無意識日記
宇多田光 word:i_
 



さてさて、今夜てっぺん超えたら『40代はいろいろ♫』の音源とアーカイブ動画が公開になる。なかなかに待たせてくれたけど、更にこの後360RA版も待つことになるんだからまだまだあるんだぜこの波は☆


さてここでオフィシャルYouTubeの立ち位置について考えてみたい。有料サブスクに入ってる人、つまりApple MusicやSpotifyやAmazonなんかを普段利用してる人はそちらで曲を聴いているだろうが、無料となるとSpotify無料版か、或いはこのYouTubeになるんじゃないかな。人口的には有料サブスク利用者よりずっと多いだろうから、ライトリスナーの大半はYouTube視聴者となるだろう。

昨今は芸能ニュースでYouTuberやVTuberがその日の最多アクセスを稼ぐことも珍しくなくなった。若い人はTikTokを観てるかもしれないが、全世代平均でみるとやはりYouTubeが今の「最大メディア」なんでないか。

そのYouTubeで宇多田ヒカルが公式チャンネルを構えて12年余り、即ちMedia Interactiveに『くまちゃん会社訪問』以外の動画を全削除されてからも12年余り経つわけだ(そんな黒歴史はもういいだろw)。かなりの古参といって言いかもしれない。当時はすぐには携帯電話/スマートフォンからアクセスできなかったんだぜ。別途対応する必要があった。スマホデフォな現代では考えられない状況だよね。

そこから様々な動画を積み重ねてきた訳だが、あたしがYouTubeプレミアムに入ってないからかもしれないけど、イマイチ「本陣」という風格がないような? 既存シングル曲のPVほぼ総てをいち早くアップしたYouTubeガチ勢としてスタートした割に、あんまりメインのプラットフォームでもないような?? プレミア配信をするとちょっとそんな気配も漂うんだけどね。つまりごくたまに、という程度。

それもこれも、メインのリスナーがライトファン主体だからかもね。CD買ったりダウンロード買ったりサブスク入ったり、ましてやアナログ盤まで漁るとなるとYouTubeにそこまでアクセスしなくなるのかも。入り口ではあるけど溜まり場ではないとでもいおうか。

そういや先日(2月7日)キンハ関連で『HIKARI (KINGDOM HEARTS Instrumental Versiom)』が宇多田ヒカルオフィシャルYouTubeにアップされたんだが…今見たら再生回数1422回だって。何を隠そうあたしも昨日存在を知ったくらいでね。如何に観られていないか、聴かれていないかということですわね。

という感じで、なんだかそこまで熱心にチェックされていないのがオフィシャルYouTubeなのよね。さてさてここで『40代はいろいろ♫』の長尺の動画が公開になるということは…?…と、いう話からまた次回っ。

コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )




藤井風くん凄いねぇ。この3年で瞬く間にトップアーティストに登り詰めて。もう紅白でいつトリを務めてもおかしくないし(曲はもう務めましたね)、海外での人気も圧倒的なようで。

兎に角総てが揃ってるよね。声良し曲良し顔良し人良し。何もかも完璧で、彼については絶賛しか生まれない、そんな空気。でもあたしはあんまり彼に関心がなくてね。

というのも、完璧過ぎるのよ。何もかもが隅々まで隙無くコントロールされているように見えてしまっていて。ビシッと決めるべき所を確り決めてくるのみならず、ゆるく隙を見せるとこもあって、そこがまた人気を高める秘訣になってるのだけど、あたしの目から見るとそれすら計算尽くの自己プロデュースの結果に見えてるのよな。寝間着姿でインスタライブをやって、そのまま紅白に出てこれたのも(一昨年の初登場の時の話ね)、あれ全部作り込んだ結果なんじゃないかなと。

恐らく、私生活も全部ああなのではないかなぁ。その昔田村正和が「どんな親しい人に対しても食事する姿を見せたことがない」だなんて伝説を生んでいた。渥美清もフーテンの寅さんのイメージを損なわないよう振る舞っていたとか。役者が私生活まで芝居をしてしまう例だが、歌手でそんな風に感じさせてくれるとはねぇ。デーモン小暮が人間のフリをしてるのとは訳が違うレベルよね。

まぁ勿論、あたしに人を見る目があるとは思わないので、風くんが本当にそういう人なのかどうかは知らない。TwitterのFFさんの間で、特に女性陣の間で物凄い人気なのでたまに動画を拝見したりするのだけど、崩した笑顔まで総て計算尽くにみえてね。そりゃモテるわなーと大納得ではあるのだけれど、お陰で不気味な感じがしてあんまり近寄りたくなくなるのよね。

本音が全く見えない。マイケル・ジャクソンみたいに音楽で世界を救うつもりなのかもしれないし、案外野心家でお金儲けや自己承認に躍起なのかもしれないし、歌を歌っていられればそれでいい人なのかもしれないし、そのどれでもないかもしれない。兎に角、この人が根っこで何考えてるのかが全くわからないのだ。カバー動画が不適切で謝罪したとか、宗教的メッセージがステルスだったから話題になったとか、これもどこまで計算してるのか全然わからない。なんだろう、つまり、そこを探ろうという興味が湧かないのよね。いい歌を沢山生み出してるってのは無条件に尊敬してるけども。


翻って私がヒカルさんに毎日興味津々なのは、あんまり演技してないからなのよね普段。『40代はいろいろ♫』でも、『トークの内容はちゃんと考えておいたし』という割にしっかりあっちゃこっちゃ行ってたし、そもそもこう呟いてる時点で普段はあんまり考えずに喋ってんだなとよくわかる。

勿論ヒカルさんも有名人。言ってないこともたくさんあるだろうし、うちらに嘘を言って騙してきたことも幾つもあるだろう。現在進行形で何か騙されているかもしれない。だけど、たとえそうであったとしても、ヒカルさんはいつだって剥き出しなのよね。取り繕わないし演技もしない。実際に御芝居の勉強をしたら役者としても結構やれるとは思うんだけど(そしてピノコリベンジをして欲しい(笑))、そことは別次元で、剥き出しの所からスタートしないとこういう歌詞や音楽は生まれないと24年かけて説得されてきたってのが大きいのよね。何よりも大きな信頼は、MCやトークがグダグダになったり、テレビの生放送でマイクのスイッチを入れ忘れたりといったアクシデントの数々によって担保されているのだ。毎度のハラハラドキドキこそか信頼の証。

だから私、毎度あれやこれやとトラブルに文句言ってるけど、それって根本では物凄く喜んでるのよねぇ結局。宇多田ヒカルは自己プロデュースに長けているけど、「この子は剥き出しの本音から始めるべきだ」がメインなので訝る隙が無い。あらゆる才能に恵まれているのに、あれやこれやとグダグダなのは「愛すべき」以上の意味が私にはある。…ということで、何が言いたかったかというと、『40代はいろいろ♫』、トーク部分のアーカイブも楽しみだなもうあと1日ちょっとで観れるぞ!っていうことでしたとさw


