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強姦犯罪と民主主義社会論。

2006-09-18 01:14:27 | 国内政治
 確かに、男女で子孫を繁栄させること自体は正しいことで、子孫が残らないということは人類が消滅することだし、自分自身の存在も父母・祖先の子孫であることを考えると男女の子孫繁栄のための性行為はよいことだし、正しい。

 しかし、強姦は本人の自由意志を無視した一方的なものだ。何故、両性の合意を無視することが犯罪なのか。子孫の繁栄のための男女の性交渉はお互いにとって社会性があるから正しいことではないのか。何故、相手の合意が必要なのか力づくで子供を産ませねばならないのではないか。

 こうした見解は民主主義社会とは何かを考えるきっかけになる。つまり、この国は誰の物か。この地方自治体は誰の物か。この会社は誰の物か。私たちの身体は誰の物か。ということである。

 国は国内に生活する人民の物だ。だから、国政の最終決定権は国内に生活する人民みんなに在る。
 
 地方自治体は国内に生活する人民と住民の物だ。だから、地方政治の最終決定権は国内で生活する人民と住民みんなに在る。
 
 会社はそこで働く会社員の物だ。だから、会社経営の最終決定権は会社員みんなに在る。
 
 私たちの身体は私たち自身の物だ。だから、私たちの人生の最終決定権は私たち一人ひとりに在る。

 以上のような民主主義の原理を否定して、一人の女性の人生の決定権を一人の男性が蹂躙するということは、男性が女性の身体を自分の物でないのに、自分の物したところに問題がある。まさに、性奴隷である。女性は男性に自分の身体を所有されたのである。

 こうして、強姦事件から見えてくる民主主義社会の原理の徹底は所有権を取り戻す政治運動・労働運動となってくるのである。
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