湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

心の内側は解明できない

2008-03-21 12:00:05 | Weblog
殺人事件の報道で気になるものがあります
それは「内心の解明不十分」といった表現です

人の心の内側というものが、はたして解明できるものでしょうか
内心の解明が不十分と主張する人は
人の心の内側が解明可能であると信じる人です
バカなのか自信家なのか知りませんが
本気で考えているとしたら、ちょっと怖い人です

私は法律には詳しくない素人です
ただし近代法の基本が罪の外部性を裁くこと
すなわち、心の内側は処罰の対象ではないということ
・・・は承知しているつもりです

近代法は宗教裁判への反省から生まれたものです
これこそが啓蒙思想の根幹です
心の中で何を考えても、近代法は罪に問いません
そのことが「信教の自由」を担保しているのです

異端審問や魔女狩り等、宗教裁判は心の内側を裁くものです

物的証拠は人の行動を推理することはできますが
心の中までは分かりません
人が歩いているテレビ映像を見れば
確かにそこにその人が歩いていた証拠にはなりますが
歩きながら何を考えていたかは分かりません

物的証拠だけでは、人の心の中を覗くことは不可能です
心の中を裁こうとすれば、どうしても物的証拠を軽視することになり
そうなると、自白が重視されるようになります

自白重視の危険性を人々は理解しているのでしょうか
自白を重視すると、拷問や不法捜査など、でっち上げがはびこることになり
裁判では権力者に都合の良い判決が出ることになるのです

これでは民主主義は成立しません
言論の自由などありえません・・・

コメント
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