漆工芸・スクラッチボード画/前田浩利のブログです。

日本の線画―前田浩利の仕事/銅版画・スクラッチボード画のすべて。

漆工芸家/前田浩利50年の画業

2016年09月20日 | 白川郷今昔物語



《前田浩利 版画》
日本の民家/合掌造りの里
昭和49年(1974年)制作
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細密カラースクラッチボ-ド版画/初公開






-----前田浩利 ・画-----
  飛騨白川郷/越中五箇山の民家
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  細密カラースクラッチボ-ド版画 (細密技法初公開)






スクラッチボ-ド原版を削るための鉄ペン・小型ナイフなど――

白川郷萩町集落/長瀬家(1976年当時)
スクラッチボード版画(原版の大きさ・40㎝x28㎝)







白川村保木脇/岩下家--(制作原版サイズ・40㎝x30㎝)

岩下家は、白川郷合掌民家建築の貴重な遺構と云われ、各種建築誌にも紹介されました。
昭和初年頃まで現地でみられました。白川地方の深い仏教信仰で仏壇の上は歩かない
という建築工法が守られており、岩下家も全面の小部屋が仏壇部屋になっています。
また裏側は作業小屋になっており、農機具等も収蔵されています。

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スクラッチボード版画(原版制作サイズ・40㎝x28㎝)



画集/合掌造りの里
《飛騨白川郷/越中五箇山の民家》全15棟

 作品サイズ 40㎝x28㎝・15葉・解説書付き。
昭和50年(1975年)10月1日発行/白黒スクラッチボー版画・前田浩利 制作






  白川郷・和田家/白川郷・長瀬家/五箇山・相ノ倉集落





 白川郷・遠山家/白川郷・和田家




 
白川郷・和田家/明善寺/寺口家/遠山家/五箇山・菅沼集落




NHK朝の番組に出演―――――
《NHKスタジオ102》
1977年(昭和52年)2月25日・午前7時30分~8時15分

ふるさと白川郷――――――続く。



前田浩利・画
  スクラッチボード画家・銅版画家・漆工芸家
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06-6468-1588

























































漆工芸前田浩利《飛騨白川郷。越中五箇山の民家》を描く。

2016年09月15日 | 白川郷今昔物語
ブルーノ・タウト氏
出展/ウイキペデイア辞典



(昭和初年・1926年頃の遠山家) ---写真出典/柳田国男・今和次郎共著「民家図集」緑草会編



京都に滞在中のブルーノ・タウト氏が白川郷を訪れたのは、1934年(昭和9年)でした。
松古孝三さんはブルーノ・タウト氏と通訳1人を伴って京都から白川郷まで同行案内されました。
ここで上記の写真を見てください。昭和初年頃の遠山家の写真です。
「ポッカ」と呼ばれこの地方で日常の生活必需品を運搬する人夫さん5名の立っている道路が
飛騨街道で国道です。俗に7尺道路といわれて、左右2尺は草道で中央の3尺が歩道として歩ける道です。

ブルーノ・タウト氏は、この長い険しい峠道をどのような思いで歩かれたのでしょうか。
京都で桂離宮や金閣、銀閣、西本願寺等、神社仏閣を拝観したあとの飛騨街道への旅になります。
白山連峰の二千米級の険しい山々の連なる峠道です。厳しい風土と共に生き続けてきた合掌民家の
最初の出会い--遠山家を見て“かやぶき屋根が実に美しい、まるで褐色の毛皮そっくりだ”
と、案内の若き松古孝三さんにもらした感慨の言葉でした。松古さんの情熱と献身的な現地紹介
は、この大合掌民家の真姿を正しく世界に伝える礎になったのです。
ブルーノ・タウト氏は、この遠山家の1棟を多角的に調査し長時間研究されたといわれています。
   その後、荻町集落には入られずに京都に戻られました。

  

(ブルーノ・タウト氏の--桂離宮を拝観して--のデッサン帖は、後日公開します。)
--前田浩利・記





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  《遠山家屋根葺替工事》
――昭和50年4月16日~22日まで――
ブルーノ・タウト氏と松古さんがこの遠山家を調査訪問されてから32年後の葺替え工事となりました。(前田浩利・撮影)





遠山家80年目のお化粧---
写真/前田浩利・撮影


《遠山家三代目の屋根葺替え昭和の大修理》
白川郷の合掌民家の構築順序が一目で解る写真です。----伝統の葺替え工事の各部分工法、
縫木と溝梁を太い木のつる(ねそ)で縫い合わせながらの骨格造りです。広くて大きな屋根をこの構造のみで構成
しますが、板や釘1本も使用しません。その後、すのこを全面に引き下部の部分から順次上部に重ね葺きしていきます。
この段階で茅師の技術が問われます。30年持つか100年耐えられるか---の違いです。柳田国男先生は、
「日本人は、生まれぬ孫彦の為を思って苦労します。村で草分けと云い、家でご先祖という人の努力には、よく見れば--その用意--が
正しく有りました」とのべられています。 こうした村落の伝統、風物、風景を今一度再現していきたいと思います。


