1967年アメリカ貧乏留学物語

1967年・所持金$200・スーツケース1個・英語能力ゼロ・単身アメリカへ

(31)フリーマーケット in LA with Grass!!

2009-10-03 | アメリカ留学
【大麻の写真はアメリカのサイトから引用しました。念のためお断りしておきます。】
http://www.fotolog.com/mariwanaplants




バーバラも会場を見に行き、なんとグラスGRASS大麻を一束買ってきた。
カリフォルニアでは大麻は1967年当時は法律違反ではない。
そして、大麻を巻く紙も買ってきていた。
紙は色々なデザインがある。
ベトナム戦争反対反戦デザイン・100ドル紙幣デザイン・Stars &Stripes(星条旗)色々。
その紙にグラスを巻いて、煙草のように吸うのだ。
多くのベンダー(出店者)が、グラスを吸いながら販売し楽しんでいる。

夕方4時終了で、ほとんど彼女たちの品物は売れたようだ。
売り上げ総額$350(1ドル360円の時代。煙草1箱$0.35)くらいだそうだ。すごい!!
大樹のバイト代3週間分だ。
大樹はアニータの品物をここで処分することにした。

バーバラが帰りにハリウッドでPIZZAを食べて、バーバラの自宅で、グラスを吸って
楽しもうと提案したので、みんな賛成し、ほとんど品物はないけど少しの売れ残りを
車に積みハリウッドに向かった。
Von’sスーパーマーケットにより、バーボンウイスキー、ビーフジャーキー(大樹は食べ飽きていたが)その他つまみを色々買って、バーバラの家に向かった。

次回はたぶん、グラス(大麻)パーティー編になると思います。
(日本では大麻は絶対だめですよ。)
(カリフォルニアも今はだめと思いますよ。注意してください。)
(この物語は1960年代70年代のことです。)

(30)フリーマーケット・デビュー in LA

2009-10-01 | アメリカ留学




アニータと別れ、寂しい日々が続いている。
ある日、去年の暮れに日本人街Little Tokyoで出会ったアメリカ人女性の
バーバラのことを思い出したので、電話をしてみることにした。
夜10時頃電話をすると、彼女の母親らしい女性が電話に出て、すぐバーバラに
替わった。
『ハイ!マイク!久しぶりね。』
『俺のこと覚えてくれていてありがとう。』
『私はネパールのカトマンデューへ旅行に行ってた。』
『写真撮ってきたの?』
『近いうちに会う?その時写真見せるわ』
『じゃー今週末土曜日に会おうか?』
『土曜日はシーラとSwapmeetフリーマーケットに行く予定なの』
『何それ?Swapmeetは?』
『パサディナのフットボール場のローズボールで家庭の不用品、洋服など何でも持って行って売ることができるところ』
『面白そうだな』
『知らなかったの?』
『知らなかった』
『それでは、どうすればいい?どこで何時に会う?』
『バーバラが指定してくれよ。俺はわからないから。自分の車で行くから』
『それでは土曜日の朝5時にハリウッド大通りとロバートソンドライブの近辺で
シーラと待っているから』
『わかった』

大樹は浮き浮きしてきた。
やはり身近に女性がいなければ生きがいを感じない。

土曜日の朝4時に起きて着の身着のまま(大樹は年がら年中ジーンズとTシャツだが)
で約束の場所にハリウッドフリーウエーに乗って行った。
すでに、彼女たちは来ていた。
彼女たちの車は、華やかな真っ赤なマスタングだ。
後部座席には満杯に何やら積んでいる。

パサディナフリーウエーで会場まで彼女たちの後について行った。
朝6時なのに大変な出店者が大勢並んでいた。
朝食がまだなので、会場入り口にあるカフェテラスで、メキシカン料理のアサダコンボ
とコーヒーを注文した。彼女たちはハム&エッグ。

7時に入場し指定された場所に行き、早速彼女たちの車に積まれている品物を出す手伝いを
した。
出していると、次から次へと客が来て売れていく。
これはすごい!
《そうだ!アニータの家具など色々、ここに持ってきて売ればいい》と考えた。
アニータの物であることは、彼女たちには内緒だ。

『バーバラ!俺チョット色々回って見てくるよ』
『いいわ。 はいこれお小遣い。売れたから。』と言って20ドルくれた。

フリーマーケットは面白い。なんでもある。グラス(大麻)も束にして黒人が売っていた。
バカでかい会場だ。一日では回れそうもない。
車も売っている。アンティークも。
大樹は癖になりそうだ。
《そうか。変なバイトをしなくても、毎週末フリーマーケットで稼げることができれば、
平日は落ち着いて勉強もできるし、学費も稼げそうだ。またイミグレーションも心配ないし。》と思った。

(29)アニータとの別れ!

2009-09-29 | アメリカ留学
学校、そして皿洗いの日々が続いた。
そんなある日、アニータが『今夜アパートに来て』とあらたまって言う。
変な予感がした。
今夜のバイトはキャンセルし、アニータの豪華なアパートに行った。
部屋に入ると、ダイニングテーブルには、豪勢な食べ物でいっぱいだった。
彼女の国の料理らしい。
そしてワイン。

お互いに向かい合って、ダイニングテーブルにつくと、彼女が告白した。
『今日、父から電話があった。国で革命があった。すぐ帰国しなさい』と言われたらしい。
『そしてもし大樹も一緒に来てくれたら嬉しい。』

