こころの声に耳をすませて

あの結婚生活は何だったのだろう?不可解な夫の言動はモラル・ハラスメントだった…と知ったウメの回想エッセー。

過去、そして今

2007-10-08 12:25:43 | モラハラエッセー(離婚後)
 先日住宅街を歩いていたら、金木犀の香りに、ふと木々を仰いだ。今年の秋は暑いと思いながらも朝晩の気温はぐっと下がり、日も短くなってきた。空にはいわし雲、夜は虫の音も聞こえる。

 この10月、元夫から脱出して丸3年になった。離婚してからは約8ヶ月だが、物理的にも精神的にも元夫から離れられたのは、3年前だ。
 必死の思いで決断した別居だったが、どこかで夢のようでもあった。別居を夢想しながらネットで賃貸情報を検索し、「こんなところがいいかな」なんてあてもなく考えていた。夫への不満を溜め込み、恐怖や憎悪が暴発しないよう押さえ込みながらも、この現実が変わるなんて思えなかったし、自分が変えられるなんて信じられなかった。そんな私が一片の光を見いだしたのは、ネットで綿々と綴られる、顔も知らぬ女性達の吐露した夫婦間の苦悩だった。夫からのDVやモラハラへの告発、そして敢行の末、次々と報告される別居や離婚。「皆、すごいな…」私の硬直した心が動き始めた瞬間だった。それでも実際に動き出すまでには相当な時間を要したが、少しずつ現実を変えようとするエネルギーが自分の中に湧き起こってきたのは確かなことだった。

 そしてついに元夫の一言から、奮起して自分を駆り立て別居準備を始めたのだったが(『賽は投げられた』)それでも心のどこかで「本当に別居できるのだろうか」と思っていた。不動産屋に行ったときも、段ボールに自分の物を詰めているときも、どこかで「これは現実なんだろうか」と自分のしていることを夢のように感じていた部分もあった。ややもすると立ち止まり考え込みそうな自分に、必死にハッパをかけ「止まっちゃダメだ。考えないでとにかくするんだ」と言い聞かせ続けた。そして、10月の澄んだ青空の広がったある日、私は元夫と生活した場所に背を向け、ともに過ごした時間を絶ったのだった。
 あのような覚悟と決断は、私の人生上でも滅多にないことだろうと思う。結婚ですら、こんなに思い詰めなかった気がする。

 別居後は堰を切ったように、自分の心情や元夫の様々なモラハラ行為、そして言いたくても言えなかった元夫への思いの丈を掲示板やブログで綴ってきた。そこで同じ闘いを続けていた方々、顔も知らぬ方々から、たくさんの、本当にたくさんの温かい共感と力強い励ましをいただき、モラハラで受けた傷から流れる血を止め、癒していただいたからこそ、自分自身を取り戻し、落ち着いて自分の生活を日々送ることができていると思っている。

 あれから3年、だんだん私の中で結婚生活の記憶が遠のいていく。私はずっとひとりで生活していたのではないか?と錯覚するくらいだ。
 ただ、かつて元夫からのモラハラによって、叩きつけられ踏みにじられ切り裂かれた心の後遺症はやはりある。テレビや映画で、恋愛ものや夫婦、家族の葛藤が描かれるドラマは殆ど観なくなった、というより観られなくなった。元夫が好きだったプロ野球の試合もまったく観ないし、何回もプロ野球ニュースなんて出てくると不愉快になることがある。たまに何かのきっかけで、元夫への怒りややりきれなさが沸々と湧き起こってくるときもある。そんな時、ああ、私は元夫と生活していたんだ、と思い知らされるのだ。それも仕方のないことだ。事実なのだから。
 たまにそんな気持ちになっても、今の生活は変わらないし揺るがない。穏やかで安心で安全、自由である。

 かつて元夫と生活していたときは絶えず不穏、恐怖、危険、服従だった。あのまま元夫と生活していたら恐ろしい事件が起こったような気がする。夫婦や親子間に溜め込まれていた恐怖と憎悪が、容量を超えはじけ飛んだときの凄惨さを、世の中のニュースは流し続けている。あまりに痛ましく、残酷な現実だ。
 現実を変えるためにできることとは、恐怖の存在や場所自体を変えようとしたり破壊することではなく、その人や場から離れて自分の安全を守ることから始まるのだと思う。

 ひとりの暮らしは、特に「素晴らしい!」と絶賛するようなものでもなく、淡々と日々が過ぎていく。誰かが何かをしてくれるわけでもないので、自分で生活を作っていく。ゴキブリだって自分でとらなければいけない。楽しみも自分で作り、小さな出来事を喜ぶのも自分の感性しだいだ。ときに家族のいない寂しさを感じることもある。でも何よりも、穏やかで安心で安全、自由だ。そのありがたみは心底痛感するし、私が私自身でいることのできる大切な条件だと思う。
 もう金輪際、恐怖と憎悪にまみれた生活は送りたくない。もう二度と。
 

 今日もどこかで脱出している人がいる。自らの人生を取り戻すために決意している人がいる。どうかその後の歩みが守られますように…心から祈りたい。