---前田浩利・記



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前田浩利のスクラッチボード画・白川郷 《飛騨白川郷・越中五箇山の民家》

2016年09月12日 | 白川郷民家/今昔物語
日本の民家/合掌造りの里
《飛騨白川郷・越中五箇山の民家
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  白川郷の大恩人/松古孝三さん



(上記右、平瀬ダムは、岩波写真文庫/岐阜県-1957年版新風土記による)












 続く----。






































前田浩利と飛騨白川郷

2016年09月07日 | 白川郷今昔物語
日本の民家/合掌造りの里
《飛騨白川郷・越中五箇山の民家》
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約50年・半世紀前の白川郷です。――――








松古孝三さんについては、後述します。

(左:松古孝三さん、右:前田浩利―――1965年5月3日・松古さんの旅館/城山館をバックに)




白川郷・萩町の夏~秋の民家風景。














続く――――。



前 田 浩 利
http://www.maeda-urushi.com  E-mail:maeda8@ion.ocn.ne.jp
〒554ー0002大阪市此花区伝法2-1-54/TEL・06-6468-1588





























 
  




            









スクラッチボード画―それは日本の線画です。

2015年09月16日 | 漆工芸/前田浩利
前田浩利スクラッチボード画制作の変遷は、
昭和から平成に引き継ぐ現代広告の
(新聞広告)変遷の歴史といってよいでしょう

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―小刀で画面を削りながら絵を描く特殊技法の絵画―
《スクラッチボード・イラストレーション》
前田浩利――魂の線刻描法/実践テクニック公開。




スクラッチボード画
 ●実践広告編―(1)大ネルソン展/新聞広告 全十段
【 三越 】1967年10月10日開幕~22日(日)





  スクラッチボード画―前田浩利・作
  ●実践広告編―(1)
  【 三越 】大ネルソン展/新聞広告 全十段
  ●1967年10月1日開幕~22日(日)迄―制作AD・電通/1967・10・10日―朝日新聞紙上。




1967年(昭和47年)は、私にとって大切な基点となった年です。

1967年10月10日の新聞広告です。―もう随分昔の仕事ですから、当然オリジナルは風化しています。
今では信じられないぐらいの色になっていますが上部のさび色が当時の新聞紙です。

下部の白い原稿は、皆さんもご存じの通り保存用の清刷りです(初稿)。
二枚の原稿を対比しますと約半世紀という時代を感じます。
ネルソン提督と帆船ビクトリア号の絵は凸版で製版され、文字(コピー)は活版の文字組です。
今の時代から云えば、なんという贅沢な広告でしょうか。これこそまさに凸版画芸術といえます。
当時電通さんのアート局長・中井幸一先生の云われた「広告にアートを」の世界観、不変的な広告価値の創造といえるでしょう。

(前田 浩利・記)
 






(1967年8月 )電通さんより緊急電話を頂く――
電通のアート局長・中井幸一先生からの電話です。
「日本橋・三越が英国政府主催の大英国展を開催されることになった。ついては、すぐに電通に来てほしい。」
というお電話です。 実はこの前年に中井先生に初めてお会いし、私の古典銅版画作品を見て頂いたばかりでした。
中井先生は、英国ネルソン提督の有名なトラファルガー沖海戰を(1805)君の技法で
描けないか―、というお話しです。広告美術界の新聞広告---1度は経験してみたいグランドでした。
オリジナル銅版画で制作するには、あまりに重く、時間も限られていますから、私の提案でペン画の技法を
駆使して18世紀銅版画のイメージを再現することにしました。それがこの新聞広告です。

以後、近年まで、私のスクラッチボード技法と電通さんとの仕事が続きます。

 









拡大して帆船全体を見て頂きます。
英国トラファルガー沖海戰は、英国艦隊33艘対スペイン、フランス連合艦隊41艘の
壮絶な戰いです。海戰模様は歴史絵図として多くの油絵に描かれていますが、そのままを広告資料として
取り込むわけにはいきません。1点目は英国の旗艦ビクトリア号1艘に絞り込み、海戰の凄さを
帆船の全体像に再現すること、もう1点は海戰の全体を残された絵画からデッサンする。
  さまざまなコンセプトが考えられ、広告作品は崇高なメッセ-ジです。―という指標のもと、
他の広告に類像するものがない、継続的な広告価値を実証できる絵でなければならない。として、
この海戰の象徴的存在に私の古典銅版画技法が採用されました。







