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日本の奇祭29「豊年祭・広隆寺の牛祭り」

2014年08月11日 | 日本の奇祭

一年を通して日本全国の各市町村で何らかのお祭りが必ずあります。

故郷を思うとき、まず思い出されるのが祭りではないでしょうか?

 

ただ世の中には、地元の人には普通で真剣なんだけれど、

外部の人から見ると摩訶不思議な世界に見えてしまう祭りがあります。

これを世の人は「奇祭」と呼びます。

 

奇祭とは、独特の習俗を持った、風変わりな祭りのことと解説されています。

 

これを、人によっては「とんまつり(トンマな祭)」

「トンデモ祭」とも呼んでいるようで、

奇祭に関する関連書物も数多く出版されています。

よく取り上げられるのは、視覚的にインパクトがある祭り

(性器をかたどった神輿を担ぐ祭りなど)がよく話題になりますが、

ほかにも火を使った祭りや裸祭り、地元の人でさえ起源を知らない祭りや、

開催日が不明な祭りなど、謎に包まれた祭りはたくさんあるようです。

 

これから数回に渡って奇祭を特集していきます。

その多彩さに驚くとともに、祭りは日本人の心と言われるゆえんが、

祭りの中に詰まっていることが理解できるでしょう。

 

特に言う必要はないと思いますが、

以下にふざけて見えようと馬鹿にしているように見えようと、

れっきとした郷土芸能であり、

日本の無形民俗文化財だということは間違いありません。

 

今回は、愛知県の豊年祭と京都府の広隆寺の牛祭りです。

 

豊年祭(田縣神社:愛知県小松市)

 

「野も山も みなほほえむや 田縣祭」例大祭は国の内外で有名な豊年祭として、

毎年3月15日に執り行われます。

この祭は直径60センチ、長さ2メートル余りの大男茎形(男性の性器)を

毎年新しく檜で作成し、それを厄男たちが御輿に担ぎ、

御旅所から行列をなして田縣神社の奉納し、

五穀豊穣、万物育成、子孫繁栄を祈願する祭りです。

当日は世界各国からの参拝者で境内が埋まり、

「見くらべて 笑えこの梅 あのさくら」の詩歌のごとく、

国境を越えてみな微笑む祭りで、まさに「天下の珍祭」です。

 

 

[籤取式]

豊年祭に先立って、当日奉納する「五人衆・綱持」を決定する儀式です。

心身を清めた宮司が神前にて「籤」を引き、御神意を伺います。

五人衆5名、綱持5名の計10名が厳粛かつ公正に選出されます。

尚、選出結果が記された神籤紙(紙縒)は田縣神社境内に掲示されます。

 

[斧入祭]

豊年祭に先立って執り行われるこの祭りは、

豊年祭にお供えする大男茎形を彫り上げる最初の神事です。

素材は木曽檜を用い、原木はその年々により若干の相違はありますが、

長さ2メートル50センチ、直径50~60センチ、

重量300キログラム程の樹齢200年から250年の檜を使用します。

3月3日、役員を始め奉製に従事する人、

御輿の担ぎ手である42歳の厄男の代表者達および

五人衆(男茎形を持つ女性)が参列して神事が行われます。

 

[御輿]

御輿には鳳輦と御前御輿と陽物御輿という3種類があります。

鳳輦とは、祭神「御歳神」の御神像を御輿に納めて引きます。

御前御輿とは、祭神玉姫命の背君である「建稲種尊」の御神像を

御輿に納めて担ぎます。

陽物御輿は、お供え物の「大男茎形」を御輿に納め担ぎます。

陽物御輿の重量は、約350~400㎏です。

 

 

[豊年祭]

豊年祭とは、毎年新しく檜で大男茎形を奉製し田縣神社の神様にお供えし、

今年一年が豊かな年であることを祈るとともに、

万物の育成、子孫の繁栄を祈願する神社最大の神事です。

 

豊年祭の主な日程は、

 午前10時  大男茎形及び神宝類など、お旅所「神明社」に安置。

        御輿を担ぐ厄男の献餅行列、尾張中央農協味岡支店前出発。

 午前11時  厄男による献餅行列、田縣神社に到着。お旅所「神明社」にて

        『御前祭』(御輿行列出発神事)を斎行。

 午後 1時  厄男・行列奉仕者など参列。

 午後 2時  御輿行列お旅所「神明社」を出発。

 午後 3時  「例大祭」を田縣神社本殿にて斎行。

 午後3時半  御輿行列田縣神社に到着。

 午後 4時  奉祝餅投げ。

 

[交通アクセス]

電車:JR名古屋駅から名鉄犬山線「犬山」駅経由名鉄小牧線で

   「田縣神社前」駅下車、徒歩5分。

地下鉄:JR名古屋駅から市営地下鉄桜通線または東山線を乗り継ぎ、

    名城線「平安通」駅で名鉄小牧線に乗り換え「田縣神社前」駅下車、

    徒歩5分。

空港:県営名古屋空港(小牧空港)から車で約25分。

   または名鉄小牧駅から車で約15分。

車 :東名高速道路「小牧IC」より41号線経由し155号線で。

 