追伸:どこかで私が「風くんはこういう人だったのか」と合点がいったら途端に彼の大ファンになる可能性は、もちろんあります。才能の素晴らしさは疑いようがないからねぇ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




さて今朝は毛色の違うお話を。先日「たまには耳を休めた方がいい」と薦められたので試しに先週末2日間、一切音楽を聴かずに過ごしてみた。イヤホンもヘッドホンもつけずに、スピーカーも極力鳴らさずに(目覚ましとか洗濯機とかもあるから全く無しとはいかない)、音を摂取しないように引きこもっていたのだが。

明けて今週になって音楽を聴いてみると、明らかに聞こえる音がクリアになっている。特に自分の楽譜を聴く時は、各機器のセッティングやファイルのビットレートや音量などはブレや揺れがないように確り固定化されているので鳴らす音に違いは全く無い(気温差気圧差の影響もなくはないだろうが皆無とみていいかと)。それでもこんなに聞こえ方が違うのかと。先日まで「ここのパートの楽器音が聞こえないけど音源同士が遮蔽してるのかな」とか持っていた箇所も明瞭に聞こえる。鳴ってなかったのではなく、あたしの耳がちゃんと捉えれてなかったんだね。えらい違いだわこりゃ。

思い返してみると、確かに1日も音楽を聴かない日が無かったな。身体の具合が悪かったりすると、逆に身体を動かせないから音楽を鳴らすくらいしか娯楽がなく余計よく聴いていたような。なので、こんなに耳を休ませたことはなかったんだけど、ここまで劇的に変わるとは思っていなかった。というか、自分の耳が疲弊していた事にちゃんと気づいていなかったのが心底恐ろしい。

確かに自分はストレスや疲労が募ると片耳が聞こえなくなる症状が出ていたけれど、疲労が回復したら治っていたので油断していたようだ。蓄積された勤続疲労がこんなにあったとはね。これ何十年分だろうからなぁ。

今度他のも試してみるか。2日間全くインターネットに触れないとか…流石に無理かな。2日間Twitterを観ない、とかなら可能かもだが@utadahikaruからの通知があった途端に折れそうでこれも困ったもんだわさ。まぁそういうのは後々考えるとして。

これで読者の皆さんに「貴方も耳の休息日をとってみては」と薦めるつもりは、あんまりない。個人差の大きい話だし、それによるメリットデメリットも予測がつかないからだ。しかし、ここにこうやって聴覚の調子を取り戻した人間が一人居ますよという報告だけはしておこうかと思ってね。マジで圧縮音源がハイレゾに変わったくらいに音の聞こえ方が変わった。音楽鑑賞の為には質の高い再生機器や情報量の多い音源を手に入れる事も大事だが、自身の耳のお手入れがこんなに効果を発揮するものとは思わなかった。最初に助言を賜った御仁に深く感謝する。ありがとう。


しかしこうなると、ミュージシャンとして日々音楽制作を続け、飛行機に乗ろうがユーロスターを使おうがずっとヘッドホンをつけて生活してるヒカルの耳の健康が心配になってくるな。元々超音波が知覚できる高性能な聴覚だか、それこそ40代を迎えたのだし、今までより更にメンテナンスに気を配った方がいいんじゃないかと余計なお世話も言いたくなってきた。いや、もしかしたら人間活動期にそういう気づきもあったかもしれないな。音楽を聴かずに過ごしていた日々があってもおかしくない。

いずれにせよ、今後コンサートツアーが始まったらあの大音量極まりない世界に身を投じるのだ。専門医をつけてでも、至高の両耳の保護を厳重にと進言しておきたい。いや先週までそんなこと微塵も言ってへんだやんけと自分でも思うけどね。音楽好きはこういうこと有り得るんだなと目から鱗が落ちた&耳から疲れが落ちたのでして、今後は何度でも言っていきたいなと思いますよ。変わり身です。人が変わったのです私は。(言い切っとこ)

コメント ( 5 ) | Trackback ( 0 )




宇多田ヒカルというアーティストはずっと音源としてライブテイクをリリースしてこなかった。コンサートのサウンドを知りたければ映像を観てねという態度で一貫してきていた。これだけ長くキャリアを積んでいたらライブ・アルバムはなくともシングル盤のカップリングにライブ・テイクを収録したことが1回くらいあってもよかったろうに、それすら一度もなく。

それが昨年の『Hikaru Utada Live Sessions from Air Studios 2022』、そして今年の『40代はいろいろ -Live from Metropolis Studios』と、フルサイズではないにせよ二年連続で立て続けにライブテイクを音源としてリリースしてくれているのだから、この事態は大変喜ばしい。長年積年の思いが叶ったと言っていいだろう。無意識日記で何度「ライブ・アルバムをリリースして欲しい」と書いてきたことか…スタッフさん達に駆け寄って両手で力強く握手したいとこだよホント。

だが、人間てのは強欲でな(と、他の人類80億人を勝手に自分のポリシーに巻き込んでいくスタイル)。ここまで来たら更なるライブテイクが欲しくなる。「更なる」と言っているのは、あれなんですよ、昨年と今年は確かにどちらのリリースもライブテイクである事は間違いないのだが、何れも無観客のスタジオ・ライブでしかないのよね。確かに全部の音をリアルタイムで出してはいるのだけれど、この人たち歌を筆頭にしてちょっと演奏が上手過ぎてライブテイクならではの生々しさみたいなのに欠けるんだわさ。その上観客・聴衆が居ないもんだから、彼らの意識は一緒に演奏している者同士の方を向いていて、勢い室内楽的なコンビネーションに終始している。これはこれで勿論アリなのだが、やはり外側に観客・聴衆が居てそちらに意識を向けて演奏・歌唱されたものとは質が違うのだった。

なので、次のライブテイクは是非観客からのフィードバックに満ち溢れたものを聴いてみたいと思う私なのでした。

ただ、ライブテイク/ライブアルバムって「観客の喚声がうるさい」って言われがちなのよね。「あれがいい」という人と「あれがどうも」という人で割れるんよ。宇多田ファンがどちらに揺れるのかは未知数だわね。まだそういう音だけのものをリリースした事無いからね。それを考えると、DVDなんかの映像作品って、やっぱり視覚的に人が集まってるっていう説得力が強いんだなと納得するところ。

