湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

伊達政宗は織田信長を常識家にしたような男・・・歴史の考察

2018-06-12 17:25:32 | Weblog
時々、このブログで”歴史の考察”を書いている私にとって
「慶長遣欧使節団」には特別な思い入れがあります

もう、6年前になります
震災復興事業に誘われて、被災地を訪問した時でした
現地の人に案内され、遣欧使節団の記念碑を見たのです
その時の衝撃は忘れられません

江戸時代の初期に、日本で建造した舟で、太平洋を渡り
メキシコのアカプルコに至り、そこから陸路で大西洋岸に出て
スペイン艦でスペインに渡り、さらに陸路でローマに至り
ローマ法王に謁見するという
その壮大な旅と任務に感動したのです

このことで、私は伊達政宗に注目し
あらためて、戦国武将のスケール大きさに感銘を受け
戦国時代への興味をかき立てられたのでした

私が、織田信長や戦国時代の出来事を調べ
あれこれと考察することになったのは
実に、このことが切っ掛けだったのです

「世界不思議発見」を観て
伊達を”いだて”と読んでいたことも知りました
いつから”だて”と短縮されたのでしょう?

私は前回の”歴史の考察”で
豊臣秀吉と徳川家康は、伊達政宗に自分達と同じ匂い
すなわち天下人の匂いを感じたと書きました
これを、さらに追記すると
彼らは、伊達政宗に、織田信長と共通する性格を観たということです

武勇、知性、壮大な発想、美意識・・・
秀吉や家康の目には、自分達より若い伊達政宗に
若き日の織田信長の面影があったのです

しかも、信長とは違って
伊達政宗には、傲慢なところや奇抜なところがありません
そこに、豊臣秀吉は好意を感じ、徳川家康は脅威を感じたのでした
伊達政宗は、まるで、織田信長を常識家にしたような男だったのです

豊臣秀吉も徳川家康も、織田信長の欠点を熟知していました
信長は、先見の明があり、味方に不利益をもたらすことはしません
にもかかわらず、敵が多く、しばしな裏切りにも会いました
人間関係が上手くなく、誤解を招きやすかったからです

秀吉や家康には、多くの人情家のエピソードが残っています
これには、彼らの生まれつきの性格もさることながら
信長を反面教師にした面もあったのです





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