湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

春日局の謎・・・歴史の考察

2016-06-13 11:07:19 | Weblog
明智光秀と徳川家康との盟約を示す証拠があるかと問われれば
そんなものが存在するわけが無いと答えるしかありません

信長暗殺計画は、最高機密です
もし信長に知られれば命はありません
証拠の痕跡すら残さないはずです

さらに、その後の歴史の中で
明智光秀は”天下の謀反人”とされてしまったため
本能寺における信長暗殺計画の関係者は
証拠になるすべてを滅却するか偽造してしまいました
「本能寺の変」を語る場合の一級資料とされる細川家文書も
現在では、偽造された偽物との説が有力です

それでも私が明智徳川盟約説を主張するのは

”春日局”

の存在があるからです

春日局は斉藤利三の娘です
斉藤利三は、明智光秀の家老であり、親族でもあります
そして何より「本能寺の変」を主導した人物です
変後は、秀吉に捕らえられ、打ち首、さらし者になっています

事変当時3歳だった、斉藤利三の娘”福”は
何とか生き延び、すでに結婚もしていたのですが
わざわざ離縁してまで、江戸城大奥に入ったのです
その福が、やがて春日局になるのです

春日局は、通説では三代将軍家光の乳母であり
江戸城大奥で絶大な権勢を誇ったとされています
ところが、幕府の正式な記録では、将軍家光の生母なのです
将軍の生母であるならば、強力な権限を持つのは当然です

家光は、幼少時より
両親が弟ばかりを愛し、自分を疎むことに苦しみました
春日局の働きにより、家康から直接、後継指名を受けました
これをきっかけとして、江戸時代の長子相続の原則が確立されたのです

家光の幼名は竹千代です、徳川家康と同じです
そして、元服後は”家光”となるのです
徳川家康の”家”と、明智光秀の”光”とが合成されています
家康は、最晩年に、こんな形で
明智光秀との盟約を果たしたのです









コメント (3)
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