大樹の脳裏の中が一瞬色々なことが駆け巡った。
《彼女は某中南米の大統領の娘。
しかし国は不安定。
まだ憧れのアメリカに来て1年足らず、夢がある。
彼女を愛しているのかどうか、自分でもわからない。
最初に頭の中にひらめいたことは打算的なこと。
愛ではなかったのではないか。などなど》
大樹は素直に彼女に伝えた。
『アニータ。俺はアニータを愛してる(?)けど、まだこれからアメリカでしなければならないこと、したい事が沢山ある。
アニータについて行けない。ごめん。』
『わかったわ。大丈夫よ。すごく急ぐので明日の飛行機に乗るわ。父が軍政府に拘束されるかもしれないから。』
『ここの荷物は大樹に任せるから、全部処分してくれる?アパートはまだ3カ月ほど家賃を払ってるから時間があるので。』
『わかった。全部売ってもいいのか?』
『大樹の好きなようにして。少しでも資金的に大樹のたしになればうれしいから。
それから今、私が持っている2000ドルは大樹にあげる。持って帰っても仕方ないから。』

今までのことなど、思い出しながらお互いにセンチにならないように最後の夜をアニータと過ごした。

あくる朝、いったん大樹は自分のアパートに帰り、大樹の愛車白のコルベアーでアニータをLos Angeles International Airport まで送った。

大樹は孤独感に襲われ、いたたまらなくなり、サンタモニカフリーウエーに乗りベニスビーチに向かった。


寂しい時、悩みがある時、いつもこのベニスビーチに来る。
なぜか心が落ち着く。
また新しいアメリカ生活のページが始まる。
- to be continued -

(28)1968年当時の筆者(今は無残な姿なり)!新しいバイト皿洗い

2009-09-25 | アメリカ留学
バイトを探さなければならない。
スティーブマックイン邸のバイトは終わりになった。
何しようかな?
LA TIMES新聞の求人欄を見ても、留学生が働ける仕事がない。
LITTLE TOKYOへ行き、現地の日本語新聞【羅府新報】を買い求人欄を見ると
日本食レストランでの皿洗いバイトがあった。
最近親しくなった富山県出身のボンボンにバイトしないかと誘うと、
やると言うので二人でサンセット大通りにあるJapanese レストランに
面接に行った。



富山のボンボンは金には困っていない。仕送りがあるらしい。
彼はテールライトが丸いサンダーバードを持っている。
非常におとなしい男で、身長は180cmくらいでひょろ長い。
大樹の言う通りについてくる。

面接の結果はOK採用だ。その晩から仕事をした。
彼はウエーターでなぜか大樹は皿洗いに決まった。



皿洗いはチップが入らないので、富山のボンボンと打ち合わせをした。

その店はお客さんからもらったチップは、みんな一か所に集めて、その晩に店が終わってウエーターのみんなと分けるシステムになっている。

大樹は富山のボンボンに、チップを貰うと半分を、大樹のところに持ってきて渡すように命じた。



皿を大樹は洗いながら彼からチップを貰うので、渡されたドル紙幣を見つからないように
手の中に握り締めて皿を洗う。ドル紙幣はずぶぬれだ。
そして隙をみてポケットにしまう。この繰り返しだ。
かなり高級な日本食レストランなので、チップもかなりある。

午前2時に店が終わるので、二人で真夜中のビバリーヒルズ高級住宅街、華やかなハリウッド、そしてサンセット大通りを、彼のサンダーバードで走り、家路に向かう。
ハリウッド近辺には女優志願の女の子、モデル志願の女の子たちが、プロデューサーにスカウトしてもらいたくて、真夜中でも道をうろうろ歩いている。
売春婦もうろうろしている。



ある晩、二人で帰っていると二人の若い白人の女の子がヒッチハイクしていたので、
声をかけて車に乗せてやると俺たちのアパートに来ると言うではないか。
どうも富山のボンボンは童貞らしい。
大樹はアニータで経験あるので大丈夫。

富山のボンボンは、まだ英語が話せない。
なぜならば英語学校で金持ち日本人ばかりとつるんでいるので、話す機会がない。



大樹が通訳をし、大樹のアパートに連れてきた。
彼女たちは二人一緒にシャワーに入っている。
富山のボンボンはなぜか声が震えている。
案の定まだ女を知らないらしい。
大樹が彼女たちのハンドバッグの中を見ると、二人ともデリンジャーと言うポケットサイズの拳銃を忍ばせていた。
大樹はヤバイと思い、彼女たちがシャワーから出てくると、これから急用があるので
出かけないとならないと彼女たちに伝えた。

彼女たちは、怒ってまたサンセットに送れと言う。
仕方なくボンボンと一緒にまたサンセットまで送って行った。



何もなくてよかった。
午前4時頃であった。
車のFMからスコットマッケンジーの《花のサンフランシスコ》が聴こえてきた。
サンダーバードはコンバーティブルなので屋根を全開にして、ひんやりとしたロスアンゼルスの空気を受けながら帰って行った。
大樹はやはり拳銃を買うことを決心した。
アメリカでは警察も頼りがない。自分で自分を守らないとならない。

(27)LA初めての大晦日!

2009-09-16 | アメリカ留学
【写真はLAの日本人街LITLE TOKYOでの桜祭り?豊年祭り?とにかく何かの祭り!】


ラスベガスから帰り、大樹はアメリカでの初めての正月をロスアンゼルスで、
迎えようとしていた。



大晦日にロスアンゼルスのいたるところで、カウントダウンパーティーが
開催されるらしい。
愛車の空冷式コルベアーを運転し、ハリウッド方面に行ってみることにした。

ハリウッド地域のサンセット大道路(ブルバード)・サンタモニカ大道路(ブルバード)
ウイルシャー大道路(ブルバード)をドライブしてみた。
人々はなにやら忙しそうに歩いている。
ほとんどの人々とくに女性はパーティードレスを着飾っている。
どこかのパーティーに行くんだろう。



大樹の彼女アニータも今夜は、彼女の国の人々と大晦日を過ごすらしい。
大樹はどこも行くところがない。
アパートの部屋にいてもむなしくなるし、寂しいのでドライブに出かけた。

ハリウッド地域からサンタモニカ大道路をサンタモニカの海に向かってみた。
そして、ウエストロスアンゼルスのベニスビーチの路上に駐車し、夜の砂浜を歩いてみた。

ベニスビーチの釣り桟橋近辺の砂浜に座り、夜の海を眺めながら、これからのアメリカでの生活、将来のこと、日本にいた頃の恋人のこと、日本の友達のこと・・等々思いにふけっていた。


