しく反映した、よく出来た会見だったという印象があります。ただし、文章の行間を読むのは文学研究者の仕事ですし、メディアから伝わってくるものの意味を読み解くのは研究者の務めです。目の前の画像、聞こえてくる言葉の背後に何が託されているのか、それを考えることの重要さを、この騒動の中であらためて感じました。


 他にもいろいろな話題がありましたが、全部書いている余裕がないので、ほんの短いコメントだけ。

 卓球世界選手権。ときどきですが見ました。驚いたのは、女子の準々決勝で韓国対北朝鮮の対戦がなくなり、急きょ統一チームが結成されたこと。競技のルールからいったらあり得ないことのはずですが、スポーツが政治とは切り離せないのは現代ではもはや当然のことで、今回のことはその一つのあらわれでしょう。政治的に重要なことであれば、超法規的措置が許されるということです。表面的に見れば統一チームの結成はめでたいこと。同じ民族の二つの国家が一つのチームになるのは美しいこと。それは確かです。しかし、政治的な課題はまだ多く残っています。今回の統一チーム結成が、本当に世界の平和や安定に貢献するのか。それは、まだまだ先を見てみなければわかりません。

 メジャーリーグの大谷翔平の活躍。私も嬉しく見ています。ただ、こちらも手放しでは喜べません。私は、指名打者制のあるアメリカンリーグを選んだことが最大のポイントだと思っています。現在のように、投手でないときは指名打者で出場する、というのが大谷選手の戦略。これはかなりの賭けです。たしかに大谷選手は打者としても活躍していますが、指名打者というのはそのチーム最高の打者であるのが当然のポジション。簡単にいえば打って当たり前。反面、投手が打席に入るナショナルリーグなら、その打撃成績は相手チームの投手の打撃成績との差だけ、チームの有利になります。今は好調だからよいのですが、少しでも調子が下降したとき(あるいは監督が代わったとき)、今の指名打者のポジションを維持できるのか、打者として出場し続けられるのか、そこが最大の鍵になると私は思っています。

 今年はノーベル文学賞を決めず、発表を見送るとか。私は、村上春樹研究者でもあるので、けっこう授業や講演のネタと関係があります。ノーベル文学賞を決定しているのは、スウェーデンの王立アカデミーに所属する終身会員たち。といっても、その人たちだけで世界中の文学作品を読みつくすことはできないので、実際には世界各国に推薦者を依頼しています。それでも、最終的にはその終身会員たちの中から委員が出て、それらの推薦作品を(ときには翻訳で読んで)候補作を絞ります。こういうたいへんな選考をおこなう人が、死ぬまで務める「終身」会員でよいのか、ということは以前から思っていました。今回は不祥事に関連する決定ですが、これを機会に選考制度を見直すことも必要だと私は思います。


※このブログはできるだけ週1回(なるべく土日)の更新を心がけています。



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