まーそれは少し遠めの未来の話で。我々は差し当たって、3日後に(いやもう丸2日とちょっとか!?)、既知ではあるものの新しいライブ・テイクを手に入れられるのだ。こちらはスタジオ・ライブなので喚声もない。というか、黙って聴いてればライブテイクってわかんないかもしんないね。『Hikaru Utada Live Sessions from Air Studios 2022』も時々スタジオ・ライブであることを忘れるくらい演奏歌唱の完成度が高かった。ミキシングの素晴らしさもそれに拍車をかけてたわね。今度の2トラックも、私は一度しか聴いてないが、何れも演奏歌唱共に破綻のないものだったと思うので、新しいスタジオテイクとしてもきっちり聴けるだろう。出来れば編曲のクレジットも見てみたいけど、それはYouTubeの方に上がるのを期待しようかな。フィジカルで出してくれたら嬉しいけどそれは流石に厳しいか。あのジャケット気に入ってんだよね。今までにない賑々しさで。まぁそんなこんなで金曜日を手薬煉引いて待ち構えてるところでありますよっと。

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )




スーパーボウルハーフタイムショウでのリアーナのパフォーマンスが絶賛されているらしい。私は(手話通訳さんしか)観てないのだが米前大統領が“single worst”と言っているのだから余程素晴らしいものだったのだろう。全世界に勇気を与えたのではないか。チラッと見掛けた写真では真っ赤なドレスを纏っていて『40代はいろいろ♫』のヒカルの姿を思い出したわ。というかそれ単に私が「あと3日で再びあのパフォーマンスが!」というテンションだからそう見えちゃっただろうか。「明日H3ロケット試験機1号機を10時半過ぎに打ち上げ」というニュースを読んでも「UH3+がどうしたって??」と訊く始末。宇宙関連のニュースも宇多田関連のニュースだと思ってしまう紛れもない重症ぶりだ。

まぁスーパーボウルだアメフトだというのはよく知らないのだが本音としてはヒカルのコンサートのハーフタイムにアメフトやってくれたらいいのかなと。又吉タイムですね。ヒカルの休憩にはちょうどいい。残念ながら現実ではNFLの経済規模には敵わないのだがそんなの知ったことではない。

なので時々スポーツイベントでヒカルの国歌斉唱が期待される声があったりすると、「スポーツの方がヒカルの前座やれよ」と思ってしまうのだけど、まぁ単純にヒカルが歌を披露するチャンスがあるならどこでだって聴きたいなということですわね。それはとてもよくわかる。スポーツって前座やるには長すぎるもんねぇ。奉納相撲とかそんな尺でないと無理だわね。歌は3分あれば感動できるからな。エンターテイメントのタイパとしては殆どのスポーツよりずっと優秀ですわ。という私はスポーツ観戦も思い切り楽しむのですけど!

…えぇと、何の話だっけ(笑)。そうそう、英欧米で売れると、歌うこと、パフォーマンスすることがステートメントとなってメディアに取り上げられていく。『40代はいろいろ♫』のような私的なイベントですら、「アジアやグローバルの市場を睨んで云々」とか邪推される。この無意識日記みたいにね(笑)。出来るだけそういうのから距離を置きたいとこなんだよねぇ。

というのも、例えば『BADモード』の『わかんないけど 君のこと 絶対守りたい』っていうのは、「何らかの外敵から守りたい」とかっていうのとは若干ニュアンスが違うんだよね。「君という存在が在り続けて欲しい。その為に私は何が出来る?」という願いを歌った歌詞でしかなくて。メディアのステートメント文脈(雑な日本語だな)って、すぐに派閥とか敵味方とかいう話になってしまうので、ヒカルの歌詞のテーマとは相容れないのよねぇ。それを考えると、ヒカルが、というよりUTADAがメディアの餌食になるほどにはブレイクしなかったのは僥倖だったというか本能だったというか。負け惜しみにとる人も居るだろうけど、まーそれはそれ。

今度のニューライブミニアルバム『40代はいろいろ -Live from Metropolis Studios』に収録される『Rule (君に夢中) – Live 2023』は日本語英語イタリア語の3ヶ国語で歌詞が構成されている。これで更にヒカルの歌詞が直接届く範囲が拡がる訳だが、どうか出来るだけ穏当に届いてほしいなと。理解して欲しいとは言わないけれど、これは何かの道具ではなくて単に貴方に届くメッセージなのよという“感覚”を、どれだけの人に持って貰えるのか、まだほんの切っ掛け程度に過ぎないとはいえ、そんな行く末を見守る気分でいるのでした。まる。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




週末の宇多田ヒカル関連のニュースといえば、2022年の年間アナログ盤セールス総括の報があった。


***** *****


2022年 年間アナログ・レコード売上動向発表 総売上金額が前年比104%に アーティスト別首位は宇多田ヒカル【SoundScan Japan調べ】

アーティスト別の売上金額では、約3.8億円を売り上げた宇多田ヒカルが首位に輝いた。2022年はオリジナルアルバムのアナログ盤や、Netflixシリーズ『First Love 初恋』の公開を記念した7inchアナログ盤『First Love/初恋』など多くのリリースがあったことが今回の結果に繋がっている。なお、アーティスト別の売上枚数においても宇多田ヒカルが首位となった。

◎アナログ・シングル・セールス
1位『First Love/初恋』宇多田ヒカル
2位『M八七』米津玄師
3位『夢で逢えたら』大滝詠一
4位『残響散歌/朝が来る』Aimer
5位『明け星/白銀』LiSA

◎アナログ・アルバム・セールス
1位『SOFTLY』山下達郎
2位『BADモード』宇多田ヒカル
3位『First Love』宇多田ヒカル
3位『LOVE ALL SERVE ALL』藤井 風
5位『Quiet Life』竹内まりや

(以上抜粋引用)
https://www.billboard-japan.com/d_news/detail/121794/2


***** *****


アーティスト別で見事首位獲得。いやそりゃまぁ宇多田ヒカルがオリジナルアルバム総てをアンコール・プレスの『初恋』と最新作『BADモード』をも含めて8枚リリースした上シングル盤でも最大の名曲『First Love』まで繰り出してきたんだからそりゃ首位獲得するですよ。昨年獲らなきゃいつ獲るんだというくらい、キャリアで最もアナログ盤を売った年になったのではないだろうか(一昨年も1位だけどね)。寧ろ、そんな中アルバム部門で1位をかっ攫った山下達郎とその熱心なファン(“超常連”勢)に拍手を贈りたい気分ですわ。

で。そのアルバム部門の順位をみてみると、2位が『BADモード』で3位が『First Love』となっている。「…ん?」と思って2022年上半期のチャートを振り返ってみた。


***** *****


2022年上半期アナログ・レコード売上動向発表 アーティスト別では宇多田ヒカルが1位に【SoundScan Japan調べ】

アナログ・アルバムでは山下達郎『SOFTLY』が1位を獲得。そして2位から9位は、宇多田ヒカルのオリジナルアルバムが続いている。今回その中でも1stアルバム『First Love』が一番売れていることが分かった。

◎シングル・セールスTOP5
1位『残響散歌/朝が来る』Aimer
2位『明け星/白銀』LiSA
3位『ごくつぶし』ザ・クロマニヨンズ
4位『The Rumbling』SiM
5位『PLASTIC LOVE』竹内まりや

◎アルバム・セールスTOP5
1位『SOFTLY』山下達郎
2位『First Love』宇多田ヒカル
3位『BADモード』宇多田ヒカル
4位『Fantôme』宇多田ヒカル
5位『DEEP RIVER』宇多田ヒカル

(以上引用)
https://www.billboard-japan.com/d_news/detail/115383/2


***** *****


そうなんですよ、上半期の時点では『BADモード』よりも『First Love』の方が売れていたのよ。それが下半期で逆転したことになる、のよねコレ?