この海(太平洋)の先は日本に通じているんだ・・日本のみんなはどうしているんだろう?
3月にここロスアンゼルスに来て、10か月ほどがあっという間に過ぎてしまった。
そんなことを思っていると、涙がわいてきた。
寂しいのか、何なのか分からない。たぶんこれがホームシック何だろう。



明日から新年になる。そして来年はアメリカの大学に入学する。
まだまだ英会話はかなりできるけれど、学校での英語はまだ不十分なので、頑張らないとならない。

日本がすごく恋しくなったので、サンタモニカフリーウエーに乗り、
ダウンタウンの日本人街に向かった。
日本人街に着くと、日本の大晦日のような情景を見ることができた。
《やはり、俺は日本人の血が流れているんだ》と大樹はつくづく思った。

そろそろ新年を迎えるカウントダウンが始まり時刻だ。
車を路上に駐車し、なぜか、うどん屋に入って行った。
店の中は客二組しかいなく、なんだか余計に寂しくなった。
どこかスナックかどこかで酒でも飲みたかったが、バカ高いと聞いていたので
行けなかった。
商社の駐在員などは毎晩通っているようだ。

うどん屋の店でテレビを見ながら日本酒(高いけど)のコップ酒を注文し飲んでいたら、二人のアメリカ人女性が入ってきた。

一人は銀髪・もう一人は黒髪だ。
年齢は大樹と同じくらいだろう。
彼女たちは親子丼ぶりを注文していた。

大樹は、ナンパしてやろうと思い、酒の勢いもあり二人に話しかけた。
『ハイ!リトル東京に何しに来たの?』
と言うと(もちろん英語だ)、黒髪のほうが(少しイーデスハンソン似)
『パーティーの帰り』と答えた。
大樹『カウントダウンパーティー?』
黒髪『そう』
大樹『どこであったの?』
黒髪『シルバーレイクの友人の家でパーティーに参加し、帰りにリトル東京へ行ってみようと思ってきたの』
大樹『これからもう家に帰るの?』
黒髪『何か面白いところある?』
大樹『このリトル東京には別にないね。俺は日本から3月に来た留学生なんだ。
あまりロスアンゼルスのこと知らないんだ。』
黒髪『留学生?どこの学生?』
大樹『まだ英語学校に通っていて、今年ロスアンゼルスシティーカレッジに入る予定なんだ』
黒髪『私たちはサザン・カリフォルニア大学』
大樹『俺、まだアメリカに来てアメリカ人の友達がいないので、友達になってくれる?』
黒髪『いいわ。私も日本人の友達がほしかったの。日本語習いたいし。』
大樹『OK!じゃ~今夜はもう遅いから、俺は帰るけど電話番号を教えてくれる?
近いうちに電話するから。』
黒髪『いいわ。私も電話するわ。私の名前はバーバラ。そして彼女はシーラ』
大樹『俺の名前はマイク。 年齢は二十歳』
黒髪『あら。私たちより年下ね。私たちは21歳よ。』
大樹『じゃ~電話、待ってるね。いつでもいいよ。バイトしてるから、家にいないほうが多いけど、アンサーホン(留守電)にメッセージ入れておいて。』
大樹『バ~イ!Take care! See you!』




大樹はいっぺんに寂しさが吹き飛んで浮き浮きした気分になった。
でもアニータがいるんだな~。
《まッいいか!これも人生》
《それにしても、もう一人の銀髪のシーラは一言もしゃべらなかったな~》
《シーラのほうが美人だったけど・・・》
シーラはマリリンモンロウに少し似ていた。
バーバラはイーデスハンセン似。
人生ままならぬか!!!

その夜は浮き浮き気分で、アパートに帰り、バーボンを飲んで寝た。

カリフォルニアが消滅する!火事!火事!火事!

2009-09-12 | アメリカ留学
東京都の半分近くが消滅!!!!









(26)ベガスからの帰路・バーベキューカーニバルに遭遇

2009-09-11 | アメリカ留学
朝起きると、外はなんだか嵐のような天候だ。
今日はグランドキャニオンに行く予定だったが・・・。
航空会社に電話して問い合わせると、本日のフライトはキャンセルらしい。
残念だったが、またいつでも行けるので仕方ない。


朝食を済ませ、朝11時頃からまたギャンブルを始めた。
アニータは早朝から何かステージショーがあるので、それを見に行った。

大樹はとにかく持っている$500を何とか増やさないとならない。
生活がかかっているのだ。
ブラックジャックを今日は大きく賭けて行こうと決心した。
しかし勝ったり負けたり、なかなか資金が増えない。



スティーブ・マックイーン邸のバイトは今は休みだ。
彼らは家族でスペインにバカンスに行っている。
その間バイト代が入らない。
ロスアンゼルスに帰ったらバイトを何かまた探さなければならない。

アメリカの正月は1月2日までだ。
なかなかブラックジャックでは資金が増えないので、またルーレットに行った。
ルーレットのディーラーは東洋人の女性のテーブルに行った。
結構大樹の感はさえていて当たる。
しかしこれも賭け方が大事だ。当たる時に小さく張り、負けるときに大きく張れば負けてしまう。

そうこうしていると、気がつくと大樹の前にはチップがかなり増えていた。
数えてみると、約$1500位になっていた。
すると、ブロンドの白人の女性がそばに来て、話しかけてきた。
『坊や、結構チップを積んでいるじゃない!』
大樹はこちらでは坊やなんだ。
『ただついているだけだよ』
『バーで一杯カクテルをごちそうしてくれる?』
『一人ならいいけど、今回は(何度もべガスに来ているそぶりをしながら)ガールフレンドと来ているので、駄目だな!』
ブロンド女性は諦めて、他の勝っていそうな男のテーブルに行った。
たぶん、彼女はプロスティチュート(娼婦)だと思う。

