ぼけヴォケ!

認知症患者と介護家族はいかにしてボケツッコミスキルを入手したか。
慢性骨髄性白血病発症。目指せ分子遺伝子学的寛解維持。

めめんと。

2010-08-24 | Weblog
同級生が一人亡くなった。
三月のことだったという。
結婚して、マンション買って、さてこれからという時に。
宣告された余命は三ヶ月。
彼女は、何を思って過ごしただろう。


同級生が亡くなるのは、これが初めてではない。
なのに、二十年近く音信不通だった彼女の死が妙に重く感じられる。
ワタクシメも自身の死が身近な年代になったということだろうか。


「メメント・モリ」という言葉がある。
ラテン語だが、英訳すると「Remember Death」、つまり「死を忘れるな」という意味になる。
このブログの裏テーマでもある。


死にざまは生きざまであるとは言うが。
介護される人の死にざまは、介護する人の生きざまである。
介護される人の生きざまであるのと同様に。


このブログを初めてから、何人もの人々を見送ってきた。
そして、その死を書いてきた。
たぶん、このブログを読んでくださっている方には、名前すら知らないような、全く縁のない人間の死であろう。
それでも、そのことを知ってくれる人がいることが嬉しい。
ワタクシメやその他縁のある人が亡くなった後でも、知ってくれた人がいるだろうことが、嬉しい。
人は、完全に忘れ去られた時に本当に死ぬのだという。
逆に言えば、わずかなりとも知ってくれている人がいる限り、生き続けるのかもしれない。


介護というのは、いつやってくるかわからない家族の死によって終了する。
常にそのことを意識せざるをえない。
介護する側も高齢になってくれば、意識の中にあるのは自身の死でもある。





本日はちょっとまぢめに。
人気ブログランキングへ