「葉書でドナルド・エヴァンズに」に引き続いて、詩人・平出隆による評伝もどき。
いや、これはもう評伝と言い切るべきなんだろう。「エヴァンズ」と比べて、
相当真面目な内容になっている。
伊良子清白は鳥取県生まれの詩人。――と言っているわたしも、この本を読むまで
名前すら聞いたことがなかった。明治期の人。与謝野晶子とほぼ同世代。
夏目漱石と面識があったり、詩業の上では河井酔茗とずいぶん関わっていたらしい。
しかし実はわたしがこの本について一番いいたいのは何かというと、
装丁がいい
ということなのだ。新潮社装丁室は、時々上品ないい仕事をする。
図書館で借りたので、箱はなかったんだけど。
渋く光る白と銀のツートンカラー。背表紙には「伊良子清白 月光抄 平出隆」と文字があるが、
月光抄の文字だけ金字、残りは型押しのみ。
箱付きだからこそ出来ることだろうけど、いやー、しゃれたもん作るねー。
ま、値段もいい値段です。好事家向け。
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でもまあ装丁のみで話を終わっては失礼だと思うので、内容についてもちょこちょこと。
あまり大したことは書けないが。
評伝傾向ということで、最初は多少「エヴァンズ」を意識しながら読んでいたのだが、
やはり全然違いますな。
その違いは、外国の・想像力による存在の・画家・だったエヴァンズと、
同じ言葉を使う・広い意味での先達としての・詩人・である清白と、
平出隆との距離だろう。
エヴァンズに対してはファンタジーとして遊べた。
しかし清白に対しては、埋もれた詩人を掘り返すという使命感もあっただろう。
それ以上に同じ“詩人”としての――近しく、しかし気楽に自由に距離を取れない、
重たい対象でもあったのではないか。
日記にあたり、遺族にあたり、縁の場所を訪ね。
やっていることは同じなのだが、清白に対しての方がとても生真面目。
ここまで生真面目に取り組まなくても……と思った部分もある。
日光抄(つまり下巻)の方の前半は、ひたすら清白の生活苦が年代記的に語られていて、
少々だれる。詩人が書いている意味が薄れる。
やはり詩に関わる部分だよ。詩人が詩人の評伝を書く意味が輝くのは。
才能の方向性の問題だから、そういうものの全てが面白くなるというものでもないが、
平出隆はこういう仕事が得意なんだろうな。
客観的に切り取ったものを、きれいな文章に乗せるのが上手。時々言い回しに立ち止まって
いいなあ……と思う。学者の書く評伝は、こういう部分がさすがに詩人には及ばない。
いい仕事してますよ。平出隆。
だがこの本を読んで、伊良子清白に対してはとりあえず言っときたい。
もう少しじっくり人生設計をしろと!!
前半は詩についての話がメインで、その頃はそれほど感じないんだけれど、
後半、詩から離れて医者として生計を立てるようになってからの転変ぶりといったら。
一体何度職を変えた?何度引っ越しをした?
そりゃ家庭も崩壊するわ。清白ばかりが悪いのではなく、父親の散財癖も大きかったとはいえ、
しょっちゅうあちこち引っ越するわ、子供に厳しく、癇癪持ちだわ。
A rolling stone gathers no moss.
そりゃ貧乏もする。
しかし苔のないことが詩業に役立ったかというと、どうかねえ。そうでもないんじゃないか。
せっかくならば、清白の詩をもう少し数多く読ませて欲しかった気がするけど。
でも作品数としてはそれほどはないんだろうな。
なかで良かったのは、この本のタイトルのヒントにもなっている「月光日光」です。
引用したい気もするけど、縦の物を横にして紹介すると意味がなくなりそうな作品なので
やめておきます。
幻想歴史詩という感じだろうか。こういうのもありなのかという意味でも興味深かった。