フィクションのチカラ(中央大学教授・宇佐美毅のブログ)
テレビドラマ・映画・演劇など、フィクション世界への感想や、その他日々考えたことなどを掲載しています。
 



 12合同研究会

 大学院の合同研究会に出席してきました(9月2日開催)。

            
 この研究会は、早稲田大学(教育学研究科)、日本大学(文学研究科)、中央大学(文学研究科)で日本の近現代文学を研究している大学院生たちの合同研究会です。もともと早稲田大学と日本大学でおこなっていた研究会に、昨年から中央大学も参加させていただいたという経緯です。
 今回の会場は早稲田大学14号館で、たいへん真剣な研究発表がおこなわれ、私たち参加した教員も一生懸命アドバイスをしました。今回のプログラムは次のようなものでした。

10:30~12:00 ポスター発表
13:00 宮脇正一郎(早稲田大学)
     横光利一の欧州体験――「憂鬱」と「日本人であるといふこと」
13:30 大熊達也(早稲田大学)
     宮本武蔵の大衆認識――吉川武蔵以前の描かれ方
14:00 東雲かやの(早稲田大学)
     「読むこと」の正体――川端康成『無言』論
14:30 舩山修平(中央大学)
     『狂つた一頁』と芸術映画の〈領土性〉――同時代の映画批評を中心に
15:30 古山綾子(中央大学)
     柳美里作品の家族像の変化 ――「フルハウス」を中心に
16:00 川口玲菜(日本大学)
     内田百『山高帽子』におけるプロットの不在
16:30 渡部敦(日本大学)
     円城塔「良い夜を持っている」をめぐって――「記憶の街」と読書する身体

 閉会の挨拶で石原千秋さん(早稲田大学)がこの会の意義を2点語っていました。一つはこの研究会で発表することを励みに大学院生が研究に精進すること。もう一つは、他の大学の先生のアドバイスの仕方を聞いて、教員の指導の参考になること。確かに院生にとって、午後の研究発表だけでなく、午前のポスター発表まで含めて参加者全員が何らかの発表をしますので、自分の研究をアピールするたいへんよい機会になったようでした。教員である私にとっても勉強になったことは、石原さんのおっしゃる通りでした。
 中央大学はまだ参加して間もないので、軌道になるまでもう少し時間がかかるかもしれませんが、この合同研究会を通して、学内の研究活動がさらに活発になるといいと感じました。

12合同研究会
懇親会の最初の様子。
千葉俊二さん(早稲田大学)の挨拶を真面目に聞いている皆さん。
その後、お酒が入ってからどうなったかはちょっと公開できません。



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    12三重

 三重県に出張して、高等学校で国語を教える先生方の研究会に出席してきました(8月31日)。
            
 正式な会合名は、三重県国語教育研究会・教材開発小研究会というもので、教科書に掲載されていない文章による独自の教材を考えている先生方の研究会合です。
 そこに講師として招いていただきました。私は文学研究者ですが、国語教科書についての論文・講演録などもかなり発表していますし、明治書院の国語教科書の編集委員も長く務めています。ですので、今回はその両方の立場を考えて、「国語教科書の小説教材をめぐって」というお話をさせていただきました。現状の教科書の小説採録がどのようにおこなわれているかと、その状況の中で独自に教材を選定する場合に何が必要かということを考えてみました。
            
 ここ数年、国語の先生方の前でお話をする機会が増えてきました。その多くは「講演」の形ですので、まとまったお話ができる分、私からお伝えする方向が中心になります。今回は15人ほどの少人数の会ということで、私から1時間ほど話をさせていただき、その後2時間以上、高校の先生方と質疑応答や意見交換をすることができました。
 講演の形でお話をさせていただくこともたいへん光栄ですが、一方で、こうした十分な時間をとって国語の先生方と意見交換できることは私にとってたいへん有意義なことでした。
 私は国語教科書について、論文を書いたり講演をしたりしていますが、国語の教員として勤務したのは、遠い30年ほども前に、2年間非常勤講師として勤めたに過ぎません。言うまでもないことですが、教室の状況も生徒の反応も年々変化しており、その変化を、こうした機会を通じて知ることができるのはたいへんありがたいことです。
 今回は、三重県のたいへん熱心な先生方とじっくりお話をすることができて、今後も国語教科書や国語教育について考えていく重要な機会を与えていただいたと感じました。今回、招いていただいたことと、活発な意見交換をさせていただいたことに心から感謝したいと思います。
            

  12おかげまいり
   (伊勢神宮近くで買ったおみくじ付き「おかげまいり犬」)




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 ブログに書くことはさまざまあったのですが、忙しくてブログをぜんぜん更新していませんでした。まとめて書きます。
 まずは墓石を立てたこと。
            
 昨年9月4日に父・宇佐美松玉がなくなったことはこのブログにも書きました。(→ 「父・宇佐美松玉のこと」 
 父は次男だったので、自分の墓を持っていませんでした。そこで、本家と同じ麻布の寺の墓地に墓所を購入していました。ただ、墓石は作っていなかったので、先日の父の一周忌に間に合うように私が墓石を注文して、新しく立ててもらいました。

 墓石を作ってもらうなんて、あったとしても一生に一度のことです。どういう気持ちかと聞かれても、何か複雑な気持ちでよくわかりません。「自分も死んだらこの墓に入るんだなあ」とは思いました。
 昨年に父が亡くなってから、その後の葬儀や相続の手続きなどに膨大な時間をとられました。ですから、この墓石を立てて、父の死後の一連のことが、「ようやく終わったあ」とも思いました。もしかしたら、これが私の一番正直な気持ちかもしれません。
            



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