湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

伊達政宗の野望?・・・歴史の考察

2018-06-10 13:32:47 | Weblog
昨夜「世界不思議発見」というテレビ番組で
伊達政宗が支倉常長をローマ法王に遣わした
慶長遣欧使節団のことを特集していました

私は、新聞のテレビ版を見て
この番組だけは、なんとしても観ようと考えました
それというのも
遣欧使節団を派遣した
伊達政宗の意図が分かる証拠が見られそうだからです

私は以前から、この使節団派遣の意図は
伊達政宗によるカトリック引き入れ策であると考えていました
いよいよ、その証拠が明らかになるのです!

私の予想通りでした
伊達政宗は、ローマ法王に働きかけて
自分自身を日本の王に任命するように工作していました
番組では、これを”倒幕の野望”という解釈をしていました

私のとらえ方は違います

伊達政宗が徳川幕府に抱いていた気持ちは
倒幕というより、その反対の”潰される恐怖”でした
徳川家康は伊達政宗に好意を持っておらず
伊達政宗にしてみれば、いつ難癖を付けられて潰されるか
常に不安を持っていたのです

伊達政宗は、いざとなったら、徳川と闘う覚悟が出来ていました
闘わずして、むざむざ滅ぼされる気など、無かったのです
しかも、玉砕するのではなく

「闘うからには勝つ」

これが、正宗の決意でした

番組で知りましたが
伊達政宗はキリシタンを匿っていました
これは、西国のキリシタン大名を味方に引き入れる策です
宗教的な理由ではなく、政治的戦略的な意図によるものです
真田家の遺族を匿ったのと同じ理由です
徳川と闘うとなれば、北関東から信濃にかけて勢力のあった
真田家を味方に引き入れるのは当然だからです

伊達政宗には、おそらく、歴史の闇に消えたまま
けして表面に出ることの無い、数々の秘策があったはずです
今、その、ほんの一部が明らかになっただけなのです

伊達政宗は、なぜ、そこまで、徳川を恐れたか?
その理由は、徳川家康が、誰よりも、伊達政宗を恐れていたことです!
豊臣秀吉も徳川家康も、伊達政宗には自分達と同じ匂いを感じていました
天下人の匂いです

あの時代にあって
豊臣秀吉、徳川家康に次いで
天下人の器を持っていたのは伊達政宗でした
秀吉も家康も、はっきり、それを認識していました

秀吉は、関東の家康を牽制する東北の盟主として
伊達正宗こそ、最適な人材と考えたのでした
徳川家康にしてみれば、正宗こそ、最も目障りな存在となります
チャンスがあれば、消してしまいたい存在です
正宗自身は、そうした状況を良く理解していました

徳川家康の禁教策は、主にカトリックを対象としていました
プロテスタントのイギリスやオランダとは交易を継続しています
そこで、伊達政宗は、カトリックを味方に引き入れる策を考えたのです

伊達政宗は、もし、徳川と闘う事態に至ったら
当時の、世界的規模でのカトリックとプロテスタントの対立を利用し
日本を舞台に、代理戦争の形にもっていこうと考えたのです
なんとも、壮大な戦略です









コメント (1)