更に拡大して複数の帆の部分を見て頂きます。(新聞使用原寸の2・5倍に拡大)
 
 帆船といえども戦艦です。戦い続け帆は破れ、マストが折れるまで激戦は続きます。
しかし中世の帆船は、すでにロマンの世界にいます。どれだけ激しい戦いでもどこかロマンの香りがするものです。
それがまた、このコンセプトの力になっています。 とりわけ帆船は帆が命です。
私はことさら帆に中世の夢を描こうとしました。荒めのペン画スタイルで、掛け合わせの線からくる
もわれのテクニックを存分に現し、複雑で予測不可能な刹那の線質を楽しむ― 本来あり得ないもわれ
も不思議な絵画体験を醸しだします。これがなぜかヨーロッパのエッチングを想起させます。

この頃は、私はまだ20代です。中井先生は若い私によくこの大作を描かせて頂けたものと、
感謝せずにはいられません。 本企画展は、大成功で閉幕しました。










帆船の絵の部分は、額装しても立派な凸版版画になります。






スクラッチボード画―前田浩利・作
 ●実践広告編―(1)
 【 三越 】大ネルソン展/新聞広告全十段
 1967年10月10日開幕~22日迄
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前田伝統漆工房/前田銅版画工房ー前田浩利
    制作工房/〒554-0002/大阪市此花区伝法2-1-54
               TEL・06-6468-1588







 















































  





















日本の線画/スクラッチボード画

2015年09月13日 | 漆工芸/前田浩利
世界のアート/スクラッチボード画
《 前田浩利の実践プロ作品集 》




スクラッチボード画
●修作 (2)/泰西名画・ターナー作遭難の図
前田浩利 ・ 刻画



スクラッチボード画/泰西名画ターナー作の遭難図―(原画制作・左右45㎝x32㎝)

原画から製版し〈凸版画〉を制作して楽しむ。
この一枚はスクラッチボードの原画から、凸版の製版を造り「凸版刷り版画」を
制作しました。その凸版にインキを塗り銅版画プレス機で刷り上げた作品です。紙は越前手漉き和紙です。
スクラッチボード原画のままでは、1点ものの絵画か、多用途の印刷原稿の素材になります。
線画による制作は、それ自体すでに古典銅版画の領域です。 (浩利・記)







泰西名画/ターナーの油絵によるスクラッチボード画 全景――前田浩利 ・刻 画
                           (原画制作・左右45㎝x32㎝)





線刻の本質と真実の造形を求めて―
鋭利な小刀で線を刻み、その線の集積によて造形の本質を
描出する線刻造形画です。

ターナーの油絵の手法は、ルーベンスの様に細部の輪郭線がはっきりしていません。
光の画家と云われる所以です。細密線画での模写は、ぼかしとか、ごまかしが出来ませんから
細かい部分は、断定してデッサンを決めてしまいます。 全ての人物の輪郭線は勿論のこと、怒濤の波の
勢いや砕け散る波、波、全てが断定です。 ターナーの光の油絵が細密線刻描法による工芸的手法によって
三次元的な絵画空間を演出できたら――と思います。








制作原画サイズの約2・5倍の拡大です。
この画面は、原画の約2・5倍の拡大で見て頂いています。このシリーズは、私の線画の解説ですから、
拡大する事によって線による質感、流動性、強弱等など諸要素を理解して頂けると思います ( 浩利・ 記 )










( 泰西名画/ターナー遭難図・オリジナル油絵全景 )




スクラッチボード画
●修作(2)/泰西名画ターナー海難図
前田浩利 ・刻画
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前田伝統漆工房/ 前田銅版画工房/前田スクラッチ版画工房
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〒554-0002大阪市此花区伝法2-1ー54 前田浩利
工房/大阪市此花区伝法2-1-54・TEL06-6468-1588
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 スクラッチボード画の修作二題をご覧頂きありがとうございました。
次回から広告宣伝美術業界の実践制作のご紹介になります。 ( 前田浩利 ・記)

 

































日本の線画―スクラッチボード・イラストレーション

2015年09月05日 | 漆工芸/前田浩利

 世界のアート/スクラッチボード・イラストレーション
 《 前田浩利の実践広告作品集 》




 スクラッチボードの修作を2題見て頂きます―
 
 スクラッチボード画
●修作 (1)/ルーベンス
 前田 浩利 ・画


スクラッチボード原画制作(左右35㎝x天地38㎝)