確かに、発売日の違いはある。『BADモード』より『First Love』の方が7週間早くリリースされた為そのアドバンテージはデカかっただろう上半期の時点では。しかし、アナログ盤のセールスはCD以上に初動型ではなかったか。それを鑑みると、これはやはり『BADモード』のアナログ盤がかなりのロング・セールスを記録した、ということになる気がするのだがどうだろうか?

ここの分析は正直余り踏み込めない。妄想や霊感のレベルでいいのなら、『Somewhere Near Marseilles ーマルセイユ辺りー』をアナログ盤で手に入れたい層が一定数以上居たのかもしれないな、とかいう仮説は思い付いた。あれはDJ受け抜群だろうから。7インチ(でも12インチでも)出てたらバカ売れしたと今でも思ってる。いや今からリリースしても売れるんじゃない?

あとは、もう素直に、余りにも『BADモード』が傑作過ぎたからCDだけでは飽き足らずアナログ盤でも持っていたい!というニーズが高まったからか? 要は内容が抜群に良かったから売れた、という仮説だがこれはちょっと私の願望が入り過ぎてるかな。

あとは、『First Love』が品切れになってしまった、というセンもある。アナログ・レコードは生産体制が限られている為おいそれとは増産できない。エピックもある程度上限を決めて生産していた筈だ。

例えば、上記のシングル盤の方のTOP5をみてみよう。年間総合で『First Love/初恋』が、上半期でワンツーフィニッシュを飾ったLiSA&Aimerちゃんの鬼滅の刃コンビ(こちらもソニー)を見事に抜き去って年間No.1に輝いている。だが、これ鬼滅の刃コンビは「シリアルナンバーつき完全生産限定盤」なのよね共に。なので途中でセールスが頭打ちになっている筈なので、これをもって宇多田達郎大滝が今をときめく鬼滅の刃の勢いを上回ったと受け止めてしまうのは一拍おくべきなのだ。宇多田ヒカルのアナログ盤も、特に過去作は生産数の上限が決まっていて、最新作『BADモード』のみ上限が無かったか他より高かったのだろう。


そういった生産上の理由はあったかもしれないにせよ、『BADモード』が年間2位、宇多田間で首位を獲得したのは紛れもない事実なので、それ自体は素直に喜んでおきたい。後から振り返った時に「2022年、宇多田ヒカルのアナログ盤オリジナルアルバム全作リリースで最も売れたのはその時点での最新作だった」という事実は途轍もなくデカい。デビュー24年にしてその時点まででの最高潮に達していたという印象(僕に言わせれば事実)を与えられるんだからね。こういうのは10年20年経ってから効いてくる。そうなった時にまた振り返ってみますかね(…気の長い話だ…)。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




今週はニューライブEP『40代はいろいろ -Live from Metropolis Studios』のリリース週だ。17日金曜日というのはなんとなく変則的だが(普通新曲は水曜日に出すのが昔からの恒例)、先週Twitterでタレコミがあってね。ドラマ「最愛」が2月16日から日本以外の国でも観られるようになるそうな。裏は取れなかったけど、ならばそれに合わせてワールドワイドに向けてリリース日を金曜日にしたのも頷ける。日本以外は大抵金曜日が新曲リリース日なので。

確かに、ほぼ日本語のみの『君に夢中』より、一部でも自分のわかる言語で歌われた歌詞が登場する『Rule』の方が親しみを持って貰えるかもしれないさね。

『40代はいろいろ♫』ではゲストに吉高由里子と佐藤健を迎え、そぞれが主演したドラマの主題歌を歌ったという構図。そこからそのままNetflixでのドラマ視聴と絡んでいくというのはなかなかに流れるようなプロモーション展開で、実によく出来てるなぁと。日本でもこれを機にまた『最愛』の方を観直してみる人も出てきたりするかな。

しかし、だとするとますます『Me Porto Bonito』の未収録が痛い。今回のニューライブEPはオフィシャルで正式に「ニューシングル」としてリリースされるというのは既報の通りだ。
https://www.utadahikaru.jp/music/single/title_28.html
大体の配信シングル曲は「other」の方にまとめられていて、シングル盤として扱われてきたのはアナログ盤やCDなどフィジカルとしてリリースしてきたものばかり。そう考えると今回のリリースは、「Digital Only」とはいえ、やはりひとつの宇多田ヒカルの新しい“作品”として捉えるべきなのだろう。

何より、シングル盤のくせにタイトルが曲名ではない。これはもともと「3曲入りライブミニアルバム」として計画されていたからに他ならない…と私ゃ踏んでる訳で、ギリギリの交渉で頓挫した名残なのだろうなと。

そんな感じなので今週のリリースに関しては公にはシングル盤としてのリリースではあるが、脳内では「ライブミニアルバム」として変換して楽しみたい。昨年の『Hikaru Utada Live Sessions from Air Studios 2022』も、通常のライブ・コンサートに較べれば半分の曲数・長さだったが、宇多田ヒカル初のライブ・アルバムとしての作品性は申し分なかった(普通、ライブ・フル・アルバムはCDだと2枚組になるかんね)。なので2曲入りというのは少々寂しいし、故に共和国のカウントダウンは「ライブシングル」表記のままいくけれども、ここの読者くらいは、裏事情を(かなり勝手に)鑑みて「宇多田ヒカル初のライブミニアルバム」というつもりで接してあげるのがいいんじゃないでしょーかね??

