ナックルボーク2号 

たいしゅんの唄と野球の夕べ

かつてそこには野球場があった*その五~大阪球場編~

2008年02月19日 20時00分00秒 | 野球
心斎橋に泊まった翌日の朝、歩いてなんばまでやってきた。


難波駅。
ここに隣接するように
かつて南海ホークスが本拠地としていた大阪球場がありました。
球場は見た事がありますが、試合は見た事がありません。

あとセントラルパークコンサートで再結成したサイモン&ガーファンクルが
後楽園球場と、ここ大阪球場で来日コンサートをした記憶があります。
見にきてないけどね。(見たかったけど)

それに大阪球場といえば、なんといっても
我が広島カープが初の日本一を決めた場所です。
1979年の日本シリーズ第7戦、いわゆる「江夏の21球」の試合です。


このあたりにありました。
いまはなんばモールというショッピングモールになっています。


ホームベースがこのあたり。だったらしい…


ピッチャーズプレート。


マウンドからホーム方向を見る。

ということは…


江夏がスクイズを外して、キャッチャー水沼が3塁走者藤瀬をタッチアウトにしたのは
この辺か?


門田の打球が通過した空を見上げる…


最上階にホークスの資料館があります。
「行って参ります。」杉浦監督が言った時のユニフォーム。
福岡であれだけ人気があれば、もう2度と戻ってくる事は
ないでしょう…


「南海ホークス 百万ドルの内野陣」を放映中。


有名な話なのですが、1973年の優勝監督の記述がありません…
この資料館に彼の名前はどこにも出てきません。
3冠王にもなっている、偉大なプレーヤーは
南海ホークスの歴史にはいなかったことになっています。
「ピッチャー、マー君に変わってマー君!」の人です。

まあ、そのトラブルのおかげで、カープに江夏が来たんだけどね…


金城もホプキンスもいたホークスが
パ・リーグでは一番好きでした。

そういえば、今年、福岡のチームが南海のユニフォームを復刻して
試合をするかもしれないらしいですね。
楽しみです。


●かつてそこには野球場があった● おしまい。

来年は広島市民球場編を…う~、悲しい

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