 

広隆寺の牛祭り(広隆寺:京都市京区太秦蜂岡町

 

 

広隆寺の牛祭りは、

鞍馬の火祭、今宮神社のやすらい祭とともに京都の三大奇祭の一つです。

寺院に祭りがあるのは珍しいようです。

仮面や飾り付けをしたまだら神が牛にまたがり、

仮面をつけた四天王が松明を持って従い、境内と周辺を一巡します。

薬師堂前で祭文を読み、これが終わると同時に堂内に飛び込みます。

五穀豊穣・悪魔退散を祈願する祭りです。

 

京都洛西太秦の別格本山広隆寺は、今より約1330年の昔、

推古天皇の11年、聖徳太子の建立した我が国最古の佛法最初の伽藍です。

この本山で厄除けの神事として「牛祭」と称するすこぶる古典的な、

古雅の趣味に富んだ有名な祭事があります。

 

今から約900年前、三條天皇の長和元年、

一代の僧、天台山(比叡山)の恵心僧都、

日夜信心を凝らして極楽浄土の阿弥陀如来を拝むことを求められました。

ある夜の夢に、「安養界の真の無量じゅぶつを拝み奉らんと思はば、

広隆寺繪堂(今の講堂)の本尊を拝すべし」とのお告げを受け、

僧都は大いに喜んですぐに広隆寺に行き阿弥陀如来の像を拝み、

一刀三禮して弥陀の三尊を手彫りし、常行念仏堂を建立し、

同年9月11日より3日間唱名念仏を修め、

マダラ神を念仏守護の神にして、国家安全、五穀豊穣、

魔障退散の祈祷法会を修行したのがそもそもの起源です。

 

 

明治維新後、しばらく牛祭は中断していましたが、

故富岡鉄斎が900年の歴史を持つ古典的な祭事が無くなってしまうことを嘆き、

明治20年、自ら筆を執って復興趣意書を綴り、

「世に神事祭禮多しといえども、古雅奇異なるのは、この祭を第一とする」とし、

「これは、世間尋常祭禮を行うと同視すべきにあらず」とと高唱し、

「牛祭」を再興し、陰暦を陽暦に改め10月12日夜(午後8時)に

祭事を行うことになりました。

さて、この牛祭の儀式は、簡単ですがすごく古雅の趣味に富んでいます。

その行列は、

 棒持(金棒)………………………2人

 高張…………………………………2人

 各町神燈……………………………28人

 囃方…………………………………6人

 箱提燈………………………………2人

 神事奉行(上下着用のもの)……4人

 若窯(今はなし)

 松明…………………………………2人

 四天王………………………………4人

 弊持(今なし)

 マダラ神(乗方)…………………1人

 牛方(マダラ神の周囲に堤燈松明を持って、従うものの数は時に増減あり)

 牛肝烈………………………………1人

 青年会高張…………………………9人

 

この順序でマダラ神は寺の客殿の庭で牛に乗ります。

 

 

そのとき寺僧は牛に対して灑水加持し祈祷の後、

徐々と西門を出て山門の前をよぎり、東門より假金堂前の式場に入り、

祭壇を3周した後、牛を降りて段に上がり、

マダラ神は正面に腰掛け、四天王はその後方に槍を持ったまま直立し、

その後、マダラ神の発声によって祭文を一種特別の節をつけて朗読します。

この祭文は、恵心僧都の作と伝えられ、

長文で格段ごとに息を入れ切れ切れに読まれるため約1時間かかります。

そして、祭文を読み終わるとマダラ神は祭文を、

四天王は槍を持ったまま、突然に堂内に突入します。

これをもって、祭事は終了となります。

 

この祭事に用いるマダラ神の白面と、

四天王の着ける青赤の阿(開口)吽(閉口)の鬼面と

神面を常夜参詣の希望の人に授けられます。

この面は、家の入り口、または床柱に掛けておけば、

厄事災難除けのお守りになると伝えられ、

また、昔は家を新築する棟上げの時に、この面を棟木札に用いたようで、

多くの人が競って面を受け取ったと言われています。

 

【交通アクセス】

電車:JR山陰本線「太秦」駅下車、徒歩約13分。

   京福電鉄嵐山本線「太秦広隆寺」駅下車、徒歩約1分。

バス:市バス、「太秦広隆寺前」下車、徒歩約1分。

   京都バス、「太秦広隆寺前」下車、徒歩約1分。

 

いかがでしたか。

祭りには底知れない魅力と気分を高揚させる何かがあります。

長年にわたって受け継がれてきた祭りには、

理屈では割り切れない人々の思いが詰まっているように思います。

たかが祭り、されど祭りといったところでしょうか?