何か嫌な予感がしたので、ギャンブルはやめた。
負けてないし、$1500あれば当分暮らせるだろう。


部屋にいるとアニータが帰ってきた。
『そろそろLAに帰ろうか?』と大樹はアニータに言うと、彼女も賛成し
ホテルの支払いを済ませて、大樹の愛車コルベットではなくて、コルベアー
に乗り、べガスを一路ロスアンゼルスに向かった。

《注:ロスアンゼルスのことを日本ではロスと言うけれど、アメリカでは通じません。
ロスは損した、迷った、なくなった、すられた等々の意味です。もし短縮形でロスアンゼルスのことを言うならば【LAエルエイ】と言わなければ通じません。》

フリーウエーを走っていると、なんだか車が多く集まっている光景が見えたので、フリーウエーを降りてみた。



するとカーニバルをしているみたいだ。
面白そうなのでアニータを車を降りて見に行くと、牛を一頭丸焼きにしている。
やはり西部だな~と思い、そばに行き牛の解体そして丸焼きを最初から最後まで見た。

砂漠の真ん中の街だ。
どこから人が集まってくるのかわからない。
$10で食べ放題飲み放題だ。
アニータと二人で食った、食った腹が破裂しそうだ。


走っていると色々なことに遭遇する。
人生も同じだと思った。
ビジネスも机上の上だけでは何も起こらない。
大樹も日本にいたら、日本の大学に行き、学生闘争に参加し、サラリーマンの道を歩むことだろう。

何の目的もなく、ただ中学時代、高校時代に見ていた、アメリカTVドラマ、
サンセット77・ベンケーシー・ララミー牧場・ボナンザ・ハワイファイブオー・等々
に憧れてここアメリカに来てしまった。

名目は留学生だが、目的はなかった。
ただ、ここアメリカには何か希望を持てたし、何か夢が転がっていそうだった。
日本にいたらそうはいかないだろう。
日本では、人の目を気にしながら、生きていかないとならない気がした。
ここアメリカでは、恥ずかしい!しとやか!謙虚!など一切通用しない。
自分を精いっぱいアピールしなければ、だれも相手にしてくれない。
個人主義の国だ。
その代わり、何をしようが一切他人は無関心だ。
さみしい気もする。

(25)ELVIS on STAGE in LAS VEGAS!!!!

2009-09-08 | アメリカ留学
ELVIS ON STAGE IN LAS VEGAS!!!



エルビスショーがあるサーカス・サーカスホテルに6時頃着いた。
ここのカジノに入ると、驚いた。
カジノのフロアー全体の上空でサーカスを行うのだ。空中ブランコなど。
こんなところでギャンブルをしていたら、気が気でなくギャンブルに集中できないと思う。
それでも、カジノの中を歩きながら、時々ブラックジャックに賭けたり、ルーレットに賭けたりしながら、時間を費やした。
もちろん$100ばかり負けた。



ショーに入るには、男性はジャケットを着用しなければならない。
女性はジーンズ・短パンでなければ、見かけが清潔であればいい。
大樹はジャケットを持っていなかったので、途中チェーンストアーのウールワースと言う
店で安物のジャケットを買った。靴もスニーカーしかもっていなかったので、リーガルの
スリッポンを買った。

ショーの中に入って、しばらくすると、静かに【Love me tender】のメロディーが鳴りだした。場内は真っ暗だ。シーンとしている。



突然、ステージにスポットライトが当たり、テレビで見たことのある司会者(ナレーター)が登場した。
エルビスの生い立ちなど、バックの大スクリーンに当時のエルビスの写真を写し、話している。
司会者がステージから去ると、また真っ暗になった。

【Love me tender】のメロディーが鳴っていたけれど、そのメロディーに合わせて、本物のプレスリーがギターを持って歌いながらステージに登場した。
観客はあっけにとられた様子で、一瞬シーンとしている。

しかし【Love me tender】の歌が終わると、大歓声、大拍手、口笛、手笛すごい轟音に
に似た騒動が起きた。

続いて【Hound Dog】【Heartbreak Hotel】このあたりから、観客は頂点に達していた。


失神する女性もいた。
エルビスが観客の持っているハンカチで額の汗をふきそれを返された女性は、
その場で失神だ。
何人も女性がハンカチをエルビスに渡そうと必死だ。

歌声なんか聴けやしない。
(日本語タイトルは、わかりません。ご了承ください。)
(Flip,Flop and Fly) (Baby Let’s Play House) (Tutti Frutti) (Money Honey)
(Blue Suede Shoes) (I want you, I need you, I love you)
このあたりで、ほとんどのカップルはキスをしている。

(A Sketch) (Don’t Be Cruel) (Ready Teddy) (More Story) (Love Me) (Too Much)
劇場のスタッフが倒れている女性を何人も運んでいる。

(When My Blue Moon Turns to Gold Again) (Peace In The Valley)
(Hawaiian Wedding Song) (Blue Christmas) ・・・・・
何曲歌ったのかわからない。
すごいステージだった。
疲れた。
虚脱感。
こんなステージ初めてだ。
観客がすごい!!!

エルビスはやはり世界の偉大なアーティストだ。
歴史に残るアーティストだろう。


さて明日はグランドキャニオンにでも双発機で行こうと思う。
もう今夜は疲れたので、タクシーでホテルに帰って寝ることにした。

(24)ラスベガス2日目クリスマスin VEGAS!1967

2009-09-04 | アメリカ留学
翌朝目が覚めると、すでに時計は午前11時を回っていた。
アニータはまだ眠っている。

大樹はシャワーを浴び、アニータを起こさないで【Hi! Anita,Good morning! I will be in the casino floor and maybe I will be at the Black Jack Table. See you later.】とメモを置いて
カジノフロアーに降りて行った。

現在の手持ち資金は$500。
ところで今日はクリスマスなんだ。
カジノの中にいると、昼か夜かわからない。

昨日はBlack Jackでは負けたが、ルーレットで勝った。意外だった。
今日は絶対BLACK JACKで勝つ。生活がかかっている。

B/Jのテーブルを見渡し、やはり美人の女性ディーラーのテーブルを選んで座った。
まず$100をチップに交換した。
すぐゲームに参加しないで、ウエートレスを呼んでコーヒーをオーダーした。無料だ。
(無料を強調してばかりで、我ながら情けない。しかしカッコつけてもはじまらない。
軍資金は$500だ。しかしLAに帰った時無一文になるので、$100札だけ靴下の中に
入れておいた。情けない!!)