一本の明快な線の集積によって、あらゆる対象、風景を描出します。
スクラッチボード画―それ自体完成された絵画形式ですが、「削って描く」という特徴は
他の絵画様式にも影響を与えました。漆工芸沈金の技法練度のために、銅版画の直接彫りや、黒のグランド液を
削り取る修練の為にも、唯一無二の画材といえます。本来、ヨーロッパでの小口木版の技術や銅版画のビュラン彫り
の線上に位置し、複雑困難な制作過程から解放され、一気に線画の造形を楽しめるために工夫された原紙です。
 




 このルーベンスの習作では―
 制作原寸の2倍~5倍の拡大で見て頂きます。










鋭利な小刀で漆の鏡面に線を刻み金箔を沈め文様を描くのを「沈金」といいます。
銅版画では、銅版上に液体グランド液を挽き小刀で削りながら絵を描き腐食液で原版をつくります。
私にとっては、表裏一体の技法です。
  ( http://www.maeda-urushi.com )












泰西名画を修作の題材に用いることは―――
一つの絵画技法を世に提供し、その評価を得る為には古来より誰もが知っている
有名な泰西名画を題材にとる手法が用いられています。泰西名画は主題の表現方法において完璧であり
世の誰もが心に深く生きつずけている芸術遺産ですから、その名画をある技法に変えて制作表現する
ことは、即座にその画法の真価をとわれます。スクラッチボードの習作も含めて400点以上の
作品は順次見て頂きます。 (浩利 記)





スクラッチボード
●修作(1)/泰西名画ルーベンス
前田 浩利 ・画刻
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前田浩利/現代スクラッチボード技法の創始者。

2015年08月28日 | 漆工芸/前田浩利
 私のあらゆる線画の源流は、スクラッチボード技法に始まります。
  □ 漆工芸沈金のために―
  □ 西洋古典銅版画のために―
  □ 宣伝広告美術のイラストレーションのために―
 

この三種の業界はそれぞれが独立した造形世界を有しており、また、芸術的価値基準が異なります。
しかし「作品」 という概念は共通して「小刀で削る」 という行為に帰結します。スクラッチボードは
私が描こうとする創造的アートの世界に直結した技法です。複雑な制作プロセスを省略でき、対象の本質に
迫る唯一の画材です。


今回、このブログで発表しました〈東日本大震災・漆工芸沈金〉の絵をご覧頂いた方から、
日本の漆工芸二千年の歴史上、はじめて登場した技法ですといわれました。(北陸の漆器産業の方がた~)
それと同時に、この沈金による線画の成立過程―その歴史など、そしてこの技法の入門と練達の方法を
解りやすく解説してほしい、云われたことがあります。


私はこのブログのなかで初めて宣言します。スクラッチボード技法こそは、世のあらゆる
線画のアート表現に適した創造的素材であるということを――。漆工芸沈金技法の為に、また西洋古典銅版画の
修練のための素材として、有効な手段であることを、私の作品を通してご説明してゆきたいと思います。



恐縮ですが私の略歴を三枚掲げます。 《 前田浩利の略歴---1》



上部を拡大して見て頂きます。








《 前田浩利の略歴---2》
西洋古典銅版画作品8点― /アムステルダム国立美術館に収蔵される。


私のあこがれの美術館/アムステルダム国立美術館です。
レンブラント美術館として、あまりにも有名な美術館です。フエルメールもありますね。
1991年に、私は思いきって同美術館に銅版画作品を送りました。とにかく私のオリジナル作品を
見て頂きたいと思ったからです。一ヶ月後、封書がとどきました。版画室長のG・ライテン教授
からのお手紙です。世界にこの人ありといわれる レンブラント研究家の第1人者の方です。全文は掲載
できませんが、古典銅版画としての風格、格調の高さについて啓示を頂きました。私の古典銅版画は線画です。
一本の線にこだわり続けたいと思います。 (浩利 記)


 

 私はかって米国では五回、個展と協会展を開催してきましたが、この30年間は日本で開催
 したことはありません。私の銅版画は、ぜひHPを見て頂きたいと思います。

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(前田浩利の略歴----3)


前田浩利の略歴を見て頂きありがとうございました。
 
私の3・11大震災の漆工芸沈金の技法、西洋古典銅版画の技法も、その根幹を成す技法は、
スクラッチボード・イラストレーションの技法です。
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Message
前田伝統漆工房
制作工房/大阪市此花区伝法2-1-54 TEL/06-6468-1588

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【前田伝統漆工房/前田銅版画工房/前田スクラッチボード・スタジオ】
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上記三様の制作様式は (漆工芸沈金-東日本大震災の制作/西洋古典銅版画制作/広告デザイン界の
イラストレーション )と表現形式は異なりますが、根本になる技法は、スクラッチボードの削りの技術です。
【 前田 浩利の略歴 】
 