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




新しくキングダムハーツのサントラがストリーミングに乗ったようで、大変めでたい。『光』と『Passion』のオーケストラ・バージョンや『光』のインストが聴けるぞ。

しかしやはり本陣の『Passion - opening version -』は今回も見当たらず。未だ昔のサントラCDを購入するしかないみたいだね。本来、『Passion』のオリジナルはこちらの筈なのだ。こちらのゲームオープニング用のバージョンが出来て、そこからゲーム用のパートを間引いてシングル曲用のパートをつけたしたのがシングル盤に収録されている『Passion』なんですよ、話を総合すると。

だが、最初(2005/12/14)に発売されたシングル盤では『Passion - single version -』と表記されていたトラックは、『ULTRA BLUE』や『Single Collection Vol.2』といったアルバムに収録される際はシンプルに『Passion』となっているのよ。『Sanctuary』が必ず律儀に『Sanctiary - opening version -』と『Sanctuary - ending version -』と書き分けられてるのとは対照的だね。この事実を鑑みると、宇多田ヒカルサイドとしてはこの『Passion - single version -』を“オリジナル扱い”しているようにも思える。つまり、『Passion - opening version -』はなかったことになってるんだね。

ここらへん、歴史と経緯がややこしいんだろう。英語版の『Sanctuary』の正式発表が紆余曲折だったのもあったし、最初から日本語英語並行して対になって発表されてたらこんなことにはなってなかったのかもしれない。わかんないけど。

それに、ライブDVDで触れられるライブ・バージョンではその『Passion - opening version -』特有のパートがきっちり差し挟まれているので、そこらへんまでチェックしている熱心なファンからすれば、改めて『Passion - opening version -』を手に入れたいとも思いづらいのかな。これも、わかんないけど。

でも、ストリーミングに乗っけたら単純に再生回数稼いでくれる気がするんだけど、どうなんたろうね? ゲームのバージョンで聴きたいってニーズもあると思うんだけど。今更アルバム収録されてる『Passion』を『Passion - single version -』に戻すわけにもいかないのかな。2018年のリマスターでは『ULTRA BLUE』のボーナストラックが『Sanctuary - opening version -』になっているので、次のリマスターの時にはここらへんに収録してくれるのが望ましい、ような。あんなにヒカルの海外人気を押し上げたトラックだというのに、相変わらず変な扱いのままなのでした『Passion - opening version -』てヤツは。20年近く経っても、不遇なままなのです。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




バート・バカラックが亡くなったそうな。享年94で自然死という報道。大往生だったのだろうかな。謹んで哀悼の意を捧げたい。

バカラックといえばCubic Uのデビュー曲『Close To You』の共作者だ。カーペンターズをはじめとして数多くカバーされてきたスタンダード・ナンバー。今年はCubic Uもデビュー25周年で、そういえばヒカルがデビューした後このCubic Uのバージョンが話題になった時点でバカラックさんは既におじぃちゃんだったなぁと。そりゃ当時もう70歳前後だもんね。

彼作曲の有名曲といえば“Raindrops Keep Fallin' on My Head”(「雨にぬれても」)などをはじめとて幾つもある訳だが、その中でも(かどうかは知らないが)カーペンターズのバージョンで有名になったこの『Close To You』をデビュー曲に選んだのは、偏にCubic Uの圧倒的な歌唱力を示すためだったのだろうと思われる。スタンダードであればあるほど違いがわかりやすいからね。極論すれば「あたしカレン・カーペンターより上手いからね?」と言いたかったのだろう。自分ものこのテイクを聴いて「とんでもねぇ歌唱力だな」と舌を巻いた覚えがある。

もしCubic UがNY等で活動を続けアメリカのメジャーレコード会社に拾われていたら、というifはよく語られるところだが…って書こうとしたけど無意識日記では一度も書いたことがなかったな! 「Cubic Uネタはいつかネタ切れしたときのためにとっとこう」と思ってこの日記を始めたので敢えて言及するのは避けてきているんだけど、結局人間活動期でも手をつけることはなかったんだよねぇ。あの5年半何書いてたの自分? (見返してみる)…なんかいっぱい書いてあったわ…(汗)。

…っとと、話が逸れたな。もし英語のまま活動を続けてたら、それでブレイクしたあとにローカル言語である日本語で作詞をする動機はなかったろうから、日本語圏民としては「これでよかったんだな」と思える所だが、当時から洋楽寄りのファンが「とっとと世界史上に売って出て欲しい」と言っていた訳で、そういう意味ではチャンスを逃したともいえる。裏腹やね。

先月来日したリナ・サワヤマが「昨日誕生日だった人の歌を」ということで『First Love』をカバーして称賛されていたが(1/20のライブってことね)、もしかしたらその「Cubic Uがそのままメジャーに拾われていたら」のifを最も近く体現しているのは彼女なのかもしれないな。セカンドアルバムは全英3位を記録していたし、日本生まれということもあって作品の中にジャパニーズ・テイストも鏤められていたし、「実現しなかった未来」を妄想しみるのも楽しい。

四半世紀経ってこういう後輩が生まれていく一方で、デビューを彩ってくれた偉大な先達の作曲家が亡くなっていく。なんとなく今年の節目感が増した朝でありましたとさ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




そういえば宇野さんがドラマ『First Love 初恋』に関して、「世界中で大ヒットしてるような宣伝してたけどあれ実際はアジアだけ」みたいな事言ってたな。ハイプだとまで(不当な誇大広告だってこと)。なかなかに思い切ってぶっちゃけてたなぁ。

確かにね、紛らわしかったのよ。実際、昨年末には

「First Love 初恋」3週連続Netflixグローバルトップ10入り
https://www.cinematoday.jp/news/N0134142

だなんて見出しが躍る記事が出てたんだけど、よくよく読んでみれば

「グローバルトップ10のテレビ・非英語部門で9位となった。」

って書いてある。これ読む前は「全世界のNetflix総合でトップ10に入ったのか!凄いな!」と思ってたのに実際には「非英語部門」というマイナーでローカルな部門に限ってのランクインだった、っていうね。

嘘は言ってないのよね。ただ、見出しだけだと紛らわしい。とはいえ、もっと酷いと優良誤認とか言われちゃうけどそこまででもないし。程度問題だから判定は難しい。

今これを読むまでドラマ「First Love 初恋」は全世界規模の大ヒットだったと思ってた!って人がどれくらい居たか、そして、その事実を知った時点でその人が「紛らわしいな!」と記事を書いた人や見出しを書いた人に怒ったか、或いは「よくよく読まなかった自分の不注意だったな」と反省したか。このどちらに転ぶかで事後の印象と評価は変わってくるんだよね。


今回はドラマだったが、宇多田ヒカル公式も少し危なっかしい橋を渡る事が度々ある。例えば、

「宇多田ヒカル『Fantôme』が国内外で100万枚突破。全アルバムがミリオンセラーに」
https://rockinon.com/news/detail/154872

