中学時代の数学教師Hは、いつも長さ25cmほどの篠竹を指示棒代わりに持っていたが、或る時、授業中に、「お前たちは自分の好きな美味いものから先に食うか?美味いものは最後まで残しておいて、最後に食うか?」と問うた。数学教師は美味いものから食うと言った。その言い方には、他の食い方は考えられないという言外の言が含まれていた。その頃の僕の兄は嫌いな物から食べ、最後に自分の好物を楽しみながら食う派だった。最後に美味しいものを食べる兄を、指を咥えて見ていた僕は数学教師Hと同じ党派に属していたのだろうか。枕が長すぎたが、ここでの真の問題は、実は、何から書き始めるかという問題だ。序破急に縛られるのか、型破りの果てに自分の俗歌を響き渡らせるのか。いずれにしても、物語は物語られねばならない。
筋などありはしない。あれば、時間はもっと明晰性を帯びて流れるだろう。過ぎた物語を語るだけだ。外面的には確かに過ぎたが、しかし、時間を遡って語る者にはまだ過ぎていない。これから時間もなされた意味合いも表現されるのだ。内面的には今まさに塗りこめるべき壁が現前している。見たものも見えなかったものも表現せねばならない。耳に響いたものも聞き漏らしたものも歌わねばならない。虚無感と言っても、言えば言うほど寄せ集めの屑のようなものになる。誰が拾うのか。幸福感と言っても、言えば言うほど指の間から零れ落ちる砂のようなものになる。自画像を描くのに僕は鏡を見ない。鏡や人の眼差しに映っているのは自分ではなく、自分の幻影だ。読み取る力のなさを言っているだけではない。人は百面相どころではなく、変幻自在の化け物だ。或る日、或る時、或る人が生きた。風が流れるように時間が流れた。それだけの話だ。
今は、僕は自分の経験した美しい瞬間を初めに書きたい。旅の話を時系列に沿って素直に書くには今の自分の気分はひねくれ過ぎている。例えば、突然どこからともなく自分の心の鏡に<f>が現れたら、印象深い一つの結節点になるだろう。そういうものの半ば秩序立った半ば混沌とした累積が、いわゆる人生なのだろう。一つの人生は一つの起承転結に嵌め込められない。はみ出た部分に渦巻く灼熱のエネルギーこそ<私の証明>であり、<私の時間>であり、飛躍して宣言すれば、それは<私の死>でさえあるだろう。
その時、朝だった。唐突だが、旅先での経験を語り始めている。その<その時>は、しかし、どの時でもよい。誰にでも夥しく訪れる任意のT点だ。僕はホテルのバルコニーに設置された木製の浴槽の中にいた。湯温や湯量はどこかで何かが自動管理していた。僕が風呂桶で或る一定の量を汲み出すと、同等分の湯量がすかさず自動的に補充される仕組みだった。火吹き竹で五右衛門風呂を沸かしていた時代にはもう戻れない。日本は変貌してしまっている。僕は朝湯に浸かりながら南伊豆の海を見ていた。真正面に太陽がまさに昇ろうとしていた。僕の気分は乱れた糸玉だった。温かい湯にほぐされてその糸玉の乱れは段々と整っていくようだった。浴槽の前面には格子状の板切れが並べてあった。幅10センチ。板と板との間の空間も10センチ。その隙間からは南伊豆の海の輝きが見えた。昇る太陽の光が棒状に海面に伸び、まぶしく反射している。そう、絵画によくある景色だ。その光り輝く反射の縦波は、海面の波と同調して揺らいでいた。そして、僕の心の奥底に到達した。一つの時間が一つの扉のように開き、僕を招じ入れた。<私の時間>が<f>のように偶然現れたのだ。僕らは確かに連続的に生きている。しかし、結節点のような<時>は不連続にやってくるのだ。波の偶然の揺らぎのように、僕の糸玉は、あるいは糸玉のような僕は揺らぎ、僕の思い出は蘇り、そして、一つの時からもう一つの時へと巡るともなく巡って行った。環状に、不連続に、僕は僕に、いつもと同じように(しかし、決して同じにはならない)回帰する。あたかも岸に打ち寄せる波のように。
僕は気付いた。格子状の板と板との間から光線が斜めに帯状に入り込み、湯煙をも帯状に視覚化させている。湯煙が不規則に揺らぐ。目の前の砂浜には松林がある。その松の幹や枝の狭間を縫って辿り着いている光。時とともにその帯状の光は左から右に移動した。僕は湯の中で愉悦を覚えた。人工的に形象化させられた時の移ろいだ。砂漠ではどのように時が移ろうのか知らないが、日本では湯煙の中でも時は移ろうのだ。何という豪奢だ。何という感覚的な豪奢さだ。いや、何という豪奢な<時>が僕の心の中に闖入してきたのだろう。掴まえたくても掴めない。僕は正面の海を見た。ただまばゆい光に満ちた<時>の存在に圧倒される自分を見出すだけだった。
2008年2月15日、僕は確かに南伊豆にいた。それだけだったと断言してもよいし、それだけではなかったはずだと留保してもよい。それを決められるのは決めるべき時期にいる僕だけだ。知人が言った、「僕も修善寺に行ったことありますけど、山の中で何もなかったです」と。僕は僕の旅を省みた。何かがあったか。海面にコケシの形に輝く太陽の反射があったと答えればいいのか。曖昧な表現になることを承知の上で、<私の時間>があったと答えればいいのか。
中学時代の数学教師Hのように、食えるものならば僕も美味いものから先に食いたい。残念ながら、まだ僕には美味いものを選び取る力がない。先に食うか、最後に食うかという問題以前にいるわけだ。ここでは、食い物の話をしているのではない。あの世に行ったら、僕も知人の口真似をしながら亡者どもと語り合うのだろうか。「僕も長年地球上で暮らしたことありますけど、山の中で何もなかったです」と。
南伊豆では、毛布も湯たんぽもなしで眠った。菜の花が満開だった。野性のリスが枝から枝にすばしこく飛び移っていた。暖かい陽だまりで海を見下ろしながら暮らせるのならば、僕はその他のすべてを後回しにしてもいい、今夜限りの思いだけれど。
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