東日本大震災から半年が過ぎた頃、あるお宅でがれき撤去をしていました。すると、休憩中に依頼者のお母さんが震災当時の体験談を話してくださいました。
以下の内容は、その体験談です。
【2011年3月11日 午後2時46分 東日本大震災 マグニチュード 9.0】
当時自宅にいた私は、様々な情報が錯綜する中で、避難するのが遅くなってしまいました。
自宅は海の側にあったため、当時の私は焦っていました。車に乗って逃げました。後ろの席に、小さな子供を二人乗せていました。海から遠ざかる方向に車を走らせました。ルームミラーから後ろを見ると、車のはるか後ろの方から津波が迫って来るのが見えました。その瞬間、自分の目を疑いました。一瞬時が止まったような感覚に陥った後、“ハッ”と我に返ったように全力でアクセルを踏む自分がいました。
その時です!
車を運転しながら、一瞬横を見ました。
すると、隣の家の二階の窓からおじさんが体を乗り出していました。ふと目線が合い、こちらを見て必死に叫んでいました。
「助けてくれー!」
その瞬間、時が止まったかのようでした。
「えっ!?どうしたらいいの??」
あらゆる想いが頭の中を交錯しました...
「あのおじさんも助けなきゃ...おじさんを車に乗せても、ギリギリ逃げ切れるんじゃないか...でも、今ブレーキを踏んだら、おそらく津波に追いつかれる...母親として、この子供たちを守りたい...でも、あのおじさんを見捨てることもできない...いっそのこと、私と子供たちも、一緒にこのお宅の二階に避難しようか...?」
いろんな想いが交錯しても、結論はハッキリしていました
「ブレーキを踏むかアクセルを踏むか二つに一つ。
どちらも踏みたいが、どちらかしか踏むことはできない...」
一瞬の判断を迫られた私は、考えるよりも、直感で行動していました。
「__踏んでいたのは、アクセルだった...」
津波に追いつかれそうになったけれど、ギリギリ逃げ切ることができ助かりました。子供たちも無事でした。母親としての責任を果たせた気がして、ホッとしました。
おじさんのことが気になっていたので、数日後におじさんの家まで行って見ると、家はありませんでした。後から地元の方たちとの会話の中で、おじさんは亡くなったと知りました。
半年後...
おじさんの 「助けてくれ!」 と叫んだ声が、私の耳から今でも離れません。こちらを見ながら深刻に助けを求める表情が、私の脳裏に焼き付いています。
あの時、 “アクセルを踏んだこと”
二人の子供に責任を持つ “母親” としての判断 は、正しかったのかもしれません。
しかし、 “ブレーキを踏めなかったこと”
一人の “人間” としての判断 は、果たして、正しかったのだろうか?