こんな見出しが躍ったことがあった。ヒカルの誕生日当日(&『忘却MV配信)に合わせてぶち上げられた景気のいい話だ凄いねぇと思ったが記事を読んでみると

「宇多田ヒカルの最新アルバム『Fantôme』のセールスが、CD出荷およびデジタルの配信(国内外含む)あわせ100万枚を突破した。/内訳としては、フィジカルCD出荷が78万枚、デジタル配信(バンドル)が22万枚となる。」

と書いてある。「売上枚数と配信数でもなくて、出荷と配信の合算なの!?」と、ちょっと頑張った計算の仕方に些か驚いたものだ。というか、よく気づいたなそれ合わせるとミリオンになるって。まぁ、どっちにしろ凄いんだけどね2017年の時点でCDを80万枚近く出荷するって。でも、「ミリオン突破!」って言いたいがための特別な計算の仕方だったのは明らかだった。

でも、これくらいなら好感度が下がるとかにはならないよねぇ? と誰にともなく同意を求めたくなってしまう。どこらへんまでなら好意的にとられて、どこらへんから誇大広告だと謗られ仕舞いにはハイプだとまで詰られるのか、これ本当に難しいのよね。その都度そのときの空気を読みながら発信していくしかない。でも、こういうのがある程度許されているとすれば、それこそが宇多田ヒカルが積み上げてきた好感度の賜物なのでその事自体は誇っていいんじゃないでしょうかね。なんか逆説的な結論だけどもさ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




ファンダムに居るとよく「周りにHikkiについて話せる人がいません!」という声を見掛ける。もう20年近くずっとそう。これは、毎度言ってるとおりファンクラブがなくファンダムの規模がかなり小さいため必然的なものなのだが、それに加えて前々回指摘したように、「クラスタで見てもわからないから」という理由が大きい。これが見つかりづらさに拍車を掛けている。


筆者が小中高生の頃を思い出すと、例えば洋楽を常に聴くような知人はクラスに2~3人程度だった。まだ学級規模が40人超の頃の話だ。なのでそういった友人知人は貴重ではあったのだが、他のクラスに行ってもそこにもやっぱり2~3人洋楽リスナーが居てくれてるので、クラスを横断しさえすれば5人10人と洋楽ファンを見つけていくのは容易かった。更に部活などの繋がりで先輩後輩も居るしね。まだ一学年5~6クラスの時代の話。

実際、洋楽を聴きそうなヤツってそれなりにわかる。英語の成績がよかったり、常にヘッドフォンを身につけていたり、カバンにGUNS & ROSESのステッカーを貼ってたり(笑)。それに、なんだかんだでよくつるんでいたりするので、人伝に知ることも容易かった。CD時代なのでCDを貸し借りできる相手が増えるのはデカかったのですよ。

てなわけで、クラスの中でのほんの数パーセントに過ぎない「洋楽ファン/リスナー」でも、なんとかして仲間を見つけることは出来たのだ。全く社交的でない性格の自分でもそんなもんだった。

恐らく、宇多田ヒカルを聴くリスナーも、多分実際にはクラス毎に1~2人は居るだろう。今の時代であっても。だが、ぱっと見じゃ全然わからないのだ。どういうタイプの人間が聴いているか、どのクラスタの仲間に声を掛けてみればいいのか、事前情報が全く役に立たないのである。「それっぽい人たち」が居ない。

運良く学級クラスの中で他のアーティストの話に続いて宇多田ヒカルの話が出て自分もよく聴きますなんて人を見つけたとしても、ここから先が続かない。他のクラスに居る宇多田ヒカルファン/リスナーは、これまた見た目では全然わからないからだ。やっぱり事前情報が全く役に立たない。結局、どこまで行ってもフリダシから仲間を探す羽目になるので全く効率がよくない。

では、と言って自分から周りにアピールしまくれば仲間を見つけられるかというと、これがまた一筋縄ではいかない。幾らクラスタを縦断・横断してファンを獲得していると言っても、それなりの傾向は存在するのですよ。それは、これも前言したように「孤独と向き合う(向き合える)」性向が、宇多田ヒカルファンにはみられるということだ。これは至極単純に、ヒカルの歌詞のテーマの主要な部分が「孤独について」だからで、これはもうアーティストシップそのものだから今更そうそう覆らない。結果「ひとりで(私だけの)ヒカルちゃんを愛します」という人が多く、なかなか自分からファンですとは名乗り出さない。これでは見つけようもないわね。

つまり、たとえ仮に日本の洋楽リスナーと宇多田ヒカルリスナーが同数存在するとしても、見つけづらさは宇多田ヒカルリスナーの方が遙かに上になってしまうのである。いうなれば、洋楽リスナーはクラスの中で“局在”していて、そこに辿り着けさえすればそこから(他クラスや他学年に)展開して同士を増やしていけるが、宇多田ヒカルリスナーはどこまでいっても“点在”しかしていないから、たとえ誰かを見つけたとしてもそこから展開していく力も弱い。結果、やっぱり「周りに宇多田ヒカルの話が出来る人がいない!」といういつもの事態がずっと起こり続けるのである。

これが曲単位だと話が変わるんだよねぇ。「『First Love』っていい曲だよね」という一言は、洋楽邦楽はおろか、普段音楽を聴かないような人にすら通じてしまう(少なくとも私の世代までは)。なので宇多田ってめっちゃ有名じゃん!とはなるのだが、熱心なリスナー/ファンとなると途端に見つけづらくなる。更にライブコンサートツアーも少ないとなると、点在するファンに巡り会う機会も滅多にない。やっぱり、手許のスマホを開いてインターネットで仲間を探すのがいちばん容易いということになる。我々がこうやって知り合えてるのは、ほんにテクノロジーの恩恵なんですな。ヒカル自身も含めてね!

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




前回はファンダムの話をしたので、今回は「アイデンティティ」の話。日本語だと「帰属意識」と訳される事が多いこの言葉だが、自分のような日本語圏民としてはピンと来ないというのが正直な所。まぁそれはさておいて。

ヒカルのアイデンティティって何?となるとそりゃまぁいろいろあるよね。アジア系の人種だということ、職業が音楽家であること及び音楽家一家で育ったこと。東京とニューヨークを行ったり来たりして生きてきたこと(今はロンドン)、などなど。そして言語に関しては完全なる(いや完全以上の)日本語と英語のバイリンガルで、最近はフランス語にイタリア語にスペイン語まで手を伸ばしていて。ならヒカルの場合、言語はアイデンティテを語る際に相対化されていてそれに帰属する感覚は薄いのかなと思いがちだが私これ真逆なんだと思うのよ。

確かに、特定の(国の)言語に自己を依拠させるというのは少ないかもしれないが、もっと普遍的に「言語」そのものにフォーカスしたとき、そこに強烈にアイデンティティを感じているように思われる。それは文学好きであることや作詞家であることもそうなんだけど、もっと直接的に、人間による言語活動の存在自体が宇多田ヒカルのアイデンティティの大きな部分を占めているのではないかなと。


