海の見えるレストランでパスタを食べる会(愛称:海パスタの会)

みんなでレストランを作ることを目標に、「千葉市の海岸沿いをおしゃれで楽しく憩える空間にしようという街づくりの会です

ご無沙汰しています。

2013-07-06 22:57:43 | お知らせ

地元でパン屋を開業して、多忙につき、HPやこちらの更新が遅れてます。

今後の予定は

7月13・14日は夢鯨さんの貝調べ

8月3日(日)検見川の浜でフラダンスフェスティバル

8月25日(日)シーサイドライブ

そのほかは決定次第発表します。

ちなみに7月6日は地元花園で花園バンドフェスティバルを開催しておりました。

6月23日は幕張海浜公園祭りに「貝調べ」で参加しました。


報告の予告

2012-04-29 03:55:53 | お知らせ

4月15日(日)9時~  まてがいゴローさんと21・22日の「映画の友」の準備。

       14時~16時  美浜区主催「魅力ある美浜区づくり活動」報告会にて発表。

 

4月21・22日(土・日) 「映画の友」 私は母が入院しているので奈良へ。

 

4月24日(火) 美浜公園緑地事務所へ。

 

4月27日(木) 美浜区役所へ。

 

これから順に報告します。忘れないようにメモしました。

 

今後の予定。

①週末はスタジオを開ける。

②ステップアップ研修を何度か行う。(予定を5月17日までに組む)

③公園内に欲しいハードを描き上げる。(5月21日までに募集)

④できれば、カフェを開店する。

⑤・・・・(未公開)・・・メンバーに相談。

 


地デジ11チャンネルに4月に登場します。

2012-03-20 03:25:03 | お知らせ

野外料理フェスタはケーブルネットワーク千葉の千葉局が取材に来られたが、そのあと、3時からケーブルネット千葉の習志野局のインタビュー撮影があった。 

「いきいきシニア・自分流」って番組の一部で3分間「ボランティアについて」話すことになって。千葉県社会福祉協議会のSさんからの依頼です。3分間ですが、1カ月間毎週流れます。千葉・習志野・船橋・流山・松戸・葛飾・市川。

ボランティア言うても海パスタはどっちかっていうと「遊びの会」に近いので、たいしたアドバイスはできません。せんでもいいことを勝手にやってるわけですから。

「遊びです」「世界が広がります」「目的を達成するまでの過程が毎日楽しいです」

気をつけることは「まわりに迷惑をかけるので最後まで逃げないこと」

大変なことはありますが、「最後の最後まで努力をして、実力的にも時間的にも限界までやったら、そこまでを世間にみてもらう」「打つ手がないというところまで努力すれば、天の助けがきます」

 なんてことを下手に話しました。

 応援団。

編集してくださるそうですが、「ボランティアについて」話すはずだったので想定問答を作成しておいたのに、「海パスタ」について聞かれたので、実現したいところを話させてもらいました。

それに、バックに5月に予定している「その羽は水色」さんの作品を宣伝用に貼っておいたら、それをとっても気に入ってもらって撮影してもらえたのはラッキーでした。

今日は撮影のためにあけたのだけど、来場してくださる方がいて、やはり水色さんの作品をしっかり見て帰られた。心を温める言葉が必ずみつかります。

   来場者もカメラに収まってくださいました。

 16日に二人目の孫が生まれたので、水色さんに譲っていただいて、二人の孫にこの作品をプレゼントするつもりです。

5月12・13日は「水色美術館」開催です。おたのしみに。


稲毛海岸の様子のコメント訂正しました。

2011-10-11 21:50:53 | お知らせ

稲毛海岸の様子の訂正です。

コンクリートのはがれや砂浜の浸食は8月21日の台風のせいだそうです。かなり波が来たようです。

今年は災害の年ですね。タイでまた大洪水。

私は奈良育ちですが、このたびの台風で日本最大の村・十津川村に大きな被害がでたので対策に忙しく、10月12日に予定していた関東県人会は中止になりました。

十津川は明治22年にも大洪水にみまわれ、北海道に移住しています。

平時も山が深くて、夜はとても車では行けないところです。村の98%は山林というところです。最後の日本オオカミhttp://www.geocities.jp/eastwoodism/totsukawa/nihonookami/nihonookami.htmが捕獲されたところに近く、大英博物館にそのはく製があります。

今、日本の森林では鹿が繁殖して困っています。天敵であるオオカミがいなくなったからだそうです。

 

奈良公園には鹿がいっぱいいますが、あれは春日大社の鹿で、茨城県の鹿島神宮から奈良時代に貢物を背中に乗せてはるばるやってきた鹿の子孫です。陸路を来たというから珍道中だったと思います。彼らは夜になると春日大社の鹿園に帰ることになっています。

奈良盆地から南下して紀伊半島の南端の串本まで行きましたが、平安時代の人たちが京都から熊野詣でに何度も来てるのには驚きます。たぶん大阪方面から船できたのでしょう。

 

新幹線の中でおしゃべりした和歌山のおばさんが熊野古道のことを「2度といきたくないところ」と言ってました。「しんどかった」って。

「もう一つ、2度と行きたくないところがあったなあ。・・・そうそう遷都1300年の平城旧跡」  「炎天下を大極殿まで歩かされた」

確かに、平城旧跡はすっごく広い。娘が「ドンキホーテ何軒入るかな?」って言ってました。