 













漆工芸家/前田浩利・衝撃の3・11大震災を刻画。

2015年08月19日 | 漆工芸/前田浩利




3月25日の日記です。
〈岩手県宮古市田老町〉の世界一堅牢といわれた防潮堤が崩壊しました。
海面から10mの高さ、総延長2433mあり、田老町を取り囲むように構築された防潮堤です。
この映像を見ながらこの大震災を、私の漆工芸沈金の技法で描き残すことを、この時決意しました。

作品原版の大きさ(漆板90㎝×60㎝)


  前田伝統漆工房
          〒554-0002/大阪市此花区伝法2-1-54
             TEL/06-6468-1588
前田 浩利

日本の漆/前田浩利・衝撃の大震災を刻画。―(8)

2015年07月21日 | 漆工芸/前田浩利

 2011年3月14日午後2時46分
 東日本大震災/巨大地震マグニチュード9・0が襲う― 
 〈漆〉
  
    〈手帳日記〉


 《手の平サイズ50頁の手帳》
 有り合わせの和紙を切り揃えて、50頁ほどの手帳を仕立てました。流れる映像を
 見ての衝撃は“生死”という文字でした。

 (2011・3・14日)







 《千年に一度の大震災―》
 最初に飛び込んできた言葉は“千年に一度の―”という繰り返しの言葉です。
 全てはこの言葉で象徴される衝撃の大きさをを予感し、思わず手にした筆は支離滅裂の文字になりました。
  (2011・3・15日)
 





 《津波の怖さを知っているあなたが-》
 傷ついた子供を抱き抱えた若い母親の姿が、脳裏に焼き付いて離れない。
 東日本、東北の皆さん!―、津波の怖さを一番よく知っている筈のあなたがどうして---
 逃れることが出来なかった悔しさと悲しみ、やり切れなさがこみあげて
 筆にしてはいけない文字を書きました。
 (2011・3・20日)
                                                  
 
 
 
 

 《命の水が命を奪う―》
 地震発生時から次つぎと提供されるリアルタイムの映像を、デジカメで6千枚ほど撮影し、
 その後震災動画の映像集46本をパソコン内に収録しました。 豊かな命の水がすべてを破壊し尽くし、
 さらに命が奪われる。

 (2011・3・27日)








今日からデッサンを開始します。
被災動画の映像から瞬間素描400枚のスケッチを描く。(素描画面・ハガキ大)





 
《 瞬間素描は残像との闘い―》
瞬間素描は、凄まじい破壊現場の一瞬を脳裏の奥に焼き付かせ、その残像が消えぬうちに、
素早くスケッチとして描き残します。カメラのシャッターと同じで念を込めて“映像のエキス”を眼底に写しとります。
動画は一瞬一瞬の連続です。一本の動画を3回は見直し素描しています。
今日は震災から1年目が経過した日です。デッサンを始めました。
(2012・3・14日)
 
 

  
  

 
《 素描からデッサンへ―》
 瞬間素描のスケッチを見て、崩壊現場の直感を大切にしながら、誇張ではない真実の造形たり得ているか
 何度もデッサンを描き直します。


 

 
《 デッサン画から漆塗り原版へ)
完成したデッサン画を漆塗り本番使用の大きさに拡大する (漆原版サイズ90×60㎝)



 
《 漆工芸/沈金制作》

《 岩手県釜石市の崩壊する市街地 》
市街地を崩壊させる濁流、大津波の猛威が想像を超えた被災現場となって眼前に繰り広げられた。
 






~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
《 漆工芸/沈金制作 》
  《岩手県陸前高田市/濁流の猛威に崩壊する集落》
 


 漆塗りの鏡面は、世界で最も堅牢な塗装です。
 私の線刻描法は、一本の線にこだわり、その線の集積で絵画の三大要素である質感、重量感、遠近感などの
 諸要素を捉えようとします。私にとって造形デッサンの概念とは「線画」そのものです。
 濁流と崩壊してゆく集落の被災画は線を引く(削る)行為のみによって成立します。



現在まで大版6点が完成しました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
次なる作品もぜひご覧下さい。前田浩利 ・記


E-mail:maeda8@ion.ocn.ne.jp

























  





漆工芸/前田浩利 3・11大震災を刻画。―(7)

2015年07月18日 | 漆工芸/前田浩利
3・11宮城南三陸町―崩壊の7分間。

 
〈漆〉                       
宮城県本吉郡南三陸町―なだらかな傾陵に広がる美しい集落の
 あらゆる構造物は、海側から丘を乗り越えて来た津波によって、2分で崩壊が始まり7分で壊滅した。


