湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

キリシタン大名・・・歴史の考察

2016-06-21 16:19:09 | Weblog
織田信長は、足利義昭の後援者として
彼を将軍職に就けてから、事実上の、京都の支配者になりました

そして、そこで信長のしたことの中に
京都におけるイエズス会のキリスト教布教の許可があります
京都には教会も建てられました
京都は、日本におけるキリスト教布教の中心の一つとなったのです
イエズス会側から見れば、織田信長こそ
日本におけるキリスト教布教の最大の擁護者になったのです

このことは、日本の伝統的宗教関係者
仏教や神道、そして天皇と朝廷にとっては、由々しき事態でした
彼らは、イエズス会とキリスト教宣教師達が
日本で何をしているのかを知っていました

九州においては
イエズス会から援助されたキリシタン大名達が有力となり
仏教徒を迫害し、寺社を破壊し
キリスト教に改宗しない者達を殺したり
奴隷にして、外国にに売り飛ばしたりしていました
東南アジアでは、そうして売られてきた日本の娘達は
裸のまま、檻に入れられ、商品として並べられていたのでした
当時の日本人の感性では、正視できない光景でした

キリシタン大名達は、火薬の原料である硝石を買うため
日本の若い娘を奴隷として売っていたのです
自動車も半導体も無い時代、輸出品は人間しかありませんでした
イエズス会の宣教師が日本に渡ってきた時代は
世界は、植民地化と、奴隷貿易の時代でした
日本もまた、例外ではなかったのです

当時、銃は日本で国産できました
日本製の銃の性能は、ポルトガル銃よりも優れていました
しかし、日本には火薬の原料となる硝石が無かったのです
キリシタン大名達は、日本人を売って硝石を買い
その火力によって、権力を手にし
神社仏閣を破壊し、日本の伝統的宗教を弾圧したのでした

キリシタン大名といっても
キリスト教に帰依した者と言うよりも
イエズス会から武器や資金の援助を受けた者達と言うべきでした
それは、現代の世界で、共産ゲリラと呼ばれる連中が
カラシニコフを持っていても
マルクスやレーニンを読んでいるかどうかが
問題にならないように・・・

京都の仏教・神道関係者は
イエズス会やキリシタン大名達の所行を
十分承知していました
彼らにとって、信長は、事実上キリシタン大名でした
コメント (4)
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