この世を生きていく上では、いろんな悩みって避けられないですよね。
普通に生きていると、お金の問題・健康の問題・それから人間関係の問題が起きる。
この時、この世の出来事に『この世的に』アプローチしていくという意味においては、心理学の手法はある程度有効だと思います。
非常に有効な場合もあります。
これで苦しみを乗り越えられて、楽しく生きられるというんであれば、これで十分だと思うんですよ。
『怒りのマネジメント術』とかね、心の取り扱い方として蓄積された、ノウハウみたいなのもありますしね。
これらを活用することで、苦しみから逃れることができる、良い方法だと思います。
だけど、こういった心理学的手法では対応しきれない苦しみっていうのが、やがて来るんですね、長い人生を生きていると。
その時には、どうするかってことなんです。
心理学はいい方法なんだけども、どうしてもそれだけじゃ限界が来る時がある。
そんな時は結局、『自分の本質』に気づくことが大切になります。
自分の本質は何なのか、自分の深いところ、自分の本当のところは何なのか、そして自我の本性というのは何なのか。。
これに気づいていくってことが、救いになるんです。
普段、僕たちは泣いたり笑ったり悲しんだりしていて、その泣き笑いしている自分が、間違いなく『自分』だと思っていますよね。
当然の感覚ですよ、これは。
自分が今ここにいるという、この感覚。
普段の僕らが『自分』として生きているという感覚。
この感覚が『自分』なんだ、と信じて疑わない。
だけれども本当は、普段の自分とは違う『もうひとりの自分』っていうのが在るんですよ。
それは、目には見えないし匂いもしないし、触れることもできない。
だけれども、確かにそこに在る。ここにも在る。すべてに、在る。
それが『もうひとりの自分』です。
「自分とは何なのか、説明してみてください」と言われたら、どんな風に説明しますか?
私の名前は**ですとか、何々会社の部長です・課長ですとか、誰々の妻です旦那ですとか、色んな説明方法がありますね。
社会的な地位とか立場とか役割で、説明することも出来ますし、これまでの育った家庭環境や好き嫌いの特徴なんかでも説明できる。
そして、これらに共通しているのは、どれも記憶であるってことなんですね。
育ちや環境、役割や立場も、「そういう風に自分がなってきた」という記憶なんですよ。
今までに起きた過去のことね、全部、記憶。
その記憶の束が、自我になってるんですよね。
もうちょっと細かく言うと、「今ここに自分が確かにいる」という感覚に、その記憶がくっついて、自我になっているということです。
それで、この自我こそが、本当の自分だと思っちゃうところに、苦しみの根源があるんですよ。
自分の本質が、自我そのものだと思うから苦しいんです。
泣いたり笑ったり、苦しんだりしてるのが自我なわけです。
その苦しんでいる自我が自分だと思うから、苦しみが続くんです。
じゃあその自我の本性を見抜いて、自我が自分の本質ではないってことに気付くには、どうしたらいいでしょうか?
いろんなアプローチありますけども、今日お話しするのは、『自分を見つめる』って事ですね。
<自我として苦しんでいる自分>を、距離を置いて見つめるということです。
『自分を突き放して見る』っていう言い方でもいいですけども。
感情が湧いてきたら「ああ、今笑ってる自分がいるな~」と自分を見る。
あるいは「苦しんでる自分がいるなーっ」ていうふうに、客観的に見るわけです。
で、ジャッジメントは必要ないですよ。
ただただ、淡々と見つめる。
すると、自我そのものに埋没しなくなってくるんですよ。
すると自我の『濃度』が薄まっていくわけです。
かたくなに一体化して、かたくなに握りしめていた自我から抜け出して、自我を放り出していく、そんな感覚です。
これがどんどん進んでいくと、自我が極めて薄まって、当然苦しみも激減します。
そして、自我が究極的に消滅した瞬間、それが『大いなる気づき』。目覚めの瞬間です。
よろしかったら、試してみてくださいね。
この方法が、皆さんの苦しみを減らす一助になれば幸いです。では、またね。
あなたの今日が素敵に啓きますように(祈)
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