
昨日は午前中、宇品港から高速艇に乗り、江田島へと渡った。
第59回広島県美術展の巡回展を見に行く為だ。
県立美術館での展示はもう既に終わった為に諦めていたのだが、
県内各地を巡回しているとの情報を聞き、
どうしても今回の帰省で行きたかった場所だ。
そのついでといっちゃあなんだが、
昔から気になっていた
江田島海上自衛隊第一術科学校
(旧海軍兵学校)にも行って来た。
受付さえすれば誰でも、
係りの人が案内してくれて中を見学できるのだ。
明治22年に造られたとは思えないほどきれいな幹部候補生学校校舎、
大正時代に造られた大講堂、戦艦「陸奥」の砲塔、
真珠湾攻撃の際使われた特殊潜航挺(5隻の内の1隻)などがあり、
非常に歴史の重みを感じる校内を、
田中さんという案内の方の軽妙な語り(おやじギャグ満載ですが)と共に見て回った。
木陰で休憩の後、最後に入った教育参考舘。
いままで撮影はすべてオーケーだったのだが、
ここだけは遺品などの展示があり、遺族の同意がないとダメとの事。
敬意を払い、脱帽、飲食禁止でした。
この兵学校を出た多くの若者の写真、遺書、血書などが展示してあった。
人間魚雷、神風特攻隊、国の為と落としていった多くの人が
この世に生きていた時の痕跡がそこにはあった。
死にたくて死んでいった者がいるのだろうか?
その当時の写真と全く変わらない校舎が今目の前にある‥
たしかにその若者たちもこの場所で生きて生活していたのだ。
そう思うと本当に身の引き締まる思いがした。
県美術展の会場はそこからすぐ近くにあった。
絵画部門の大賞作品「絆」。
その作者と知り合いだった為どうしても見に行きたかったのだ。
子猫を抱く女の子をやさしく光が包みこむような作品だ。
平和な日常が一番いい。
第59回広島県美術展の巡回展を見に行く為だ。
県立美術館での展示はもう既に終わった為に諦めていたのだが、
県内各地を巡回しているとの情報を聞き、
どうしても今回の帰省で行きたかった場所だ。
そのついでといっちゃあなんだが、
昔から気になっていた
江田島海上自衛隊第一術科学校
(旧海軍兵学校)にも行って来た。
受付さえすれば誰でも、
係りの人が案内してくれて中を見学できるのだ。
明治22年に造られたとは思えないほどきれいな幹部候補生学校校舎、
大正時代に造られた大講堂、戦艦「陸奥」の砲塔、
真珠湾攻撃の際使われた特殊潜航挺(5隻の内の1隻)などがあり、
非常に歴史の重みを感じる校内を、
田中さんという案内の方の軽妙な語り(おやじギャグ満載ですが)と共に見て回った。
木陰で休憩の後、最後に入った教育参考舘。
いままで撮影はすべてオーケーだったのだが、
ここだけは遺品などの展示があり、遺族の同意がないとダメとの事。
敬意を払い、脱帽、飲食禁止でした。
この兵学校を出た多くの若者の写真、遺書、血書などが展示してあった。
人間魚雷、神風特攻隊、国の為と落としていった多くの人が
この世に生きていた時の痕跡がそこにはあった。
死にたくて死んでいった者がいるのだろうか?
その当時の写真と全く変わらない校舎が今目の前にある‥
たしかにその若者たちもこの場所で生きて生活していたのだ。
そう思うと本当に身の引き締まる思いがした。
県美術展の会場はそこからすぐ近くにあった。
絵画部門の大賞作品「絆」。
その作者と知り合いだった為どうしても見に行きたかったのだ。
子猫を抱く女の子をやさしく光が包みこむような作品だ。
平和な日常が一番いい。