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ドイツのケルンに行ってみた (27)

2016-04-07 08:13:49 | ドイツ関連
早速ですが、「ドイツのケルンに行ってみた (26)」の続きを。

ハインリヒ・ベル広場をうろうろしていたらあっと言う間に10時が近づいてきたので、小雨の中、ケルン市ナチス記録センター (NS-Dokumentationszentrum Köln, EL-DE-Haus) に歩いて向かいました。ちょっと道に迷いましたが、なんとか10時過ぎに到着。



入場料を支払い、英語版のオーディオガイドを借りてまずは地下1階に。ここは1935~1945年にゲシュタポ (秘密国家警察) のケルン支局が置かれていた建物で、当時反ナチス運動に関わったとされる人や、スパイ疑惑をかけられた人などが勾留されていました。壁に残された落書きがドイツ語と英語に翻訳されており、当時勾留されていた人々の声なき声が聞こえてくるようでした。



その中でも恐らく最も長文で、私の印象に残ったものを以下にざっくり日本語訳してみます(残念ながら落書きそのものの写真は撮り忘れてしまいました)。


ここに来て今日で11日目。何の知らせもない。
私はウクライナ人の子供たちと同じ部屋。フランス人女性はいない。時間が経つのがとても遅く感じられる。
朝は7時15分に起き、8時に1枚のパンを食べ、午後4時にスープを飲む。その後翌朝までは何も食べられない。私たちが体型を維持しているかなんて聞く必要ない。体型はきっとフランスで元通りになるだろう。愛する家族に会いにいつか祖国に帰ったら。私が心から愛するフランスほど素晴らしいところはない。良い暮らしができ、働き過ぎる必要もなく、十分に食べ、人生を楽しみ、15日も有給休暇があった国。でも、それを当たり前だと思っていた。そして今、自分がどれほど自由だったかを知った。でも、もう遅い。私のように愚かにも自ら祖国を離れたすべてのフランス人女性なら誰でも私に共感し、故郷から離れて生きることがどんなものか知るだろう。そして、もし彼女たちが母親をフランスに置き去りにしてしまったのなら、娘を失った母親の苦しみが理解できるだろう。だって私にも愛する母がいて、母のもとを去った時の彼女の痛みがわかるから。若くして結婚した女性なら、みな夫に従うだろう。でも、もし再び選択を迫られたら、私はきっと兄弟姉妹や心から愛する母と一緒にいることを選ぶだろう。
フランス万歳
フランス人であることを誇りに思う25才の女性
2月6日木曜日 大きな恐怖の中で


この女性の「良い暮らしができ、働き過ぎる必要もなく、十分に食べ、人生を楽しみ、15日も有給休暇があった国。でも、それを当たり前だと思っていた。」という言葉は今の日本人にかなり当てはまる気がしました。それまでの自由や幸福が誰かの手によってすべて奪われてしまう、そんなことが将来の日本で絶対に起こらないと誰が言い切れるでしょうか?

壁のメッセージは祖国や家族を思うもの、恋人に宛てたもの、希望が感じられるもの、絶望的なもの、さまざまでした。ここに連行された人々のその後は、別の場所に送られたり、ここで処刑されたり、奇跡的に生き残ったりとさまざまだったようです。今は何の変哲もない中庭に見えますが、以下の写真の場所では2年間に400名以上が処刑されたそうです。



今でも世界のどこかで似たようなことが起こっているかもしれません。やりきれない気持ちのまま2階に上がると、ケルンでどのようにナチスが台頭していったかが展示されていました。当時の新聞記事や集会の様子が写された写真など実にさまざまな資料。残念だったのは、展示の説明がすべてドイツ語だったこと。少なくとも英語でも表記してほしかったです。

この日のお昼はいったんアパートに戻って、それからロビンさんと昼食を食べる予定だったので、11時半頃ケルン市ナチス記録センターを出ました。1時間半しかいられなかったわけですが、正直まったく時間が足りませんでした。もしまたケルンに行く機会があれば、もっとゆっくり見学したいと思います。

今回はこの辺で。続きはまた後日。
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