無意識日記
宇多田光 word:i_
 




一連のテレビ出演が終わる。
寂しいような、淋しいような、さみしいようなw

昔のテレビ出演に較べて、というとLetters以前、COLORS以後、という分け方になるかな、
声が太くなった分、繊細な表現の制御は難易度を増した。当然その分、低音域の豊かさ、
全体的な声の伸び、ヴィブラートの種類といったメリットを得たわけだが。

でもそれ以上に大きいな、と思うのはそのLetters以前COLORS以後で、
感情の起伏がダイレクトに歌に顕われるようになったかな、ということだ。
プロとしてそれはどうなの、と問われたら「だから面白い」と正直に答えたいが、ともかく、
昔のHikkiのテレビ出演といえば、ふてぶてしさばかりが印象に残った。
「どうだ、私のウマイ歌をきかせてやる」、と本人は思ってないだろうし、
周りも本人がそう思っているとは思わなかったろうが、そう形容したくなるほど
自信をもって臨んでいたように思う。

しかし、恐らく作品にじわじわと正直に自分自身のことを反映するようになってきてから、
ヒカルは自分の歌により感情を大きく込めるように、込められるようになった。
いい意味でも悪い意味でも楽曲との距離感が縮まったのだ。


自身で「達成感がない」とか何とか言ってた“Flavor Of Life”のTV出演は、
概ねどれも好評だった。モニタートラブルなどはあったものの、
歌唱自体は非常に安定していて、当時も私は「去年のツアーの成果」と分析したものだ。

しかし、こうやってBWやK&CのTV出演を見ると、寧ろFoLがTVで安定して歌えていたのは、
彼女自身が楽曲と程よい距離を取れていたからである、という風にも思えてくる。

なるほど、読みようによってはこの歌詞はあの時期だから書けたものだろうから、
やっぱりHikkiの私生活と深く繋がりがあるはずだ、と解釈もできようが、
それ以前に、楽曲に対する愛着というか執着みたいなものが違う気がする。

“Kiss & Cry”については、インタビューで「やろうと思った事がうまくできた」と
珍しく(?)ストレートに自画自賛しているし、私も彼女の狙い通りの曲になっていると思う。
その楽曲を唯一ナマで披露できるMステで“失敗”してしまったのは、
ビートにあわせて左胸を叩いていたのが演出というより、彼女の曲に対する鼓動と期待と
不安が綯い交ぜになった感情から自然に出たものだったから…という解釈は、少し穿ち過ぎだろうか。

その2曲に対する態度のちょうど中間に位置するのが“Beautiful World”だ。
エヴァという作品に対する思い入れは、今までのタイアップとは比べ物にならず、
それは量的な違いというより、質的な違いをも生むことになった。
あれだけ自己の感性に妥協しない人間が「宇多田ヒカルの作品でなくてもいい」と
言い切ったのだ。また、「だからこの曲は私の100%好みでもない」ともいう。
好きが昂じて近視眼的になりすぎる、ということが十二分に有り得る一方、
自分の好みに忠実になり過ぎなかった、という客観的な視点を持つことも可能。
ヒカルにとって生歌でアプローチするのは厄介、或いは楽しみな楽曲となったはずだ。

果たして、うたばん、音楽戦士ではCDのような堅実な歌唱を、
HEY!x3とMステでは、その枠からはみだしそうなパワーとエモーションを
得たパフォーマンスをそれぞれ実践してくれた。今までは思い入れが強すぎるときは
“曲に対して”臆病な面が出てしまう事も多かった(まぁ、緊張するということだ)ところを
どこかじっくりと確かめるようにもメロディをなぞれていたのは、
BWに対するヒカルの距離感が、ちょっと新しいものであったからかもしれない。
そのアプローチのバランスが、今後の他の曲たちではどう変化していくかも楽しみだ。


、、、、んだから、またすぐテレビで曲を歌って欲しいなw
新曲は、まだかーーーっ!?(笑)

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