コーヒーを飲みながらディーラーの風、すなわちツキがあるかどうか見ていた。
かなり強そうだ。悪いカードを引いても、4枚目で21、20になっている。

このカワイ子ちゃんは、かなりやばそうだ。
テーブルを替わろうかな・・と思っていると、少しツキがなくなってきたようだ。
よし!!$10(大樹には大金だ)賭けた。

大樹のカードはエース(A)が2枚きた。ディーラーは表にしているカードは4だ。
よし!ここはスプレッドだ。エース2枚を表にして分けてそれぞれのカードを引く。
もちろん、もう$10をもう一つのエースに賭けなければならない。
合計$20を賭けていた。
それぞれのエースに10か絵札が来れば両方1.5倍の儲けだ。すなわち合計3倍になる。
10か絵札が来る可能性は大きい。なぜならばすべての絵札は10と計算するので、それだけ枚数が多いことだ。

案の定、最初のエースに絵札がきた。よ~し!勝った。1.5倍払ってくれた。
次のエースのカードには6が来てしまった。合計数字は7か17で計算する。
引くかどうか迷ったが、ディーラーの表にしているカードが4なので、ディーラーは
バストする可能性が大きい・・と思い、引くことはやめた。ステーだ。
もうカードはいらないと言う場合は、自分のカードをチップの下に差し込めば、もう
カードは引かないと言う意味になる。

勝った!やはりディーラーはバスト(21オーバー)し、全員にチップを支払った。
勝ったり負けたりしていると、いつの間にかアニーターが後ろの来ていた。
やはり大きく張らないと勝てないと思ったが、まだラスベガスに滞在するので、あわてなくてもいい。
$80(当時のレートで¥25000位)ほど勝っていたので、やめてアニータとラスベガスの
街をふらふら散歩することにした。
ラスベガスにはポーンショップ(質屋)がいたるところにある。
負けた人間が、宝石やらローレックス・カルティエ・フランクミューラーなどを質屋に売るんだろう。そしてカジノに賭ける。

街をぶらぶらして、アラジンと言うカジノに入って行った。またIDを見せろと言う。
大樹はそんなに子供子供しているのか・・と思った。

アニータが巨大な(2メートルくらい)スロットマシーンをしたいと言う。1回$10だ。
そして彼女がスロットを回すと、なんと$1000が当たってしまった。
コインがジャラジャラ、ジャラジャラ出て止まらない。
すげ~!!1回で$1000だ。大樹は二日かかってやっと$300くらいの勝ち。
フロアーボーイを呼び(チップを$5渡し)キャッシングの窓までコインを運ばせて、
ジャリ銭を$100札10枚と交換した。
アニータはその$1000を大樹にくれた。
今夜のエルビス・ショーで使おうと思った。
今夜のエルビスが楽しみだ。

(23)大樹はギャンブラー in Las Vegas !

2009-09-01 | アメリカ留学
大樹は、BLACK JACKテーブルを見渡し、若いきれいな
ブロンドの髪の女性ディーラーのテーブルに着いた。

アニータは『なぜ、ここのテーブルを選んだの?』と聞く。
大樹は『一番弱そうなディーラーだから』と言うと、『嘘(You are liar)』とアニータは
言い返してきた。

機嫌悪そうに一人でアニータは、フランクシナトラ・ショーを見に行った。

《さて、アニータのことは忘れて、ギャンブルに集中しよう》と大樹は思った。
ディーラーがセンターにいて8人がテーブルに着くことができる。
そしてBLACK JACKの場合は、最後の8番目の席に着いている人が重要である。
この8番の人間が、ディーラーの表に現しているカードを読み、
ゲームの流れを読む人間ではなければならない。
むやみやたらに、自分の手のカードだけしか見てない人間が8番目に座っていると、
そのテーブルはやめて他のテーブルに移動したほうがいい。

スプレッド・ベットダブル(2倍賭け)・インシュランス(保険)など色々な方法がある。

大樹は最初は$1チップを何回か賭けていたが、勝ったり負けたりで何も変化がない。
そうこうしていると、ディーラーのブロンドのお姉ちゃんがバスト(21オーバー)が多くなって負けが続くようになってきた。
顔も険しくなってきた。

《よし!ここで$50賭けてやろう》と思い賭けると、ブロンドのお姉ちゃんが、
引いた2枚のカードの表になっているカードは【2】である。
大樹のカードは2枚とも絵札だ。すなわち【20】
《よ~し、勝ったぞ》と確信した。
ディーラー(ブロンドのお姉ちゃん)が自分のカードを全部見せて、4枚引いた。
すると、【2】【3】【6】【絵札】合計【21】だ。

やられた。絶対勝ったと思ったけど、ついてない。

大樹の持ち金は$170しかなくなっていた。
大樹はまた$1から賭けていたが、なんとなくしっくりしない。
ウエートレスを呼んで、バーボンダブル・オーバージアイスとステーキを頼んだ。
ここラスベガスのギャンブル場では何を飲んでも食べても無料だ。
ただし、ウエートレスにチップはプレゼントしなければならない。

また、ディーラーにも勝ったときはチップを少しプレゼントすることがマナーだ。
しかし、大樹のように$1しか賭けない場合は、払う必要はない。
払っていると勝った額以上をチップとして払うようになるからだ。
何しているか分からなくなる。