 濁流の轟音、瓦礫の木っ端微塵に崩れる音、崩壊する民家の土煙りのなかで
 鳴り響くサイレン、人々の絶叫、悲鳴が--------なだらかな丘の集落は、一舜にして瓦礫の丘と化した。
   作品原版の大きさ(70×45㎝)・ 部分


  荒れ狂う小波は濁流となって―

  丘を越えた津波は、複雑な小波となって右に左に跳ね回り、はげしく構造物に直撃する。
  複雑に破壊された瓦礫は固まりとなって、さらなる瓦礫を砕く。
  (部分)
  


 



 
  
  
  私の漆工芸は「沈金」という技法です。
  大版の漆塗りの原版に、小刀を当て線を刻み、その刻みに生漆を擦り込んだ後、
  金銀粉や色彩粉を蒔き完成します。小刀は、世のあらゆる鉄ペンやナイフを応用し、自分流に研ぎ直し
  形を整えて使用しています。漆工芸1500年の歴史の中で考案された伝統の「沈金刀」は存在しますが
  私は使用していません。私の線刻画「沈金」は、一本の線にこだわり、その線の集積によってあらゆる対象、
  風景を描出し、三次元的な絵画空間を演出します。
  (部分拡大)
  
  
  
   


 
  早い!津波は早い!―
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  凄まじい早さで集落を崩壊してゆく映像を見て「私の出来ることをしょう―」
  皆がそう決意して立ち上がることでしょう。漆線刻画一筋の40年です。
  砂煙と瓦礫の中で死にゆく人びとを、私の技術が力量不足でも描かずにはいられない。
  「命がおわる、命が奪われる」 この真実をわたしなりの手段で伝え残そう。
  私の漆工芸・沈金の技法こそは、それにふさわしいと信じつつ。 前田浩利・記

 
 





 



 

《漆工芸/貝合わせ》前田浩利の漆芸・千年の伝統 平安女君の遊具。―(2)

2015年06月12日 | 前田伝統漆工房
       
    伝統漆工芸家/前田浩利・書 画
         《貝合わせ》
  千年の伝承/宮中文化の華・王朝女君の遊具

  
  山紫水明の京
  花鳥風月は王朝びとの心――

  桜を散らす一瞬の風の動きに、清渓に落ちる水の流れに 流麗な 「くずれる仮名の美」 を育んだ王朝女君の美意識は、
 典雅を第一義とした華麗なサロン遊宴から、情感あふれる和歌や優雅なやまと絵を生み、育てあげました。
 貝合わせは、平安独特の「合わせ」の趣向と美学から生まれた王朝びとの遊び心で、この小さな愛すべき美の誕生となり
 永遠に時代のシンボル、伝統的遊具として伝承され引き継がれてきました。桃山時代から江戸期の武家典礼では、
 これを婚礼調度の第一義と定められ、華麗な輿入れ行列の先端を飾ったといわれています。一寸余談になりますが
 徳川家、池田家の豪華な貝桶に保存されている貝合わせは別格にしても、昔は全国の由緒ある旧家の床の間には
 貝合わせの一対がさりげなく飾られており、大和絵の源氏絵がゆかしい風情をかもしだしていたものです。
  時代の流れには、あらゆる文物資料も劣化を免れません。それは“味”なのか風流なのか―、いずれにしても江戸期に
 描かれた貝合わせ作品は、ほとんど見ることができなくなりました。 現代では多くの人が自分流のテーマで
 斬新な作品をつくり楽しまれています。


  「風流貝合わせ」の誕生です。
「貝合わせ」が、千年の伝統だといっても私達がいま、平安時代の源氏絵をそっくり似せて描き残すことは不可能でしょう。
また、そのように無理して復元することもないと思います。私は私のオリジナルで挑戦しようと思えば、
風流貝合わせの誕生となりますね。私の室礼品(しつらい)は、私だけのもの―
千年前の時代の大先輩たちの伝承を敬愛しつつも、「わたしの貝合わせ作品を見てください」という気持ちです。
私は平安中期の藤原公任が選んだ歌集・三十六歌仙の歌聖の姿とその歌ごころを、この一対の貝の内面に表現したいと思いました。
  前田浩利制作〈貝合わせ・三十六歌仙〉の誕生です。
   
  





和紙が誘う極みの世界-------
  天女の舞さながらに、合わせる彩りはいにしえ人の世界です

   薄い手漉き和紙を継ぎ貼りし重ね貼りしながら歌聖の歌心をイメージします。
  花鳥風月 山紫水明は、たなびく霞の色にあり、織りなす色彩は平安王朝のすでに幻想の世界です。

