湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

平和を実現する関税同盟・・・カレルギーの思想11

2009-09-28 13:55:12 | Weblog
ルシュールは
フランスの経済指導者から成る第2委員会を作りました
この経済委員会は
フランスの経済部門を代表する20名からなるものでした

ドイツにも、これと同様の委員会を結成し
フランスードイツ両国間で、パン・ヨーロッパとして
経済問題を話し合うことが決議されました

ドイツ経済界はパン・ヨーロッパ運動を真剣に考えていませんでした
第1回パン・ヨーロッパ会議以後、急に関心を示し始めたのです
ドイツの経済指導者の大部分はフランス同様に国粋主義者でした
彼らに関心を起こさせたのは、ヨーロッパ関税同盟でした

ベルサイユ条約により領土の一部を失ったドイツは
過剰人口を養うため、食料を輸入せねばなりませんでした
その輸入代金を得るためには、工業製品を輸出しなければならなかったのです
ドイツにとって、輸出は死活問題でした

ところが、多くの隣接諸国は自給自足政策をとり
貿易障壁は強くなるばかりでした

ドイツのいろいろな大コンツェルンは
ヨーロッパ関税同盟を作るためなら
喜んで政治上の譲歩を行なうか、政治問題の方を我慢する気構えを示したのです

コンツェルンにとっては、政治より経済の方が重要でした

「ドイツ帝国よりもドイツ関税同盟の方が先に出来ていたのだ」

その話を、カレルギーは何人ものドイツ人から聞かされたのでした

ドイツの経済指導者達は
フランスの経済指導者達と協調して
新しい独仏戦争の勃発が不可能となるほど
両国の経済が組み合わされることを欲したのでした・・・

・・・実際には
その後のブロック経済化と世界恐慌により
カレルギー達の目論見は実現せず
第二次世界大戦が起こり、独仏戦争も勃発してしまいました

カレルギーの理想を、真に、人々が理解するのは第二次世界大戦後となりました

自由貿易を否定したブロック経済が、結果として
第二次世界大戦を引き起こした事情を人々は理解したのです
平和のためには、関税同盟が必要だったのです
カレルギーらの洞察は正しかった・・・

EUは、ベネルクス3国の関税同盟に始まり
EEC(ヨーロッパ経済共同体)となり
ECとなって、英国も加わり、現在のEUになりました
関税同盟に始まり、農業問題をはじめ、幾多の困難を乗り越え
ついに、共通通貨を発行するまでに至りました

EUの進化の歴史を
経済的効率の追求の歴史のごとく解釈する者もいます
それは、とんでもない間違いなのです
あくまで平和を実現する手段としての、重要な経済政策として出発したのです
このことを人類は、けして、忘れてはならないのです

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