生活がかかっているから、大樹は必死だ。
食事が終わったので、少し頭を冷やすため、そのBLACK JACKのテーブルを離れて
BARのほうに行き、またBUD(バドワイザー)ビールを飲んだり、カウンターの隣の
席にいる黒人と話したり(この頃は英会話がほとんどできるようになっている。)し、
時間を費やした。

ラスベガスは24時間不夜城なので、少し部屋(シーザースパレスホテル)に
帰って寝ることにした。

2時間ほど寝ていると、アニータが部屋に帰ってきて、起こされた。
頭が少しすっきりとした感じだ。
アニータがレストランに行きたいと言うので、一緒に下の階のレストランに行った。
アニータもステーキをオーダーした。
大樹は満腹のため、バーボンを頼んだ。

フランクシナトラのショーは最高だったらしい。
明日の夜は、サーカスサーカスホテルで、エルビス・プレスリーのショーを
見ることにした。

アニータは一人で部屋に帰り、大樹は少し寄り道をして、ルーレットのテーブルに行った。
そして、4か所の数字に$1づつ賭けてみた。
すると見事当たり、36倍、すなわち、$36勝った。
プラスマイナス$31の勝ち。
気を良くした大樹は、勝った$31を縦一列に全部賭けた。勝てば3倍だ。
またまた勝った。$93になった。
そして1時間ほどで、$370ほど勝ってしまった。
手持ち約$500だ。

大樹は、さっさとギャンブルを今日は、やめて、部屋に引き揚げて、眠った。
時間の感覚がなく、何時かサッパリわからない。
アニータはスヤスヤ眠っていた。

(22)Las Vegas 不夜城 へ到着ギャンブルの街

2009-08-28 | アメリカ留学
1時間ほどそこのレストランバーで食事をし、バーボンダブルのロックを2杯呑んだので
少しいい気分になっていたが、先がまだ遠いので、ラスベガスに向かって出発した。

とにかく1直線のフリーウエーで、周りはまっ暗闇。車のヘッドライトが煌々と光っている。
ときどきコンボイのトラックと出合う程度だ。
こんなところで、車が故障したら・・と思うとぞっとする。
砂漠には、ガラガラヘビ・コヨーテなどがいるらしい。

途中、3回ほど無人ガスステーションで、給油した。
車の調子は上々だ。空冷エンジンのため、エンジン音ンが少々やかましい。
助手席ではアニータがスヤスヤ眠っている。

車のFMラジオからは、スローバラードソウルミュージックが流れている。
しばらく運転していると、先の地平線がうっすらと明るくなってきた。

太陽ではない。まさしくあれはラスベガスの明かりだろう。
『もうすぐラスベガスだぞ。』と言って、安らかに眠っているアニータを起こした。

地平線は段々明かりがはっきりしてきたが、1時間運転してもまだ同じ状態だ。
時速100マイル(約160km)で走っている。
明かりが見えて約1時間。すなわち160kmは走っているが、まだ同じ状態だ。
アメリカの大きさを思い知らされた。

明かりが見えて約2時間ほど走ると《LAS GEGAS DOWN TOWN》の標識が見えた。
ネオンに輝く白夜のラスベガスについに到着した。
ネオン・ネオン・ネオン 昼間のように煌々と明るい。
これらの光が200km先から見えていたのだ。
すごい!!
アニータもラスベガスは初めてだ。
アニータが大樹に言った。
『あなたが持参しているお金は博打に使えばいい。食事など博打以外のお金は、私が払うから』
最高!!
思い切って博打ができる。

ロスアンゼルスのガーディナにある、ポーカーハウスには時々大樹は行っている。
その時知り合ったユダヤ人のギャンブラーに色々教えてもらったことがある。

BLACK JACK は合計数字がディーラーより21に近ければいい。
エースと絵札・エースと10 ならばBLACK JACKで1.5倍の勝ち。
そしてカードは2枚初めに配られて、ディーラーは1枚を表にしみんなに見せなければならない。そのカードによって色々考えるのだ。
表に表れているディーラーのカードが6以下の数字ならば、思い切って行け行けだ。
7から上の数字また絵札の場合は、その下に隠されているディーラーのカードは10、絵札と考えて、自制する。
簡単なようで、Black Jackは奥が深い。

シーザスパレスに入って行った。
広いフロアーすべてギャンブル場だ。
大樹は入る時、年齢確認のためIDを見せるように言われた。
日本人は若く見られる。
カリフォルニア・ドライバーライセンスを見せ、アニータと中に入った。

さて、どんなギャンブルをするか、一応フロアーを一回りして見た。
BLACK JACK インディアンポーカー バカラ ルーレット ダイス スロットマシン
さまざまなギャンブルのゲームがある。
これらがすべて現ナマを賭けることができるのだ。それも合法的に。
おもしれ~!!!
やってたやろうじゃね~か!! 《ヤッチャン言葉になっていた。》 

(21)LAS VEGASへ フリーウエーを突っ走る!

2009-08-27 | アメリカ留学
真夜中の砂漠の中のドライブ。
フリーウエーはどこまでも一直線。
周りは暗くて何も見えない。
ところどころに、無人のガスステーション(ガソリンスタンド)がある。

2時間ほど走ると、大樹は少々眠くなった。
西部劇に出てくる様なアメリカ的居酒屋?がなぜか誰も住んでいない砂漠にある。

アニータにチョット寄るよ、と言って居酒屋に入って行った。
なぜか混んでいる。
周りは砂漠で何もない。
みんなどこから来ているんだろう??
ワイワイと混んでいる。
西部劇と同じように、オルガンを奏でていたり、ギターでカントリーソングを歌ってる。
まるで西部劇映画の中だ。

大樹とアニータは、なが~い木製のカウンターの前に座った。
バーテンダーがオーダーを取りに来た。
バーテンダーは西部劇と同じスタイルで、皮のベストを着ている。
大樹は『ダブルズ・ジャックダニエル・オバー・ジ・アイス』すなわちジャックダニエルバーボンのロックダブルを頼んだ。
アニータはテキーラサンライズをオーダーした。