  風景のイメージはすべて薄いちぎり和紙で構成します。時には色墨流しなども用います。流れる雲、
  四季の彩りのなかで渓流のながれ落ちる音の響きすらも醸成できるような気持ちです。絵筆で描く色つけは、
  最後の留めのイメージです。歌聖の肖像と和歌の制作は、世界のあらゆる画材の中から選び抜いた素材を
  使用しています。また、歌聖の歌の書は、読みづらい変体仮名はできるだけ使用せずに、平易な仮名文字
  のみで書きました。文字は黒漆を使用しますが歌詞によっては、色漆をも使用します。貝の内面は、和紙の継ぎ
  貼りや金銀砂子を散らしたりしていますから凹凸があり、本漆のねばりが細い仮名文字に適しています。

  手漉き和紙や民芸紙、特殊芸術紙等を継ぎ貼り、重ね貼りをして制作しますから接着には
  私は透明なウレタン樹脂を使用しています。本漆をはじめ各種素材を使用しますが、制作工程は、
  あらためてご説明します。
  


  
  
  


   
   



   
在原業平
   世の中にたえて桜のなかりせば春のこころはのどけからまし








   紀 貫 之
   桜ちる木の下風はさむからてそらにしられぬ雪そふりける






 







  前田浩利・書 画
E-mail:maeda8@ion.ocn.ne.jp
http://www.maeda-urushi.com
 《前田伝統漆工房》〒554-0002/大阪市此花区伝法2-1-54
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日本の漆工芸 《前田浩利の貝合わせ》―伝承・平安王朝の遊具。(1)

2015年06月12日 | 前田伝統漆工房
       《貝合わせ》
   千年の伝承・平安の雅を1対の貝に秘めて―

 宝石のように美しく、伝統の遊具は
 漆工芸家 前田浩利の書と華やかな歌仙絵となって甦りました。

 
 2008年(平成20年)は「源氏物語」が書かれて千年になりました。
 日本各地のみならずフランスやアメリカでは「源氏物語千年紀」の記念行事が行われています。
 社団法人・紫式部顕彰会では、この年の歴史に残る記念行事として、「源氏物語と紫式部/研究の軌跡」
 の大著を発行されました。 著者・監修者は日本の古代学の権威・角田文衛先生(同顕彰会会長)・片桐洋一先生であり、
 現代の源氏物語と紫式部研究家40名の先生方の論文と著作をまとめられた1大研究本です。発行は角川学芸出版社。
  私は2006年に東京から来阪し、同顕彰会会員として研究会の末席に参加しながら、「貝合わせ」を制作して
 いましたが2008年の千年紀と紫式部千年祭では、京各所で《平安の雅・貝合わせ展》を開催して皆様にも
 見ていただきました。 今回このブログで発表する「貝合わせ」作品は、その時のものです。― 前田浩利 記

前田浩利 制作 (書・画)漆工芸■源氏物語貝合わせ・全五十四帖一揃い■平安三十六歌仙貝合わせ・一揃い
 平安六歌仙貝合わせ■百人一首(抜粋)貝合わせ■花鳥風月ー風流貝合わせ等です。
 
 


2008年「源氏物語千年祭」の記念行事として出版された大著〈源氏物語と紫式部〉
 
      同顕彰会発行の大著・源氏物語と紫式部/同顕彰会会報・わかな/前田浩利制作・貝合わせパンフレット他

                  
                      《貝合わせ》
                  千年の伝承/王朝女君の遊具
                   平安三十六歌仙―(1)


 
                 平安の雅/王朝女君の遊具
                  《貝合わせ》


”斎宮女御”
  琴の音に峰の松風かよふらしいずれの緒より調べそめけむ




貝合わせ・斎宮女御
前田浩利書 画・斎宮女御/飾り台・越前塗沈金・前田浩利刻画/竜安寺庭園





  貝合わせ・三十六歌仙/
 (全作品大版桐箱収納)












 前田浩利・書 画
 E-mail:maeda8@ion.ocn.ne.jp
http://www.maeda-urushi.com
 《前田伝統漆工房》〒554-0002/大阪市此花区伝法2-1-54・TEL/06・6468-1588

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千年の伝承―漆工芸/前田浩利 3・11大震災を描く。(1)

2015年06月08日 | 前田伝統漆工房
   前田浩利の漆―魂の線刻画
    未曾有の大震災を描く―




 《大震災と漆工芸》―制作趣旨。
 
私の漆工芸沈金の技法は線描です。あらゆる造形は線のみによって表現しています。
 点描は飛び散る波の表現のみです。ぼかしの技法も線の集積で描画します。
 歴史の証言者として、また、この絵が文献として残るべく確かな顕彰の上で制作しています。
 越前漆器の漆匠の手による黒漆塗りの鏡面は、世界で最も堅牢で美しい塗りです。
 今回の大震災シリーズは大版サイズ(90㎝×60㎝他)で制作しています。わたしの沈金技法は、小刀で深く
 彫りながら絵を描き、その面に漆を挽き純金とプラチナ銀を擦り込み完成しますから、
 千年以上は変わらずに輝き続けるでしょう。

