無意識日記
宇多田光 word:i_
 



今日は9月28日。@utadahikaruが呟き始めて2周年だ。今や「やっべーこの背景まじかわいくないっすか?」の一言は「祝・開通!」と並んで新しい歴史の幕開けの象徴となった感がある(主に、私の中で)。

前から触れている通り、この"@utadahikaru"という名義は、宇多田光にとってCubic U、宇多田ヒカル、Utadaといった名義に連なるものになってきたと言っていい。いいんだよ。ダメ? どっちでも、いいけれど。

別に新しい人格になったとかそういう訳じゃなく、いい意味で(と言うとどうしてもミラクルひかるの濱田マリのモノマネが頭に思い浮かんで離れない。あとELTがラジオから流れてくると噴き出すようになったぞ俺。どうしてくれようタムラリカ。)光は変わらないのだが、圧倒的に身近になった。

おまぃら、考えてもみろ、10年以上の前の自分に連絡して「いやぁ、宇多田ヒカルから二回も返事貰っちゃったよ」とか言ったら「何寝ぼけた事言ってるんだ」とハナにもかけられなかっただろう。昔の「圧倒的に雲の上の存在」だった彼女からすれば、文字通り天と地ほどの開きがある。この場合は通常の意味と違って地の方が嬉しいのだが。

確かに、その飾らない性格に対して"大いなる親近感"を誰しも抱いていたし、光自身の仲間内でも「ほら、ミステリアスなひかるが来たよ!」てなノリだったらしいが、しかしそれと実際に返事が貰えて会話が成立しちゃったりする事態は次元が違うだろう。本当に、身近な存在になった。

いやまぁ古くからのファンからすれば、特に2006年頃の密度の濃いメッセ攻撃を受けていた向きからすれば、Twitterで大量に発言している様子にもさして戸惑わないだろうが、もっとライトなファンたちからすれば「宇多田ヒカルに直接話し掛けられる」のは何とも新鮮な感触があるだろう。Twitter恐るべし、である。

まだまだ二年しか経ってないので光の様子もさほど変わらないが、これが更に続いていくと「@utadahikaru」というペルソナが少しずつ存在感を現していくだろう。所詮はWebツール、光の生活を全部見せてくれる訳ではない。極一部を切り取ってくれるだけであって、これで今の光を知ろうというにはまだまだ足りない。しかし、光自身がTwitterを通じて自分の新しい側面を発見できていくとするのなら、これはかなりExcitingな話になる。Twiter様々である。

それにしても。次に歌の中で「呟く」という歌詞を使うのならば要注意だ。たぶん、かなりの人がそこの部分「ツイートした?」と読み換えてしまいそうだからだ。くわばらくわばら。

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『大事な時 もう一人の私が邪魔をするの』

前段が『ありのままで生きていけたらいいよね』であるからそのまま読めば、もう一人の私はありのままで生きていく事を妨げる存在、だろう。それが"大事な時"に現れるという構図。言い換えれば「いざという時に素直になれない」という事になるか。

しかし、「誰かに乗り換えたりしません」とキッパリ言い放った後にこういう迷いのようなものが現れるというのはどういう事なのか。更にそこから後は『So Goodbye Happiness~』とまた圧倒的現状肯定のくだりに戻る。

見方によっては、『何も知らずにはしゃいでたあの頃』を『ありのままで生きて』いた頃だと解釈も出来る。この後に"何かを知る"事で今に至る訳だから、ありのままでなくなった自分は肯定の対象になるのだがそうすると『邪魔をする』という言い方がしっくりこない。望んでいた方向に行けない、その原因となる障害だという風にとれる。

この『邪魔』を茶目っ気たっぷりな、小悪魔的な感触で使っている、という風に解釈する事も、できなくはない。「んもー、邪魔なんだからー」なニュアンスで。(なんだかなぁ) しかし、たとえそうだとしても『大事な時』についてはどうにも言い訳がつかない。この表現を冗談めかして使う事は難しい。

反対側から考えてみる。次が『So Goodbye Happiness』、「だからしあわせにおわかれを」となるのなら、その前段階はしあわせにおわかれできない、する気がない状態、てな事になる。innocentな"あの頃"である。であるのならこの歌はしあわせにおわかれする為に勇気を出して"あの頃の私"から一歩踏み出すプロセスを歌っている、という風に美しくまとめられそうだが、だとするとそのもう一つ前の『ありのままで生きていけたらいいよね』の一文が宙に浮いてしまう。この台詞は、誰の"本音"になるのだろうか。そこをよく捉えないとこの箇所の歌詞はわからないままだろう。ふう。

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