ホテルの中でも、ゲレンデでも、ゴンドラの中でも、右を見ても左を見ても外国人が目に付いた。オーストラリアは今、初夏か。クリスマス休暇でここニセコアンヌプリにスキーを楽しみに来るオーストラリア人は多い。倶知安町がその拠点だろう。２５日、昼飯を食べにニセコ東山プリンスホテル新館へ行った時だった。生ビールを飲み、ラーメンを食べ、ふらふらとホテルの内部を巡航していると、カフェがあった。窓際にはパソコンが５，６台並んでいた。利用していたのは皆外国人だった。僕は若いブロンド女性の隣に座り、チャカチャカとキーボードを叩いた。自分のブログを覗こうと試みた。言語を日本語に切り替えねばならない。インターナショナルな雰囲気だ。隣の女性が去ると、すぐに中国語を操る少年が座り、数十秒でゲームを始めた。僕の画面はまだつながらない。こういうのを名古屋弁では「どんくさい」と言うのだろう。これからの世の中、英語とパソコンを操れなくてはどこへ行っても肩身の狭い思いをすることになるだろう。一流企業の幹部社員の肩書きを持つ僕の隣人は、「英語が出来れば仕事が出来るってもんじゃないですけどね」と言った。確かに、内容のない話をいくら英語で喋ったって犬も耳を貸さないだろう。しかし、このカフェの雰囲気、日本のホテルなのに日本語が一言も聞こえてこない空間、自分が誰なのか途方に暮れてしまう瞬間がある。周囲の人間とコミュニケーションが出来ないと、たとえ祖国にいても人は断絶感を味わう。僕が立ち上がると、珍しくも日本人風のカップルがすぐ座席を占めた。彼らはしかし、日本人とは限らない。僕は学んだ。ここニセコには日本人と顔立ちの良く似たアジア系はどこにもいた。
２５日、僕は６人乗りのゴンドラに乗り込んだ。座席に座ると、青いウエアを着た若い男が続いて乗り込んできた。どこにでもいるような冴えない男だ。道具を見ると、若者にしては珍しくスノーボードではなく、スキーだ。その朝は曇っていた。ほんの少しの間だけど、太陽が輝いた。そして、ゴンドラに乗っている今は、ひらひらと粉雪が舞っていた。僕が「今日は降ったり止んだりですね」と話しかけると、彼はすぐに「すみません。僕は日本語が話せません」と英語で答えた。意外だった。どう見ても顔立ちは日本人だった。どこから来たのか。香港です。彼は年に数回スキーを楽しむと言った。どこから来たのか。今度は彼が僕に尋ねた。岐阜県だ。君は学生か。いや、働いている。若く見えるよ。僕がそう言うと、香港青年はニタニタっと声を立てずに笑った。どこに泊まっているのかと聞くと、彼はペンションだと答えた。後日、彼の発音と発音記号とを照合した。そうだったのか。彼から初めて僕は英語のpensionの正しい発音を聞いたことになる。カタカナ英語は諸刃の剣だ。便利だが、陥穽に陥る場合がある。ゴンドラから出た後、彼の滑りを見た。雪のない国から来たのに、香港青年のスキー操作は滑らかだった。
僕はゴンドラに乗り込んだ。僕の左隣にはドイツ語を話す青年がいた。僕の正面には、その女友達がいた。灰青色のウエアがよく似合っていた。青い瞳の大和撫子といった風情だ。ずっと伏し目がちで、斜め前の青年に対して時々清純な微笑みを浮かべていた。ゴンドラを出た後、彼らの滑りを見た。風情は大和撫子だったが、彼女の滑りは急斜面でも堅実かつ積極的だった。
僕はゴンドラに乗り込んだ。ゴンドラに乗る時はスキーを脱がなくてはならない。邪魔くさい。が、リフトに乗る場合よりはのんびりと景色を眺めながら休憩できるし、バックルを緩めて足の緊張をほぐすことができる。僕はゴンドラ派だった。座席に座ると、若い女が飛び込んで来た。腕には赤い十字の標章が付いていた。スキー場のパトロール隊員だ。地元の方ですか。いいえ、大阪です。僕も吹田に住んでいたことがあるよ。「私、吹田市民です」、この彼女の返答にはちょっと驚いた。又も小さな偶然だ。「じゃ、清水米穀店知ってる？ ときわ理容店は？」僕の質問に彼女は首を振った。人懐こい女性だった。僕らは喋り続けた。いつまでもこのままゴンドラが登って行けばいいと思った。永遠に停止しなくても良かった。沖縄でもそうだった。リゾート地のホテルには地元出身者以外の季節労働者が多い。彼女も寮に入って働いていると言っていた。
〈続く〉
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