そう思わされたのが例の“non-binary"のカミングアウトの件だ。久々にビルボードのインタビューを引用する。
https://www.billboard.com/music/pop/hikaru-utada-interview-bad-mode-feature-1235020381/

『I didn’t know the word “nonbinary” until probably not even a full two years before that. When I came across the idea of it… in Japanese, there’s this expression, “fish scales fall off of your eyeballs.” (“Me kara uroko ga ochiru.”) It’s a weird expression, but that’s exactly what I felt. It’s a moment of “eureka,” or shock, almost.』

グーグル先生に任せるとこう。

『「ノンバイナリー」という言葉を知ったのは、おそらくその2年ほど前でした。その概念に触れたとき…日本語で「魚のうろこが眼球から落ちる」という表現があります。 (「めからうろこが落ちる」)変な表現ですが、まさにそう感じました。 「エウレカ」、つまりショックの瞬間です。』

これは、ヒカルが言葉とそれが表す概念に出会ったときの感動がどれだけ大きかったかを物語っているように思われる。もっと踏み込んでいえば、言葉を知ることで自らのアイデンティティを着地させたのだ。

このあと

『 I just thought it was a me thing. To know there were loads of people out there feeling something similar, it was the most validating experience I’ve ever had. It just changed everything – my relationship with the world and myself – but it wasn’t anything I felt I needed to tell everyone.』

『私はそれこそがまさに私のことなのだと思ったのです。似たようなことを感じている人がたくさんいるのを知ることは、私が今まで経験した中で最も有効な経験でした。それが世界と私自身との関係すべてを変えてしまったんです。』

とも語っているので通常の意味でのアイデンティティとの邂逅、即ち「同じような人がこの世の中に存在して一定の認知を得ていること」について非常に高い価値を見出している─つまり、「自分と同じ境遇の人たちがいることに感動し安堵した」こともまたきっちり押さえておかねばならないが、やはり最初の「エウレカ」、新しい概念と出会ったときの驚嘆と歓喜が甚だしかった点がヒカルの個性、アイデンティティの一角を占めているように感じられた。ここらへんは読者の皆さんひとかたひとかたそれぞれに感じることが多様だと思われるので、ヒカルの言葉をしみじみと噛み締めながら各々が感じたままを解釈してほしいとこです私としては。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




でそのタナソー&三原勇希with有泉編集長featuring宇野維正なpodcastで盛んに連呼されてたのが

・ファンダム
・アイデンティティ
・コミュニティ

の3つの単語だった。恐らく喋ってる方は「盛んに連呼」してるつもりは全く無い。宇多田ヒカルファンとして聴いた時に「そうか、他のアーティストについて語るときはこういう単語が普通に飛び交うんだなぁ」と思った訳である。

「ファンダム」については昔から語られてる通り、宇多田ヒカルにそんなものはほぼない。ファンクラブ作ってないからね。ヒカルがそうしてる理由は複数あるが、根本的に「集団を作る」という気持ちがないのだわ。なぜ人は群れるかというと大多数の人間は「不安だから」で、早い話が「孤独は嫌」だからなのだが、ヒカルさんは一貫して「孤独とどう付き合うか」を歌詞の主たるテーマとして掲げてるので、そもそもこのアーティストシップと合わないんよね集団の齎す幻覚って。そしてそのアーティストシップは宇多田光というパーソナリティに自然に備わったものでプロの作詞家云々以前に存在しているものだ。単純に「そういう人なので」ってだけですね。

ヒカルは自分のことを、学生時代のクラスの中での振る舞いを思い出しながらこう形容している。

「どのグループの人たちとも仲良くしてるけどどのグループにも属さないヤツだった」

って。プロのミュージシャンになってもそれがまるまるそのまんまという、ただそれだけのことなのだ。

だがこれが幅広いファン層を生むから面白い。実はファンの方も、「もし同じクラスだったとしてもつるまなかっただろう人たち」で構成されているのよね。そんな人たちと沢山知り合ってきたわ私も。

これが奇妙な帰結を生む。ミュージシャンのファンダムというのはどうしても偏る。一定の学業や職種の人が多い…とまでいうと語弊があるが、「いかにも矢沢永吉ファンっぽいよね」とか「あゆ好きそう」とかいうのがすぐわかる人たちがかなりの割合を占める。ところが宇多田ファンにはそういうのが皆無なので、一定人数が集まると「自律的に動きそうな小さな社会」が形成されてしまうのだ。ラーメン屋さんがいてお医者さんがいて法律家がいて税理士がいて研究者がいてコンビニ店員がいてドライバーがいて先生が居て…いや勿論他のミュージシャンのファンでもこういうことにはなるんだろうけど、宇多田ファンの場合は原理的にこうなることになるのが少々違う。「クラスタを選ばない」から。

つまり、「特定のグループに属す気のない人間」を集めたらちゃんと機能しそうな社会が形成される…この逆説的とも言える結論は、考えてみるまでもなく当たり前のことだったりする。だってそれが本当の実社会だからね。幾つものグループ、コミュニティがそれぞれのシマを形成しながら、それらがなんとか繋がり合って漸く自律的な社会が出来上がってるんだから。オタクとヤンキーの気が合わないったって、精密機械を作る人と建物を建てる人、どっちもいないと社会は作れないでしょ。(オタクとヤンキーの親和性についてはここでは語らんよ?(笑))(…って、こういうステロタイプな分類をすると不興を買うよね)

そしてこれが、「宇多田ヒカルのヒットには上限がない」ことの証明の1つになっている。年齢や職業や学業や性別やなんやかんやで分断されたグループやコミュニティに依拠せずに活動している為、いざヒット曲が生まれるとあらゆるクラスタから支持を得られる。今までで何度か桁外れな大ヒットを生んできた理由がここにある。集団を縦断できるこの強みは、いざヒットが出なくなったときのファンベースの脆弱さとは裏腹だ。それもまぁ、何かを意図していたというよりは、学校のクラスでの振る舞いからミュージシャンのしての活動から何から、ヒカルがずっと自分らしく生きてきたことの帰結でしかなく、そう肩肘張って語るようなことでもないんだよねと「お前がそれを言うか」な一言で締め括りたいなと思います。笑。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




https://twitter.com/uno_kore/status/1621169074524008449

#338「今こそ宇多田ヒカルについて話そう!」
https://open.spotify.com/episode/1NwHcFI09HiNYIfTmWpyKW
#339「続・今こそ宇多田ヒカルについて話そう!」
https://open.spotify.com/episode/5TNeNUNtPA0jqQcxLhWVxh