周りを見ると、正に西部劇だ。
ただ、拳銃を持った人間はいない。
でもどこかに隠し持っている人間はいると思う。
ここは拳銃は持っていい地域だ。
大樹もほしかった。

ハンバーガー・チリドッグ・フレンチフライ(ポテトフライ)今日のスープなど注文し二人で食べた。
店に入ると、客が一斉に大樹を見た。
その時大樹は身構えてしまった。
小学生時代習った空手だ。(本当に格闘になれば意味ないけれど)
頭の中で色々考えた。
襲われると、まず頭突きをかまし、次は男の急所金玉に蹴りを入れる。などなど・・
しかし何も起こらなくて《ホット》した。

第二次大戦で日本兵により殺されたアメリカ兵の遺族が、今なお恨みを持っている人間がいる。
反対に日本兵だってアメリカ兵に殺された人間がいる。
とくに原爆だ!!兵隊でなく庶民が何10万人も殺されている。
こいつらそんなこと知っているんだろうか?

しかし、客のみんなは白人の女を連れた大樹を一瞥しただけで、
分け合いあいと元の通り楽しく飲んでいる。
助かった!!!何も起こらなくて。
何かあれば、小学校で習っていた空手を、思い出しながら使わなければならない。
いずれ近いうちに拳銃を買おうと思った。
このアメリカでは、だれも守ってくれない。
自分で自分を守らなくてはならない。

ラスベガスはまだ遠い!!

(20)初めてのクリスマスin LA

2009-08-26 | アメリカ留学
学校の授業が終わり、4時に車でアニータのアパートに行った。
大樹はマイクから借りたネクタイとジャケットを持て行ったが、革靴とズボンがない。
アニータと一緒に近くのストアーに行き(ダウンタウンに住んでいると便利)安い革靴とズボンを買った。

アニータの部屋で着替えた。アニータはすごくドレッシーな黒を基調にした洋服に着替えた。美しい。白のレースのスカーフを頭からかぶるそうだ。

メキシコタウン(オリベラタウン)の近くの教会へ行った。
すごく大きい建物だ。入口は何メートルあるんだろうか??
中に入るとパイプオルガンがなっている。
壁の一面はステンドガラスでいっぱいだ。
正面にはジーザスクライス(イエスキリスト)が十字架に張り付けられている。

大樹はその中にいる人々を見ながら同じように、膝をかがめ胸に手を当てお辞儀をし
アニータの隣の席に着いた。
しばらくすると神父が現れ水のような物を人々に撒いている。

何か心が洗われるようで、心地いい。
これがアメリカでのクリスマスなんだ。
感動した。

神父の話しを聞いたり、パイプオルガンの演奏を聴いたりし約3時間ほど教会にいた。

アニータとまたアニータのアパートに帰り、これからどうするのか話し合った結果、
車でラスベガスに行くことになった。
大樹は車は大丈夫かどうか心配になったので、近くのガレージに車を持ち込んで点検してもらった。ここアメリカでは車検がない。
もし何かあれば自己責任ですべて処理しなければならない。

点検が終わり、早速アニータとラスベガスに向かって、フリーウエーを走った。
約6,7時間のドライブだ。

大樹の所持金は約$300。これは大樹の全財産だ。
アニータはいくら持ってるんだろう???

(19)カリフォルニアで雪のマウントウイルソン

2009-08-21 | アメリカ留学
12月22日、もうすぐクリスマスだ。
ロスアンゼルスの街もクリスマス一色になってきた。
アニータはクリスマスは教会にミサに行くそうだ。
彼女は、と言うより南米各国の人々、アメリカ人はほとんど、ミサに行く。
クリスマスにどんちゃん騒ぎをするのは、日本人だけだろう。
今年は大樹もアニータに連れられてミサに行く予定だ。
クリスチャンではないが、参加しても言いそうだ。
その日はネクタイとジャケットが必要らしい。
いつもジーンズとTシャツスタイルなので大樹は持っていない。
マイクに借りるつもりだ。

明日はアニータと車でマウント・ウイルソンにに行く予定だ。
雪が降っているらしい。

翌日アニータを迎えに行き、快適なドライブでかなり高い山、マウント・ウイルソン
に来た。
すごい!!!雪で真白だ。
スキーをする人々は、車のそばでスキーを装着し、車のそばから滑って行っている。
大樹もアニータもスキー板は持っていないので、普通のスニーカーで外に出た。
外に出たとたんに大樹は滑って転んでしまった。
アニータがゲラゲラ笑ってる。
冗談じゃない、腰を強く打ってしまったようだ。
しばらく立てなくてじっとしていると、何とか良くなった。

大樹はスキーをしたことがない。寒いところは嫌いである。
しかしいつも常夏の(1月2月はLAは少し肌寒い)LAにいると、寒いところも
いいと感じた。
しかしスキーをしようとは思わない。

ここは山マウント・ウイルソンでスキー、 そして下に降りると、海で泳ぐことができる。
サーフボードを積んだ車が沢山いた。スキーの後はサーフィンをするんだろう。

大樹はもうアメリカにもだいぶ慣れて、行動はNative people と同様になってきた。
英語もだいぶ上達し、何とか大学に行けそうだ。

学校の金持ちボンクラ日本人たちは、一向に英語クラスの初級から上に行かない。
もちろん英会話などできない。
なぜならば、日本人ばかりで、つるんで麻雀をしたり遊んでいるからだ。
アメリカ人社会・外国人社会の中に入って行こうとしない。
なんのためにアメリカくんだりまで来たんだろう・・・?
彼らの車は、マスタング、BMW, ミニクーパーすごい車ばかりだ。
親に買ってもらったんだろう。
しかし面白いのは、日本の車会社の社長の息子がアメ車に気取って自慢げに乗ってることだ。

彼らはバイトなどしなくても、日本から生活に困らないようにふんだんと送金をしてくるらしい。
英語も上達しないで日本に帰国し、帰国したら《アメリカ帰り》と幅を利かせるのだろう。
馬鹿げてる。

大樹はそんな連中とは付き合うつもりがない。
某自動車会社の米国支社長の娘が、大樹をデートに誘ったが、大樹は『俺は、デートに
金を使えるほど余裕ないから』と言って断ったことがある。
ちょっといい女だったが・・・・

その後、彼女も彼女の仲間たちは、大樹に対し冷たくあたる。
しかし大樹は、全然気にしないし、関係な~い。

明日はクリスマスイブ、そしてクリスマス。
アメリカ・常夏のロスアンゼルスで迎える初めてのクリスマスだ。

to be continued - Have a Good Weekend ! Bye Bye See You soon!

