無意識日記
宇多田光 word:i_
 



614といえば無意識日記の初期ハッシュタグは「#614929」だった。当時全角文字が使えなかったが為の正に苦肉の策だったのだが今は普通に漢字も使えるし140字制限もあるしで記さなくなった。特に郷愁は無いが覚書として書いておきたい。

寧ろ「ツイッター初期はハッシュタグに全角文字が使えなかった」という話に「そういえば」と膝を打つ人や「そうだったの!?」と初めて知った人が出てきそうよね。そうなのよ、ツイッターにも歴史あり。2006年7月からというからほぼ『ULTRA BLUE』と同い年なんだけども。


…嗚呼、『ULTRA BLUE』といえば発売日を記念するツイートを宇多田共和国と(海外のウタダアカウントとしては最も有名な)UBLOGの二者が今朝の同時間帯に投下していたのだが、共和国の方が現在10RT38fav、UBLOGの方が60RT119favと随分と差がある。いや比か。3倍だ6倍だという数字なんだもの。

その一方でフォロワー数は共和国が1610フォロワー、UBLOGが838フォロワーと共和国の方が倍近い数字を持っている(参考までにRIAは1516フォロワーだ)。これはちょっと興味深い。

よく言われてることだが、日本人はWebをよく利用する割に余り自分から発信はしない。フォロワー数が多いのにRT&favが少ないのはそれが理由なのだろう。決してアカウントとしての魅力が負けてい…やめとこ(笑)。

それを奥床しいととるか英語圏の人々がぐいぐい来過ぎととるかは人による。ただヒカルも2009年にセフォラなどでファンイベントを催した際現地のファンの積極性に日本との違いを見出していた。やはりそういう印象を持つのだろうかな。

あと、ヒカルの支持層の“濃さ”の違いもあるのかもしれないが…っていう話をし始めると長くなりそうなので今宵はこれくらいで止めておこうか。特にこうすべきだとかこうして欲しいとかのメッセージがある訳ではなく、こうなのですよという事を伝えたかっただけなのでした。

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『ULTRA BLUE』13周年記念日。たった13年しか経っていないがそりゃもう定番の名盤だよね。必修科目。

宇多田ヒカル名義の中では売上として“底”だったので当時の評価はそこまで芳しく無かった。内容ではなく数字の評価である。しかし当時のスタッフは確実に未来を見据えていた。

このアルバムの中で最古曲は2003年の『COLORS』だ。『20代はイケイケ!』と共に世に押し出された楽曲は、アーティストが単独でストリーミング映像生配信と実況チャットを組み合わせるという画期的な企画だった。ヒカルに車一台をプレゼントとして用意できるようなスポンサードを受けられる知名度があったからこそ実現した企画だったが、世の先駆けとして十分な先進性だった。

同じく同アルバムの収録曲、CDの出荷枚数と実売数の落差として歴史的な数字を残した2005年の『Be My Last』。その一方で当時始まったばかりのiTunes Music Storeでは年間第2位の数字を残すなど、来たるべき“インターネットでの商業音楽市場”を見据えてかなりの先手を打った感じだった。当時はそれこそまだ時代が追いついていなかった。

2006年の『Keep Trying』もそうだ。auの音楽配信サービス「LISMO!」のスタートに合わせて何とCD発売前に無制限無料配信を実行し200万ダウンロードを記録する。当然、CDの売上は芳しくなかったが、ここから一年後に『Flavor Of Life』が着うたで歴史に残る大ブレイクを果たした。『Keep Trying』でガラケーリスナーの下地を耕しておいたのが奏功したといえる結果だった。

斯様に、『ULTRA BLUE』というアルバムは旧来のメディアからCD売上を云々される一方で、未来を見据えて来たるべき時代に備えた先見性に富むアルバムだったのだ。世界的にストリーミングが主流となりつつある現代において今一度この13年前の作品の在り方を再評価してみるのも一興かもしれないよ。

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