 
《取材方法と展開》
 地震発生時からテレビの各社の映像をデジカメで撮影し、流れる実写の場面を六千枚ほど記録した後
 その後の震災動画の映像集46本をパソコン内に収録しました。2012年3月、震災から1年を経た日から
 写真や動画集の映像を見ながらデッサンを開始します。リアルタイムで流れ動く映像から、瞬間素描400枚、
 のスケッチを制作、その後デッサン画を40枚完成しました。今回の漆沈金の制作は、20点が
 目標ですから、さらに構想を重ねます。     前田浩利 記


 
 (2015、6,10現在)


■この大震災シリーズは20点が目標ですから、これからの制作もぜひご覧下さい。










前田浩利・刻 画

E-mail:maeda8@ion.ocn.ne.jp
http://www.maeda-urushi.com
前田伝統漆工房
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   あなたのご意見、ご感想等をぜひおよせください。(浩利・記)

  工房/〒554-0002大阪市此花区伝法2-1-54/TEL-06―6468―1588
   前田伝統漆工房/前田浩利
 
 

   

  
 
   




  次回は、前田浩利の漆工芸--魂の線刻画(8)になります。
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日本の漆芸 《沈金・前田浩利》大震災を描く―(4)

2015年05月18日 | 前田伝統漆工房
  

   《 漆工芸・沈金 》 ―
 ――床の間文化の装飾、室礼品から造形絵画の世界へと引き継ぐ
   新しい創作の旅へ出かけよう。


   3・11東日本大震災 真実の記録・第4弾 ――岩手県宮古市田老町の防潮堤防。

                   
            ”田老の防潮堤防が崩れた”
   この第一報は、東日本全域に驚きと戦慄を持っ伝えられた事でしょう
   それほど、この防潮堤防は地域安全の支えであったし、安全神話の象徴、精神的支柱だったのです。
   明治29年6月の明治三陸津波と、昭和8年大津波被害を契機に太平洋に向かって史上最大といわれる
   堤防の建設を開始し、1958年3月に完成します。海面から10mの高さで総延長2433mに
   達し田老町の街を取り囲むように建設されました。津波の一撃は、最も海辺に近い一角の堤防から
   崩壊してわずかな鉄筋の構築物を残し、街を全滅させました。防潮堤の安全を信頼していた
   住民の皆さんは自宅避難者となって被災したのです。

   
 



   
田老の街並みは、この防潮堤防のすぐ脇まで寄り添うように建てられていました。







   
小高く豊かな里山に囲まれた平和郷、田老の街並みも10mを越える津波によって壊滅します。






   
   大版の漆塗りの原版に小刀で絵を刻み、その刻みに生漆を擦り込んだ後、金銀粉や色彩粉を蒔き
   完成します。小刀は世のあらゆる鉄ペンやナイフを応用し、自分流に研ぎ直して形を整えて使用します。
   漆工芸1500年の歴史の中で考案された「沈金刀」は存在しますが、私は使用していません。
   伝統的な装飾図案を描くには適していますが、表現する対象を伝統の工芸的表現から自由奔放な絵画的
   表現をしてゆく過程で“前田流沈金刀”を考案しました。

 





   
   この大震災制作の漆板は大版サイズで制作しています。
   この大震災の沈金作品シリーズは、大版の漆塗り(90㎝×60㎝)を使用し、塗りは越前漆器の
   匠の技による見事な鏡面です。伝統的な漆工芸界では信じられない大きさですが大震災を克明に描く
   には、この大版が私にとって気持ちになじみます。漆塗りの鏡面は世界一堅牢な塗装です。
   鋭利な小刀でもかなりの力を要します。




    
   このシリーズで発表している作品は、私が制作しながら片方の手でデジカメで撮影したものです。
手ぶれを生じたり、部屋の一角が画面に写り込んだりしています。ご容赦ください。

   ●私の作品の技法は、漆工芸〈沈金〉です。全ては小刀で削りながら線で描く線画になります。
    点のみで描くことはありません。小刀は常時20本ほど揃えています。漆板に当てる刀の角度や、
    腕の位置等、古来より伝承されてきた技法とは違います。
   ●今後、私の沈金線刻描法を積極的に公開していきたいと思っています。 


    前田伝統漆工房/前田浩利
     制作工房/〒554-0002/大阪市此花区伝法2-1-54
             TEL/06・6468-1588