(18)新商売・新バイトin LA

2009-08-19 | アメリカ留学
車が手に入ったので、これからは行動範囲が広くなる。
何か仕事を探したい。朝3時起きはかなりきつい。
でもこれがあるので、無料で切れ端のビーフジャーキーも食べられ、
肉だから栄養もとれ、そして生活ができる。

やはり、このバイトはやめられない。
百科事典のセールスの仕事の面接に行ったが、英語の喋りがネイティブのように
あまりできないので断られた。
ヒアリングは最近すべてわかるようになったけど。

色々考えていたら、頭の中にひらめきがわいた。
そうだ!掃除屋をしよう。
ビバリーヒルズ・ベルエアー等々高級住宅地を専門でやれば面白いかも。
普通の会話ができれば問題ない。

早速、大樹はダウンタウンにあるLA TIMESと言う、ロスアンゼルスで代表的な
新聞社に出かけた。
それは、クラシファイドと言うカテゴリーに、求人とか小さな広告を出す欄がある。
広告費も安い。
《当方、日本人留学生、ハウスクリーニングまた庭の手入れなど行っています。
ご希望の方は、電話でご連絡ください。》
という内容で(もちろん英文です。)出すことにした。

掲載日に学校を休んでアパートで電話を待っていると、電話がかかるは、かかるは、
ジャンジャン電話がかかってくる。
地域を決めてアポイントを取ると、休む日がない。
ハワイのマイクに、そのことを話すと、彼もやりたいと言う。
よし!二人でやろう。儲けは半々という約束で、掃除屋を始めた。
道具など一切必要ない。その家々にある道具を使えばいい。

ある日、マイクとウエストウッドの大きな家に行くと、日本式に広さを言えば
リビングが50畳ほどあり、一面びっしりシャギーの絨毯が敷き詰められている。

そこを隅から隅まで掃除機をかける。
端から端まで行きまた折り返して掃除機をかけていると、
そこの奥さんが、飛んできて怒りだした。

理由はシャギーの毛を、同じ方向にそろえてないといけないらしい。
要するに、端から端まで掃除機をかけると、折り返さないで、
反対側まで掃除機を持ち上げて持っていき、またそこから掃除機をかけなければ、
同じ方向にシャギーの毛がそろわない。

これは大変だった。重労働だ。マイクはバスルームなどの掃除をしていた。
掃除が終わりバイト代をもらうと、外でマイクと話し、この家はもう断ろうと言うことになった。
奥さんも小うるさいので。

その後、電話でまた掃除屋のオッファーがあり、話を聞くと、
すごく遠いニューポートビーチと言う。
LAからフリーウエーで1時間ほどだ。しかしよく聞くとそこは、
映画俳優のスティーブ・マックイーンの家らしい。
すげー!!!即OK!!
マイクに話すと、マイクも賛同し、決められた日に二人で行ってみた。

大きな鉄の門があり、車でその門をくぐり、車寄せに車を止めた。
門の中はだだっ広い一面の芝生だ。いたるところでスプリンクラーから芝生に放水している。

玄関ドアーは、大きな木製の(鉄道の枕木程の厚さで、高さは3mくらいはあろうか、)
ドアーで、鐘が付いている。その鐘を鳴らすと、しばらくして黒人のハウスキーパーが
出てきたので、要件を話すと中に入れてくれた。

しばらく待っていると、奥さんらしい人が出てきて、いろいろ我々にしてもらいたい
仕事の説明をした。

主な仕事は、車とオートバイのクリーニングの仕事で、常にぴかぴかにしておきたいらしい。
スティーブ・マックイーンの趣味の車らしい。

別棟に置いているので案内してくれ、別棟に入ると、タマゲタ!!ビックリした~
車は約100台ほど(それもクラシックカーから色々)オートバイは50台ほどあったと思う。
すげ~!!! Oh NO!!! だ。

ハウスキーパーの黒人のおばさんに、車の磨き方などを教わり、その日から始めた。
もちろん一日ではできない。
奥さんと、バイト代などの話しをし、二人で1カ月$600で話がまとまった。
マイクと半々で毎月$300が安定収入になった。
(1967年当時では大変な額です。$1=¥360の時代)

もうビーフジャーキーのバイトも掃除屋のバイトも止めて、それ一本に絞った。

学校でその話をするとみんな羨ましがって、サインをもらってほしいとか殺到した。

それからの生活は、朝はゆっくり7時まで寝て8時から3時まで学校、
それからニューポートビーチまでフリーウエーを飛ばし、夜9時まで車磨きの仕事。
一週間に4日働き(火、水、木、金)食事も食べさせてくれる。

最高のバイトだ。マイクも喜んでいた。死体洗いよりず~といい。

最初磨いた車が、30台目くらいまで来ると、また最初の車が埃をかぶるので、
仕事が常にある状態だ。

しかし、スティーブ・マックイーン本人と会ったことがない。
母屋に行かないで、常にハウスキーパーの棟と巨大なガレージが行動範囲だから。
食事も、ハウスキーパーのおばさんが作ってくれた物をおばさんと一緒に食べる。
このような状態だ。

- te be continued – See you again!!