家庭連合平和奉仕ボランティア隊キャプテン日記 in 復興支援

家庭連合平和奉仕ボランティア隊(UPeace)のキャプテンが、復興支援の様子や現地の声、感じた思いなどを発信します。

愛情にあふれた現地のお母さん

2012年09月11日 | 統一教会ボランティアキャプテンの日記
 あるお母さんから、夕食のお誘いを受けました。

 最初は断りました。その時は私たちのチームも人数が多かったからです。しかし、「もう、人数分作って準備してるから、絶対に来てね!」というお話をいただいたので、お伺いすることにしました。


 お母さんのお宅に伺ってみると驚きました。私たちのチームだけではなく、他のボランティアさんたちも含めて、30名~40名位招いての夕食でした。しかも、お母さんが一人で40人分の手料理を作っていたのです。

 更に、私たちのチームはそのお母さんから仕事の依頼を受けたことはありません。つまり、食事に誘われた時が、お母さんと初対面だったのです。顔も名前も知らない自分たちを、ただ“ボランティア”ということだけで、ここまで快く食事に招いて下さったこと、その寛大さに驚きました。

「さあ、食べて食べて!ボランティアさんたちにはすごく助けられたから、とても感謝してるのよ。だから、遠慮せずにたくさん食べてね!」

 食事をしながら、震災があった時の話をお母さんから伺いました。

 このお宅は津波が来た時に、二階建ての家の一階部分が津波で埋まってしまいました。なので当然、津波後は家の周囲もがれきだらけでした。お母さんのご家族は避難していて大丈夫だったそうです。

「...それでね、津波が引いた後に家に戻ったんだけど、そこにはもう、信じられない光景が広がっていたのよ。あの光景を目の当たりにした時、何だか不思議な気持ちになったの。あの時の気持ちを言葉にしようと思っても、上手く表現できないのよ。悲しみともちょっと違えば、喜びでもないし...」

 お母さんが話される様子からも、震災後に感じた心境は、本当に言葉で表現できないものだったのだと、よく分かりました。

「...それでね、自分でも驚いたんだけど、津波が引いた後の光景を初めて見た時に、“悲しみ”じゃなくて“笑い”が出てきたのよ。というか、笑いしか出てこなかったの。笑いが出てきた時は最初、自分ってついにおかしくなっちゃったのかな?と思ったくらい。普通だったら悲しくなって泣いたりすると思うんだけど、不思議と私は涙は出なかったの。
 後ろ向きな気持ちは全く出て来なかったのよ。“この家をどうやって片付けようか?”とか、“この地域をどうやって復興させようか?”っていう前向きな発想しか出てこなかったのよ...」


 そして、最低限の自宅の片付けをした後、お母さんは、ボランティアを支える為の炊き出しを始めました。それも、半年以上にわたって毎日、時には40名以上のボランティアさんたちに、お腹一杯になるまで食事を振舞ったのです。

 震災から1年半が経過した今でも、遠方から来るボランティアさんを自宅に泊めてあげたり、ボランティアさんたちを招待して食事をご馳走したり、地域の復興行事に進んで手伝いに行ったり...話を聞けば聞くほど、このお母さんはボランティアさんたちの何倍も、人のため地域のために貢献しているように感じました。

「...不思議なことに、投げ出したくなったことは一度もないのよ。でもそれは、ボランティアさんたちにいっぱい助けられてるからなのよ。だから、本当にありがとね...」

 お母さんは、どういう側面でボランティアさんに助けられてるか聞くと、即答されていました。

「いくつもあるけど、ひとつは笑顔よ!
 ボランティアさんたちの笑顔に、すごく力をもらうのよ。これから頑張ろうとするうえで、十分な力をもらうの。だから、私もボランティアさんの為にもっと頑張りたいし、もっといろんな人を支えたいと思うのよ!」


 このお母さんは、ボランティアに助けられる以上に、ボランティアを助けていると強く感じました。しかし、お母さんは助けられてるという感覚しか持たれていませんでした。

 私自身も、お母さんと話しながらとても感動しました。同時に、とても勇気付けられました。お母さんを通して、強さや優しさ、温かさ、愛情、いろいろなものを感じて、私も心が熱くなりました。

 このお母さんはまるで、ボランティアさんたち皆にとっての、本当のお母さんのようでした。

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