ずいぶん昔に読んだのでうろ覚えであるが、津田左右吉の著作の中で「日本人は天皇へのより近さを争ってきた。」というような記述を読んだ記憶がある。
天皇の祖神天照大神は太陽だから、天皇が示すところももまた太陽なのですわね。これ、日本の常識。
平成から令和にかけて、雪崩の如く、また手に握りしめた砂がこぼれ落ちる如く天皇、皇室の権威も栄光も崩れ落ちて行く世の中ではあるが、今もまだ天皇へより近くの繋がりを求める人々はいるようだ。
陛下皇太子時代の行啓記念碑を建立 鳥羽商船高専同窓会、創立140周年で 三重6/6(日) 11:00配信 伊勢新聞

【鳥羽】今年8月に創立140周年を迎える三重県鳥羽市池上町の国立鳥羽商船高等専門学校の卒業生らでつくる「鳥羽商船同窓会」(菅沼延之会長)は、天皇陛下が皇太子時代の平成30年8月に同校を訪問されたことを後世に伝える記念碑を同校に設置し、5日、除幕式が行われた。明治6大教育家の一人で校祖の近藤真琴(1831―86年)が明治8年、東京で開いた日本最古の商船教育機関、航海測量習練所の分校として、明治14年に、同校の前身「鳥羽商船黌(こう)」が設立された。 同窓会は、創立140周年の記念事業として、皇太子時代に全国高校総体への出席で来県された天皇陛下が同校を訪問された記憶を残すため、同窓会員らに寄付を募って「皇太子殿下行啓記念碑」を建立。記念碑は高さ1.9メートル、幅1.5メートルの菰野石製で、校内の100周年記念館横に設置した。
さて、この学校、今上が皇太子時代に国体のついでに、たまたまお気の向くままに訪れた古い歴史ある学校ではない。
記事中にある航海測量訓練所を私財を投じて開いた近藤真琴という人物は「攻玉社」 という学塾も開いている。
戦前は海軍兵学校の予備校的存在だった「攻玉社」には海軍大将15名海軍中将69名海軍少将118名の出身者がいるが、その中に
山屋他人 - 海軍大将・皇后雅子の曽祖父 (海兵12期) 雅子の母優美子の母寿々子の父
江頭安太郎 - 海軍中将 皇后雅子の曾祖父 雅子の母優美子の父江頭豊の父
の名がある。
つまり、今上は雅子さまの母方の先祖と縁がある学校だから訪問されたのだろう。
学校もまた<雅子皇后の曾祖父との縁>を通じてあらためて<天皇との関係>を誉れとするために記念碑を建てたのだろう。
菅沼会長は「140周年を境に地域の学校として、全国の商船学校のヘッドとして地域貢献を果たして、商船教育で国家のために役立つ学生を輩出し、同窓会としてそれを支えていきたい」とあいさつした。
国家のために役立つ、というフレーズは古臭くも、一周回って新しくも聞こえなくもないが、しかし、「国家のために役立つ」にはあまり良いイメージが無い。
いっそ「国益のために」ではどうだろう?