宇野維正さんが出演した「POP LIFE THE POD CAST」第338回及び第339回を聴き終えた。2回に渡って合計2時間半近くずっと宇多田ヒカルの話。やたら楽しく聴かせてうただきました。

一応体裁としては#338がドラマ「First Love 初恋」の話、#339が「好きな宇多田ヒカル/UTADAのアルバム3選」ということにはなっているが、大半は宇野さんの独演会だった(笑)。いやしかし、ヒカルのことよく知ってるねぇ。当たり前か。

無意識日記を常読してるような人にとっては興味のある話題ばかりだったと思ったので今これを読んでる人は必聴だよと申し上げておきますわね。

宇野さんの仰ってることについては99%くらい同意、ということを前提として(特に座談会のなりくんについてのくだりは笑った)、今回はひとつ付言をしておくかな。


宇多田ヒカルは、特に最初の12年は「アルバム」というものを作る気が無かったんじゃないか、と主張したい(UTADAは事情が別)。ヒカルは常に「1曲入魂」で、曲という単位には大変こだわりが強いがアルバムというパッケージにはそこまで関心が無かったのではないか。最初の12年は結局自分で曲順を決めることもしなかった。網羅的な記述は思い当たらないが、話を総合すると三宅P/照實P/沖田Dの合議制によって曲順が決められアルバムとしての体裁が整えられていた、ようだ。どうやら。

故に、タイアップのある楽曲とそれ以外の楽曲で作風に斑が出来るのも自然な事だった。ヒカルは、三宅さんから「あと○曲書いて」と言われてその曲数になるまで(〆切と格闘しながら)1曲1曲を書いていたに過ぎない。なので、アルバムの統一感の有無や程度や是非についてヒカルを質すのは、的外れとまでは言わないまでも、答を得られるものではない、ということは踏まえておくべきだったかなと。

いや勿論、リスナーの方はアルバムというパッケージにお金を払ってきたのだから、そこにアルバムなりの作品性を問うのも自然ではある。アーティストにそれを問うのではなく、リスナーとしてそこの満足度が足りなかったというのなら話はわかる。

だがそれも昔の話で、ヒカルは一昨年『BADモード』において曲順をはじめとして“アルバム”というフォーマットにかなりコミットした。ヒカルが同作について『今までで一番好きなアルバムかも』とコメントしたのは、字面通りの意味に加えて、本腰を入れて“アルバム”としての作品を作った手応えが今まででいちばん強かったというのもまた大きかった為ではないだろうか。

なので寧ろ、宇野さんが好きなアルバムを3枚挙げろと言われて「あのアルバムのA面」とか限局して語っていたのは、畢竟ヒカルの意に沿う結果になっていた気がする。彼がどのアルバムの事について語ったかは──ポッドキャストをチェックしてみてね☆(って書くと後年読み返した時イラつくんだよねぇ…)

まぁそんな指摘もしつつ、こうやってヒカルについて熱く語ってくれる人がメディアに居てくれてはる安心感を噛み締めているのでありました。まる。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




19年前の今日、『ヒカルの5』の3、3日目の公演は扱いが特殊で、オフィシャルに掲載されているライブレポは総てこの日、加えてヒカルの写真も総てこの日のものだ。DVDでみられる映像もこの2月7日、及び8日&10日の3日間を編集したもので、パブリック・イメージのかなりの割合をこの3日目の公演が占めている。

https://sp.universal-music.co.jp/utadahikaru/live2004/
それにしても充実したサイトなのよねぇヒカルの5。当時はまだブロードバンドとナローバンドが混在していて─って言うと多分今の若い子にとっては私の世代にとっての「当時はまだ白黒テレビとカラーテレビが混在していて」みたいなもんなのかな─、画像のサイズも小さいものだが(いやでも当時はもう少し大きいサイズもなかったか?忘れたが)、それでもこれだけのオフィシャル・ショットとライブレポートが未だ残っているのは本当に貴重だわ。昨今もう昔の資料を検索することは本当に難しくなっているが(グーグル検索のポンコツ化が凄まじい…)、自分の世代にとっては「これぞインターネット」って感じ。

『40代はいろいろ♫』のお陰でその前の『30代はほどほど(はぁと)』と『20代はイケイケ!』もまた俄に注目を浴びたのだけど、20年前はまだ映像生配信とか数千人規模のチャットルームとかのフォーマットがまだ出来ていなくて総て自前で用意していた。今はYouTubeのプレミア公開やInstagramのインスタライブなど外部のサービスをそのまま使用する事が多くなった。お陰でかなりヒカルのお姿を眺めれるハードルが低くなってくれてそれはそれで大変有難いのだが、アーカイブ性という点では今の方が劣っている。栄枯盛衰、外部サービスは呆気なく潰れるのだった。

特にTwitterなどは災害時や緊急時の情報収集能力が従来とは桁違いで、最早情報インフラ、ライフラインという域に達している。そういった非常時だけでなく、日常の交通情報や気象情報などにも非常に役に立っていてもうこれ無しで生活するとか有り得ない位なのだが、このほんの1年足らずで存続の危機に立たされたりしている。呆気ねーよな。

そういうのをみていると、宇多田ヒカルオフィシャルも、データ関連は出来れば自前で管理して欲しいとこなんだけど、流石にそこまでの予算は出ないのかな。『40代はいろいろ♫』も今回映像アーカイブがアップロード予定ということで我々歓喜中だけれどYouTubeだっていつ崩れるかわかったもんじゃないからね。

そう考えると、DVDで残せてるモノってデカいんだわな。現行の法律ではあれやこれやなので濁しつつ書くけれど、Blu-rayに較べていろいろとやりやすいのは間違いない。円盤自体の物質的寿命なんかもそれでクリア出来るんだしね。何が言いたいかというと、フィジカルは買っていった方がいいという話。所詮はデジタル。端的に言えば、移ろっていくインターネットの世界のサービスなんぞ宇多田ヒカルの作り上げてきた作品群の人類普遍的価値に較べれば吹かれて飛んでいく程度のものでしかないんだ。特に若いリスナーは「なんで古いファン達は二言目にはフィジカルが欲しいと言うんだ?」と訝っているかもしれないけど、こういう泡沫の世をよくよく知っているからなんですよ。それに、10年経ってからまた観たくなるとか、そんなスケール感もありましてね。それこそ『20代はイケイケ!』『30代はほどほど(はぁと)』『40代はいろいろ♫』がそうじゃないですか。多分10年後にはまた『40代はいろいろ♫』を観返したくなっている。そんときにYouTubeが健在かどうかなんてわかったもんじゃないからね。栄枯盛衰の中、宇多田ヒカルの普遍性はどこまでも貫かれていくんです。なので私たちはどこまでも懲りずにオフィシャルに対して「フィジカル希望。買います。」ってアピールを続けていく所存です。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ 次ページ »