日々、土器実測(仮)

発掘された遺物の図化作業メインのお仕事ブログのはずが、日々の徒然・スピ話ばっかりになっちゃってる日記。

なぜか反面教師

2011年07月16日 | Weblog
見えないものが見える、聞こえない音が聞こえる、感じる……、こう云う能力は本来誰にも備わっていて、開いているかいないかの差、と云うより、本人が能力として自覚出来ているか否かの違い程度でしかないのではなかろうかと、私は個人的には思っています。
強いとか弱いと云う捉え方も出来そうですが、恐らく大方の人は相応の訳あって使えていない、使っていても気付かない状態なのだと思われ。
で、セラピストとかカウンセラーには、こう云うの能力?を使ってお仕事している人が沢山います。
本人に自覚なく、使ってないつもりでも実は使っていると云う場合もあると思いますが、意識的に使っていると云う場合、その能力はPRにも利用可能です。
私もそうですが、やっぱり自分に自由に使えないものを使いこなせている人には惹かれるものがあります。
でもそう云う事を公にする事が、何だかなあと感じてしまう人っていますよね。
私は人に対して過敏に感じるところがあると云うか、無意識に相手の裏を見ると云うか分析してしまうと云うか、あんまり感じいいタイプではありませんが、こう云う感覚が過剰に発動するのは、ある種類の人に限ってではあります。

私が大好きなセラピストやカウンセラーは、かなりの能力者だと思います。
一方的に憧れている人もいれば、交流のある人もいますが、このタイプに共通しているのがアッケラカンとしていると云う点です。
どんな状況にあっても淡々と受止め、変に深刻ぶらないし、つまらないこだわりがないんですよね。
見える聞こえると云う事についても、実は幻覚とか幻聴かもと自分から云ってのけて、思いっきり笑い飛ばしている。
何と云うか、生き方に潔さをのようなものを感じます。
どんな凄い事を聞かされても、鼻持ちならないと云う感じが全くしないんですよね。

前世が何だったとかそう云う事も結構こだわりの強い人っているものですが、天使とかそう云う関連(爆)だったからセラピストに向いているかと云えば、どうかなと思います。
前がどうであれ、問題は今現在どう云う人間かって事です。
前世が天使だったとか云われても、嘘は辞めてと云いたくなる人だっている訳で……。

自分が苦しい思いをしたから人を助けたいと思っている人か、幸せで苦労知らずの人か、どっちがセラピストやカウンセラーに向いているか、前者のようにも感じられますが、こればかりは経験上何とも云えないなと思います。
案外苦労人だったって人は、決めつけが激しかったり経験論とか自分の事ばかり語る人が多く、価値観が偏り気味で、違うと思ってもそう云えないような雰囲気の人が多いような気がします。
苦労知らずの人は(単なる能天気でさえなければ)無駄なマイナスも持っていない分、結構いい方へ向けてくれるような。
本当はこっちかこっちではなく複合的な人である事が望ましいと思いますが、そう云うセラピストとか、なかなかいないんですよねえ。
希望の見え難い状態を伝える時、Aさんは思慮なくどん底に落とすのに、Bさんは一筋の光を見せてくれる、と云う場合……。
同じような事を云われても、何云ってんの?としか思わない人と、ああそうか、そう云う事かとちゃんと納得出来た人とがいましたが、云い方や伝え方を一つ間違えたら、クライアントにとってえらい事になったりします。
その辺、全~然気にしてないセラピストの如何に多い事よ、ですぜ。
結局のところ、人がない能力のあるなしではない、ものを伝える能力と人間力・人間性の問題にかかって来ると思います。
能力をオープンにする事で、自分は特別な選ばれた存在だとアピールしたい(からオープンにするのであって、何もなければしないはず)、そんな風に思う時点で、お仕事にする事には向いてないと思うんですよね。

色んな事を丸っと受止めてはいても、それをひけらかしたり押し付けたりしない、さらりと生きている、そんな風になれたらいいなと思います。
私はセラピストでもカウンセラーでもありませんが、そう云う人に接する度、何かしら問題が浮上して来るので、恐らくこう云う方と接する事について、何かあると思うんですよね。
このような恐れ多いお仕事をされている方と比較など出来ませんが、人のふり見て我がふり直せと云うか、反面教師になった方、本当に多いです。
なぜでしょうねえ。